研究発表4
日時:15:20 - 16:40
場所:山形大学小白川キャンパス 人文社会科学部1号館 202教室
- オズワルド・ヂ・アンドラーヂにおけるニーチェの影響──キリスト教批判を中心に/居村匠(神戸大学)
- アナキズム道徳の表象可能性──P・クロポトキンの相互扶助論の基底の問題/小田透(静岡県立大学)
司会:森元庸介(東京大学)
ブラジルとロシア、両大戦間期前後と19世紀末、モダニズム芸術と地理学、キリスト教批判と社会ダーウィニズム批判、母権制や信仰の問題と共産制や科学の問題、食人と相互扶助。こうして対比させてみると、居村匠の「オズワルド・ヂ・アンドラーヂにおけるニーチェの影響──キリスト教批判を中心に」と小田透の「アナキズム道徳の表象可能性──P・クロポトキンの相互扶助の基底の問題」のあいだには、何の共通項も存在していないどころか、すべてが相反しているように見えるだろう。しかし、司会の森元庸介が討議の締めくくりで鋭く指摘したように、「ネーション」の問題がふたりの発表に大きく絡んできていた。
ブラジルのサンパウロを中心に活躍したオズワルド・ヂ・アンドラーヂ(1890‐1954)は多面的な顔を持つ思想家であり批評家である。インディオの食人文化をモチーフにし、西洋的原理に回収されないブラジル独自の思想の構築に生涯をかけて取り組んだというアンドラーヂは、すでに1928年の時点で代表作となる「食人宣言」を発表していた。それはブラジル・モダニズムという土壌で開花した芸術的マニフェストであったが、アンドラーヂが独自のかたちで食人の思想を展開していったのは晩年になってからだという。居村の発表では、主に晩年の諸テクストに詳細な分析が加えられた。
居村の発表はまずなにより実証的に精緻なものだった。アンドラーヂが当時参照しえたであろうポルトガル語に翻訳されたニーチェの著作を検討することから始めたのである。しかし、居村の狙いは──きわめてひかえめな発表タイトルとは裏腹に──アンドラーヂのテクストにあからさまに響いているように聞こえるニーチェ的残響を資料的に裏付けることではなく、超越性や宗教の捉え方におけるアンドラーヂとニーチェの重要な差異を際立たせることにあった。
居村が着目したのは、アンドラーヂのテクストにおける非超越的な宗教性の概念である。アンドラーヂの食人思想にはニーチェ(ヒエラルキー批判)やキリスト教(礼拝の共同体)と通底する部分があるが、垂直的権力関係によって構造化されていない共同体的なものを志向する点において、両者の個人主義的傾向からは離反していた。それはつまり、礼拝による水平的な連帯ないしは「共鳴」(ドイツ神学者ロマーノ・グアルディーニの言葉)について考えることであったのだが、この方向性をラディカルに押し進めるには、超越性そのものを乗り越えねばならなかった。それゆえ、超越的な一者を必ずや招き入れてしまう父権制にではなく、インディオの母権制社会──アンドラーヂが神も階級もなき世界と考えたもの──のほうに食人の思想が接ぎ木されたのであった。
居村は生前未刊行の「ブラジル文化の食人的側面──心ある人」を分析しつつ、アンドラーヂの構想した母権制は相反する情動の共存によって特徴づけられていたと主張した。ブラジルの著述家セルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダは現代ブラジル人の性格分析──公的なもの=官僚制よりも私的なもの=家族を優先し、「他人のなかで生きる」──のために「心ある人」という類型を用いたが、アンドラーヂはそれをインディオ社会に読みこんでいく。インディオ部族の示す内向きの愛情と外向きの敵意──部族民は愛し、非部族民には敵意を示す──は、アンドラーヂの構想する「新しい母権制」に引き継がれていく。そこでこの攻撃性と誠実性の二重構造を具体的かつ象徴的につなぎとめるのが、「敵の「肉」をともに食べる」という聖体拝領的な食人儀礼である。
しかし誰が敵なのか? 居村によれば、アンドラーヂにとっての敵とは第一に西洋文明であった。この意味で、アンドラーヂの食人思想は西洋批判の別の名であり、ブラジルというネーションのための思想であったと言うことができるのかもしれない。
