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シンポジウム 東欧文学の多言語的トポス──複数言語使用地域の創作をめぐる求心力と遠心力

報告:阿部賢一

日時:2018年10月6日(土)10:00-18:20
場所:東京大学本郷キャンパス 法文1号館113教室

プログラム

10:00-10:15 挨拶

10:20-11:50   規範の形成
「ボヘミアにおける文学史の系譜」阿部賢一(東京大学)
「ボヘミアにおけるドイツ語文学史記述」三谷研爾(大阪大学)
コメンテーター:楯岡求美(東京大学)

13:00-15:00  辺境地域における文化活動
「〈周縁〉と〈カノン〉──ルーマニア領ブコヴィナのユダヤ系ドイツ語詩人たち
とゲーテ」藤田恭子(東北大学)
「ワルシャワの亡命ロシア」小椋彩(東洋大学)
「分裂と統合のディレンマ:カシュブ文学の事例より」野町素己(北大スラブ・
ユーラシア研究センター)
コメンテーター:三田順(北里大学)

15:10-17:10  流通するイメージ・概念・ことば
「シレジアのイメージの変容──ポーランド語圏を中心に」井上暁子(熊本大学)
「ベラルーシと極東における中国イメージの比較」越野剛(北大スラブ・ユーラ
シア研究センター)
「1930年代ポーランドのユダヤ系前衛作家の共通言語/普遍言語の探求──デボ
ラ・フォーゲルとブルーノ・シュルツ」加藤有子(名古屋外国語大学)
コメンテーター:安達大輔(北大スラブ・ユーラシア研究センター)

17:20-18:10  総合討論

18:10-18:20 結び

主催:科研費・基盤B「東欧文学の多言語的トポス をめぐる研究」(H27-H30、
代表者:井上暁子)
共催:東京大学人文社会系研究科現代文芸論研究室
問い合わせ先:stinoue@kumamoto-u.ac.jp
*入場自由、予約不要。

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ミラン・クンデラは「最小の空間のなかの最大の多様性」という表現を用いて、中欧の文化的特徴に触れたことは知られている。クンデラの議論は旧ハプスブルク圏内を意識したものであるため、「中欧」という言葉が用いられているが、この特徴は広く「東欧」全般に通底するものであろう。2018年10月6日、東京大学(本郷キャンパス)にて開催されたシンポジウム「東欧文学の多言語的トポス──複数言語使用地域の創作をめぐる求心力と遠心力」は、20世紀から現代というゆるやかな時代設定のもと、東欧文学のテクストにおける同地域の多言語性について検討する機会になった。当然ながら、ありとあらゆる要素は何らかの力学によって階層化されているが、その様相はしばしば可視化されていない。様々な力学の見えない緊張関係を少しでも提示することが本シンポジウムのひとつの目的であった。西欧諸国に比べて、国民国家の樹立が遅かったこの地域においては、20世紀に入って制度的な規範の形成が急務とされ、文学テクストをめぐる環境もその影響を大きく被っている。それゆえ、その際の「求心力」と「遠心力」という力学がシンポジウムの枠組みの中心軸として設定された。

プログラムは、「規範の形成」「辺境地域における文化活動」「流通するイメージ・概念・言葉」の3部から構成された。第一部「規範の形成」では、文学規範の中核となる「文学史」に焦点が当てられた。とりわけ、チェコ語話者とドイツ語話者の共存が議論となる20世紀ボヘミアの文学史が対象とされ、阿部賢一(東京大学)がチェコ語の文脈から、三谷研爾(大阪大学)がドイツ語の文脈からそれぞれ分析を試みた。阿部は、プラハ学派の文学者F・ヴォジチカの「文学史」の理論の読解を試み、言語をその単位として捉えるその姿勢の背景として、「血」という概念を強調するJ・ナードラー、A・ザウアーらドイツ文学史家との対立関係を浮き彫りにした。三谷は、1963年のカフカ会議以降の動向を辿り、近年「地域文学史」の観点(具体的にはPrager deutsche, böhmisch-deutsche, mährisch-deutsche u. sudeten-schlesische Literatur)からの問い直しを紹介し、規範化の傾向が強いとされる文学史の記述においても多極化が進んでいる状況を明らかにした。

第二部「辺境地域における文化活動」では、地理的にも、文化力学的にも「辺境」とされる地域や空間の文学営為がトピックとなった。藤田恭子(東北大学)は、「「周縁」と「カノン」 ルーマニア領ブコヴィナにおけるユダ系ドイツ語詩人たちとゲーテ」というテーマのもと、A・マルグル=シュペルバー(1898-1967)、M・ローゼンクランツ(1904−2003)らがゲーテを参照しながら、ドイツ文学の「正統な担い手」を自負していたことが検証された。小椋彩(東洋大学)は、ワルシャワの亡命ロシア人コミュニティ、とりわけ亡命ロシア人ドミートリイ・フィロソフォフ(1872-1940)と、彼が組織した亡命ロシア文学サークルの状況について考察を行った。野町素己(北海道大学)は、ポーランドの少数言語カシュブ語による文学の状況について、スラヴ・ミクロ文学という概念を用いて検討をした。

第三部「流通するイメージ・概念・言葉」では、井上暁子(熊本大学)が、ドイツ語作家ハンス・ノヴァクの小説『亜鉛は金になる』(1937)とポーランド語作家グスタフ・モルチネクの小説『ヨアンナ鉱』(1950)を比較しながら、上シレジアを舞台とする両者に共通する精霊のイメージを比較した。越野剛(北海道大学)は、現代ロシア文学に見られる「中国化するロシア」のイメージを、ベラルーシや極東といったロシア文化圏の境界地域の文学から検討を行い、ウラジオストクの中華街を舞台にしたイリーナ・ムトフチイスカヤの『ミリオンカ』(2009−2018)、固有の言語文化を失ったベラルーシを舞台にするヴィクタル・マルチノヴィチ『モーヴァ(墨瓦)』(2014)といった作品を紹介した。加藤有子(名古屋外国語大学)は、ユダヤ系作家ブルーノ・シュルツのパートナーとして知られるデボラ・フォーゲル(1900−1942)の多彩な活動(イディッシュ語による創作、パリやニューヨークなどの雑誌との協働)を通して、ユダヤ社会の近代化とモダニズムの新たな見取り図の提示を試みた。

以上、「東欧文学」という文脈における力学のひとつの様相を検討したわけだが、もちろんこれで全貌が明らかになったわけではない。ただ今回とりわけ画期的であったことが、スラヴ系の文学の研究者とドイツ語文学の研究者が協同で議論の場を設けたという点である。多言語的世界のなかに分け入っていくには、「国民文学」の枠組みを越えた研究体制の構築も必須であり、今回のシンポジウムはそのような多面的な研究の契機になったとしたら、ひとつの成果と言えるだろう。

* なお、本シンポジウムは、科研費基盤(B)「東欧文学の多言語的トポスをめぐる研究」(平成27−30年度、研究代表者:井上暁子)の主催、東京大学人文社会系研究科現代文芸論研究室の共催で開催された。

(阿部賢一)

広報委員長:香川檀
広報委員:利根川由奈、白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2019年2月17日 発行