編著/共著

北野圭介(編)

マテリアル・セオリーズ 新たなる唯物論にむけて

人文書院
2018年8月
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もうひとつの「あとがき」に代えて

奥付をみると、この本の発行日は、2018年8月30日となっている。それから18日経った9月17日に、筆者の大学院指導教員アネット・マイケルソン氏が亡くなった*1。翌日彼女のゼミでともに学んだ友人から連絡があって知ったのだが、そのときから、いうところの喪の期間に自分の裡で入ったようだ。いまもそうだし、まだつづくだろう。だけれども、もしかすると、その準備はすでに先んじてはじまっていたのかもしれない。

ここ10年ほどの間、本学会会員の方も含め第一線で活躍する研究者と同席し対談や座談会に参加する幸運に恵まれてきた。それらを近年国内外で話題となっているトピックごとに纏め、刊行したのが本著『マテリアル・セオリーズ』である。編集者から序文を付すべきだというアドバイスがあって、記録を時系列に並べ読み直していると、自分の覚束ない足取りの日々も憶い返さざるをえなかったのだが、そのとき、どうしたことか、マイケルソン先生に教えを請うた日々も蘇ってきた。書き添えた序文にも、往時のことを少し綴りもした。

フレドリック・ジェイムソンが絶賛したという景色が窓からのぞめる、ソーホー地区にある彼女のアパートメントには幾度足を運んだことだろう。100を越える回数ではなかったか。ひとりでの訪問も少なくはなかったが、多くは、マルコム・ターヴィーそして先の友人と連れ立ってだった。また、蒼々たる面々と相席することも少なくなかった。少し名をあげれば、「クリティカル・インクワイアリー」の編集者W・J・T・ミッチェルや、分析哲学者のノエル・キャロル、バタイユ研究者のアラン・ヴァイス、ロシア文学者のミハイル・イアンポスキーらだ。少し離れた、日本思想史研究者のハリー・ハルトゥニアンの居宅を一緒に訪れたこともあった。そういえば、彼女と東京を訪れたときには、大島渚監督も一緒に三人で夕食を共にもした。彼らと華やかに談論に興じるマイケルソン先生に感嘆しつつ、自分はといえば、隅っこで縮こまるばかりであったのだが。

異なる分野、異なる方向性の知性と、いかにして語り合うのか。無闇に張り合うのではなく、かといって自堕落に慣れ合うのでもなく、言葉の交換を真摯に、そしてユーモアと愛情をもって互いに享受しあう──ここで「享受」とは、山内志朗から教わった言葉を意味するものとしたい。この編著のなかでの討議が、そうした対話術をどこまで模倣できたかはわからない。猿真似に終始しているのが関の山だろう。けれども、万が一、筆者が感じたあれらの歓びを一雫であれ読む人に伝えることができているのならとおこがましくも願う。日本で博士論文を書き上げるといって帰国したのに、二〇年を無為に過ごしてしまった出来の悪い弟子には、そんなおこがましささだけが目立ってしまっている。

*1 マイケルソンの履歴の一端は、ニューヨークタイムズ紙の追悼記事で知ることができる。https://www.nytimes.com/2018/09/18/obituaries/annette-michelson-dead.html

(北野圭介)

広報委員長:香川檀
広報委員:利根川由奈、白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎、鯖江秀樹、原島大輔
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2019年2月17日 発行