P・クロポトキン(1842‐1921)をどこに位置づけるのか、それが小田の最初の問いだった。19世紀後半から20世紀初頭にかけての最大のアナキズム理論家であるクロポトキンの生涯には移動と定住のリズムが流れており、多言語的で多国籍的であったという。19世紀的な実証主義の科学的パラダイムに依拠したクロポトキンには、具体例の比較検討から法則性を導き出そうとする知性の運動があった。チャールズ・ダーウィンと同じように──クロポトキンの著作中もっとも知られたものである『相互扶助論』は、社会的ダーウィニズムによるダーウィン進化論の曲解にたいするプロテストであった──生物であれ自然であれこの世に「存在するもの」すべてに敬愛を寄せていたが、ダーウィンとは異なる部分もあったという。それは、人と人との関係をどうすべきなのかということについてのヒューマニズム的な指針だ、と小田は主張した。「すべてのひとがしあわせにwell-being for all」という理想である。
しかしながら、そうした理想の可能性(できる)と義務性(べき)は、実証的に証明されうるものなのだろうか。小田の発表は、クロポトキンにおける「できる」と「べき」の往還を分析し、アナキズム道徳の基底がどのように生起してくるかを分節する試みであった。
小田はクロポトキンが3つの回答──科学/化学的、教育的、生物学的──を持っていたのではないかと論じた。ひとつめは、『田園、工場、仕事場』(1898)で提示される生産力主義(「できる」の系列)──近代的農業や化学的土壌改良による食糧増産の可能性──である。ふたつめは、教育的なもの(「べき」の系列)──地理学研究‐教育と、帝国主義の搾取的開発路線との繋がりの切断──である。「地理学のあるべき姿 What Geography Ought to Be」(1885)において、研究と教育、教育と倫理を融合する方向性を提唱している。「べつのひとびと」と「わたしたち」の比較は、われわれすべての潜在的な同胞性を前景化し、比較民話学や比較神話学的なアプローチは他集団への敬意を育成する、とクロポトキンは主張した。みっつめは生物学的なもの(「できる」の系列)──相互扶助的なものの進化論的深さと古さ──である。自然の道徳化であると非難されがちな『相互扶助論』(1902)は、ひとびとが互いに助け合う「べきだ」という理想論ではなく、動物であれ人間であれ生物のあいだに生物学的与件として存在してきた相互に協力し合うという原理(「社会性」Socialityと「社交性」Sociability)であった、と小田は主張した。
小田はフリードリヒ・シラーの『美的教育についての手紙』に言及しつつ、クロポトキンのアナキズム理論の基底には、理性的なものと同時に、感性的なものがあったのではないか、と締めくくった。しかしながら、自然が人間に与えた潜在性を最大限に発現させることがシラーのもくろみであったとしたら、クロポトキンはそれよりもさらに高いところ──自然が人間に与えた社会的なものを意識的に進化させ、自然が人間に課した限界を乗り越えていくこと──を目指していたようだ。相互扶助という自然からの贈与かもしれないものを、人間的なものに変容させることである。
Q&Aにおいては、主に思想史的な視点から、活発な議論が交わされた。居村には、アンドラーヂの食人思想にたいするニーチェ以外の影響についての質問が寄せられた。たとえばフロイトの『トーテムとタブー』における、父権制と結びついた食人である。それにたいして居村は、アンドラーヂはフロイトを読んでいたこと、アンドラーヂの言う「新しい母権制」とは父権制を経由したものであり、そこでは絶対的な超越性を水平的なものにすることが目指されていたことを強調した。小田には、クロポトキンの資本主義批判の射程についての質問が投げかけられた。マックス・ウェ―バーからベンヤミンにいたる呪物性のような問題系がクロポトキンには抜け落ちているのではないか、という疑問である。それにたいして小田は、クロポトキンの思考が19世紀的な実証主義パラダイムに依拠しており、19世紀末の新しい学問と隣接し、重複しながらも、あるゾーンにおいては接続されていないことを示唆し、それがクロポトキンの経済学思想の弱点かもしれないと述べた。司会の森元は、ふたりの発表がともに、「ネーション」や共同体の形成をめぐる範囲と限界の問題に取り組んでいることを指摘した。
