企画パネル ボナールの絵画をめぐる冒険
日時:13:00 - 15:00
場所:山形大学小白川キャンパス 人文社会科学部1号館 205教室
- シネマトグラフと絵画──ボナールの光/横山由季子(金沢21世紀美術館)
- 実在としての絵画──ボナール、新種の宇宙の構成/榑沼範久(横浜国立大学)
- 本と雑誌のなかのボナール──象徴主義の時代を中心に/合田陽祐(山形大学)
- 画家の眼で視るボナール/梅津庸一(美術家)
司会:本田晃子(岡山大学)
本企画パネルは、画家ピエール・ボナールについて、知覚のプロセスを絵画化した画家であるというジャン・クレールを中心とした先行研究を出発点に、その絵画作品の新たな見方を浮かびあがらせようとしたものである。シネマトグラフとの類似性や、その絵画におけるカンヴァスと絵具の構造、鑑賞者との関係、そしてメタモルファ(変形体)としての絵画という多様な視点から議論が展開された。それは「画家のための画家」と称されたボナールの分析を通じて、21世紀における絵画そのものの可能性を示唆する試みでもあった。
最初に横山由季子は、ボナールが絵画において人間の自然なヴィジョンを実現したというジャン・クレールの主張に対し、カメラやシネマトグラフといった当時の視覚的な発明からの影響も無視できないことを指摘した。とりわけ、シネマトグラフの創始者であるリュミエール兄弟とボナールは交流があり、当時上映されたシネマトグラフ作品とボナールの絵画作品のモチーフや構図には、両者の類似性が見出せる。さらに、ボナールの絵画を特異なものとしている白、しばしばカーテンやテーブルクロス、シーツ、タオルとして現れるその輝き、時に他の色と混ざり合いながら過剰に使われる白こそが、ボナールの絵画を前にしたときの、空間や主題の読み取り難さをもたらしていることに着目し、アーク灯を用いて上映されたシネマトグラフの強い光が対象をのみ込んでその識別が困難になる体験を、ボナールの絵画を前にしたときの感覚と重ねることを試みた。
続く梅津庸一氏は、まず紐状の麻を交差した織物としてのカンヴァスと、粒子をペースト状にしたものとしての絵具というメディウムに言及し、ボナールが目と手を酷使しながら制作した絵画において、主題(何が描かれているか)と形式(どのように描かれているか)が不可分に結びついていることを強調する。たとえば《ル・カネの食堂》(1932年、オルセー美術館[ル・カネ、ボナール美術館寄託])においては、猫と壁が同じ色彩と筆触の組織で描かれており、描き込まれた壁やモチーフの部分と、カンヴァスの地が見えるほど薄く塗られたテーブルの部分に粗密の関係は発生していない。それによって、空間が担保されつつ、カンヴァスの向こうに焦点を合わせることのできない防御システムが成立する。そして、ひとつのルールで絵画全体を覆い尽くしたセザンヌに対し、複数の絵画言語を組み合わせながらも破綻なくまとめたボナールの作品を「王国的絵画」と評した。
合田陽祐氏は、ジョルジュ・ロックの『ボナールの戦略』(Georges Roque, La Stratégie de Bonnard, Paris, Gallimard, 2006)を参照しつつ、ボナールの絵画における画家自身の身体の介入や、知覚の一挙性への抵抗が、鑑賞者の視線誘導を引き起こしていることを示した。たとえば《親密さ》(1891年)や《巨大な青い裸婦》(1924年)では画家自身のパイプを持つ手や足が画面の周縁部に描き込まれ、リトグラフ《傘を持つ女》(1894年)ではスカートの襞と男性の横顔というダブルイメージが、《黄昏(クロッケーの試合)》(1892年)では、一つの絵画に複数の異質な画面が並置される。また、《男と女》(1900年)や《逆光の裸婦》(1908年)に顕著な白が、黒とのコントラストとして用いられるだけでなく、ハレーション効果を生んでいることにも着目した。こうしたことすべてがボナールの作品を前にした際の、知覚の持続体験をもたらすものであり、画家と鑑賞者との親密な空間を構築していると結論づけた。
最後に榑沼範久氏は、ボナールの絵画は知覚や記憶の問題系よりも、液化・気化・固体化などを経て変容する「異様なオブジェクト」の次元で見る必要があると提起する。そして、「毎日の散歩」で遭遇する「新種の小さな花々の出現」に「宇宙の構成」を見出すマティス宛の手紙や、《庭の女性たち》(1890-91年)などに潜む不思議な異星的存在を示しつつ、予想を超えて変容する「メタモルファ」(レム『ソラリス』)を描く「印超派(Pata-impressionnisme)」と(ジャリをもじりながら)ボナールを命名した。また、後期ボナールを原子力開発の時代の画家と位置づける榑沼は、ボナール《花咲くアーモンドの木》(1946-47年)の白と青に、ヴァージニア・ウルフ『幕間』(1941年)に描かれた雲間に覗く宇宙の青を重ね、ボナールの手帖やマティス宛の手紙に綴られた「絶対の探求」を、バルザックが同題の小説で描いた絶対変容の探求と結びつける。そして宇宙的なものと地球の生命圏・生活圏のせめぎ合いのなか、絵画は原子力とは異なるかたちで、「宇宙からの色」(H.P.ラヴクラフト)を地上に下ろす実験と論じた。
マティスのようにまとまった分量の絵画理論を残すことなく、制作をめぐる考察を断片的に手帖にメモするに留めたボナールは、その死の前年に以下のような言葉を書き記した。「私の絵がひび割れずに残ることを願う。2000年の若い画家たちのもとに蝶の羽で舞い降りたい」。画家としてあまりにも切実なこの言葉は、その捉えがたい絵画作品とともに、現代の画家や研究者たちをボナール研究へと駆り立ててきた。ディスカッションでは、たとえ美術館に入ったとしても絵画の物体としての崩壊は制作直後から始まっていることを梅津が指摘したが、ボナールの身体感覚が随所に刻印された絵画は、美術史的な主題や構図の分析ではなく、カンヴァスの布地に染み込んだ絵具や、重ねられ、混ざり合った色彩、多種多様な筆触に着目するところから始める必要があるのかもしれない。そして絶えず変化する物質としての絵画から出発して、そこに描かれた主題ではなく、見えるものを覆い尽くす白い光や、宇宙からの色を見て取ること──本企画パネルを通じて描かれた壮大な見取り図を、今後のボナール研究、絵画研究につなげていければ幸いである。
横山由季子(金沢21世紀美術館)
ピエール・ボナール(1867-1947)は絵画における探求を「視神経の冒険」と呼んだが、本企画パネルでは、その絵画に秘められた可能性をシネマトグラフや写真、文学、色彩、宇宙への志向といったさまざまなアプローチから探る。そしてボナールの仕事に大きな関心を抱く美術家の梅津庸一氏を迎え、多種多様な筆触や複雑に重ねられた色彩など、言語化の難しいボナールの絵画の特異性について議論を深めたい。現在国立新美術館で開催中の日本では14年ぶりとなるボナール展に際して、これまでもっぱら知覚の画家として語られてきたボナールの新たな射程を示すことを試みる。