幻の万博 紀元二千六百年をめぐる博覧会のポリティクス
1940年は皇紀2600年にあたり、各種国内行事、神武天皇ゆかりの神宮の整備などと並ぶ奉祝の一環として計画されたのが、東京での万博とオリンピックという2大国際イヴェントの開催だった。
実際には日中戦争の激化により万博は無期限延期、オリンピックは返上となった。本書はこの万博計画の顛末を明らかにするとともに、国際的な布置からも検討したものだ。30年代には欧州のみならずアメリカ諸都市でも万博が開催されたほか、ローマが名乗りを上げ、またヒトラーもベルリンの大改造計画が成就した暁には、万博を開催しようと考えていたと言われる。
そうした文脈へと東京万博を置き直してみると、様々な背景が見えてくる。東京万博が直接のモデルにしたのは1937年のパリ万博だったが、そこではナチのドイツ館がソ連館と競いながら強力なプロパガンダを行っていた。東京湾の埋め立て地が万博の開催地として整備されるのと時を同じくし、ローマ近郊には万博のために新しい都市エウルが建設されていた。
帝国の版図を拡大すべく大陸へと進出し、国際的な孤立状態を強めていた日本は、その一方でパリの万博事務局から認定を得るために働きかけを行い、各国に誘致使節を送るなどの努力も重ねていた。博覧会を通じて見えてくる文化と国家の関係、国際関係のダイナミズムは、ナショナリズムの興隆著しい現今の状況を考える上でも示唆を与えてくれるだろう 。
(江藤光紀)