居村と小田の発表は、西欧の周縁から西欧近代をラディカルに批判するものであった、と結論してよいかもしれない。一見したところ前近代的なものへの後退と見えるもの(食人、相互扶助)は、アンドラーヂにとってもクロポトキンにとっても、西欧近代の隘路を乗り越えるためのオルタナティヴな可能性にほかならなかったのである。しかしながら、このオルタナティヴにはどこかアンポピュラーなところがあることも否定できない。食人思想や相互扶助を字義どおり引き受けることは可能だろうか。それに加えて、現代的な視点から彼らのテクストを再訪するのであれば、そこで立ち現れてくるポストコロニアルな主題系(たとえば、部族や原住民の思想や実践を裕福な白人男が「代弁」するという問題)を無視することは許されないだろう。いまアンドラーヂやクロポトキンの言葉をさらに語り直そうというのであれば、その翻訳作業は意識的に批判なものでなければならないはずだ。司会の森元は小田の発表について「話しにくそうにしている」とコメントしたが、先行する言説の希薄さに端を発する先駆者の苦労というテクニカルな事柄だろう。しかし、これは、重要な思想(史)的課題があることの徴候だったのかもしれない。過去の思想や問題を、時間的にも地理的に異なる別のところで、アクチュアルに、しかし批判的かつ倫理的に受け止め、引き受け、語り直していくことの難しさである
(小田透)
オズワルド・ヂ・アンドラーヂにおけるニーチェの影響──キリスト教批判を中心に
居村匠(神戸大学)
本発表は、ブラジルの批評家オズワルド・ヂ・アンドラーヂ(Oswald de Andrade, 1890-1954)の言説を分析することで、その哲学的な源泉を示し、彼のオリジナリティを明らかにすることを目的とする。
アンドラーヂは1928年に「食人宣言」を発表し、インディオの食人習慣を範とすることで、西洋文化に対するブラジル独自の文化の構築を主張した。この宣言とともにはじまった食人運動は、1930年に終りを迎え、以後彼はマルクス主義へと傾倒する。宣言を通して提起された食人の思想にアンドラーヂがふたたび取り組むのは、1940年代になってからのことである。この思想についての後期の言説には、20年代の断章形式とは異なり論考のかたちをもつものもあり、そこに西洋哲学からの影響をみてとることができる。
本発表は、彼の晩年に書かれた食人の思想についてのテクストを分析することで、その哲学的な源泉を示すとともに、そこから展開される彼自身のオリジナルな思想を明らかにする。分析にあたってとくに注目するのは、ニーチェからの影響である。なぜなら、アンドラーヂ/食人の思想における西洋社会批判の重要な論点のひとつにキリスト教批判があり、それは『道徳の系譜』等でのニーチェの批判を継承するものだからである。この分析は、彼が構想した新たな社会の姿についての研究につながるものであり、ひいては西洋近代とは異なる人間像を描き出すことに資するものである。
アナキズム道徳の表象可能性──P・クロポトキンの相互扶助論の基底の問題
小田透(静岡県立大学)
P・クロポトキン(1842‐1921)は19世紀後半から20世紀初頭にかけてアナキズムの一般理論のための仕事をした。19世紀西欧の実証主義パラダイムに依拠しながら、『田園、工場、仕事場』(1898)ではネットワーク化されたローカルな協同的環境を構想し、『パンの略奪』(1892)では倫理的経済学を素描した。だがここで注目したいのは、同時代の同志たちからも批判された科学主義めいた総合化ではなく、地理学者としてシベリアや北欧でフィールドワークをしたクロポトキンの知的形成に埋めこまれていた人類学的な相対化のモメントのほうである。彼の知への情熱の奥には、世界の他の場所の人々の生にたいする敬意があり、倫理的な生への希求があった。本発表が取り扱うのはクロポトキンにおける道徳の問題であるが、ここで焦点化したいのは、彼のテクストに読み取れる具体的な道徳内容の規定(たとえば相互扶助)というよりも、共生的な在り方を可能ならしめるための心的態度がいかにして立ち上がってくるかである。外的強制を原理的に拒むアナキズムの磁場のなか、自己矛盾に陥ることなく、いかにして道徳を基礎付け、正当化し、表象しているか、という点である。本発表は、最も著名な『相互扶助論』(1902)を、地理教育についての周縁的テクストや未完の『倫理学』と突き合わせ、デヴィッド・グレーバーが「いまここにある共産主義(アクチュアリー・イグジスティング・