日時:2018年7月8日(日)14:00-16:00
場所:人文学研究科B棟(B132)
・世界解釈、世界構築としての建築の図的表現──J. -N. -L.デュラン『比較建築図集』を中心に/小澤京子(和洋女子大学)
・負性化・宙吊り・変形──建築家藤井博巳の建築ドローイング/戸田穣(金沢工業大学)
・拡張する平面性・トランスメディア──コンスタントのニューバビロン/南後由和(明治大学/デルフト工科大学)
【コメンテーター】後藤武(後藤武建築設計事務所)
【司会】桑田光平(東京大学)
グリッド──形態から認識へ
小澤京子氏は18世紀末に刊行されたジャン=ニコラ=ルイ・デュランの『比較建築図集』と、その数年後公刊されたエコール・ポリテクニークにおける『建築講義要録』を扱った。過去から同時代に至る建築群の平面図、立面図、細部などを、同縮尺で比較した『図集』には、建物のジャンルごとに一枚にまとめた数々の図版が収められている。小澤氏はこれを『建築講義』と併せて検討し、「相互にフラットで選択可能な要素の組み合わせによる構成」と位置づけた。さらに、フーコー『言葉と物』における古典主義時代の自然史記述に関する論述を引き合いに、世界を均質に切り分けグリッドの中に配置するという契機を見いだした。
J.N.L.デュランの著書群では、建築物のジャンル、必要な室数と位置といった全体像をまず定め、そこから付属室、細部へと向かうという方向が明確に議論されている。あるタスクが設定されると、これを解決するために有限個の選択肢が提示され、そのうち一つが選ばれる。グリッドは有限個の選択肢を提示するための基盤であり、それら選択肢はデータベースとしてフラットに扱われた過去の諸事例から選抜される。選抜において必要なのはジャンルの網羅性であり、重要性や有名性といった価値にはこれに次ぐ地位しか与えられない。単に作例がグリッド上に掲載されるだけではなく、何を課題として解決に取り組むべきか、そのために必要な要素は何かという問題設定と選択肢の提示そのものにおいて、網羅性が要請する、グリッド上の空いている枠を埋めるという行為が前提となる。オズボーンのチェックリストでも、マンダラ(チャ)ートでも構わないし、我々が日々埋めている事務書類でもよいが、思考を縦横2軸に微分し、それらのマトリクスから欠落を発見し、埋めることで事態を進める。そこには試作、手戻り、あるいはクライアントとの検討(に付随するちゃぶ台返し)といった場面は想定されていない。選択肢の選択を集積してできあがったはずの内容に関する価値判断も、この手法には含まれない。一直線的な設計手法は、デュランの社会的立場が示唆するとおり、教育を念頭に置いたものであり、実地の設計過程からすれば初期段階にとどまるかもしれない。
戸田穣氏は1935年生まれの建築家藤井博已による建築ドローイングを取り上げた。当初グリッド形態を全面的に用いるという「負性化」により、建築から意味を消去しようとしていた藤井は、後にそれを表層的な取り扱いでしかなかったと振り返った。そこでグリッドの位置づけを、深層に到達するべく〈構造=要素の関係性〉を提示するための図式と考えるようになったと、戸田氏は概括した。これは『日本の家』展(2017、東京国立近代美術館)が1970年代の住宅を、内部と外部の乖離により日常的な意味を斥ける「表層」に即した表現とし、2000年代の住宅を、内外を区別せず日常を受け止める「構造」に即した表現としたことと併せると、藤井の現代的意味を捉え直す試みと位置づけられよう。
藤井博已においてグリッドは当初、人間中心主義によって矮小化された人間と物質を、再び真の弁証法的連帯関係に取り戻すべく、物質の負性化を通じて物質・記号双方の均質化を果たす手段であった。色彩にも寸法(例えば人体に由来する開口部の幅900mm)にも人間的な意味が生じることに藤井は十分気づいていた。しかし、形態も色彩も寸法もテクスチャもいわば表層構造であり、背後の構成原理(「構造」)にたどり着くためには、その存在を示す必要がある。藤井は、ル・コルビュジエの「ガルシュの住宅」を垂直な平面の重層として、すなわちフェノメナルな透明性という「構造」を示した実例として観察するコーリン・ロウに、建築表現という行為の図式化を看て取った。そこで空洞化された図形の反復を通じて表現を「宙吊り」にして自立させる装置として、グリッドを位置づけ直した。グリッドは物質から価値を剥落させるための手段であったのが、価値の剥落した世界の中でどのように人間(おそらくは表現する人間)を位置づけるかという新たな課題を提示する手段へと変貌した。デュランの想定した建築家像が、建築設計という行為において文字通り機能的に作用するエージェントとしてのものだったことに対して、藤井はおそらく反対するだろう。意味を理解し空欄を埋める人間ではなく、空欄が依拠するグリッドを作りあげる人間として建築家を規定するはずだ。意味を取り去り、グリッドを露わにすることが、建築家の「人間の証明」となったといえる。
南後由和氏は芸術家コンスタント・ニューウェンハイスを巡る研究状況を概観した後、コブラでの主に画家としての活動から彫刻/コンストラクションを経て《ニューバビロン》プロジェクトにおける模型や地図製作、後に絵画への回帰に至る、彼の変貌を取り上げた。自身の制作活動と並行してデ・ステイル、ロシア構成主義などを参照し、自然と人工の相俟ったオランダの環境に影響されたコンスタントにおいて、グリッドは、メディウム間の移行と変貌、複数の専門分野の交叉、二次元と三次元の往還、さらには共同制作のプラットフォームとして位置づけられる。コンスタントは空間の表象としての建築術ではなく、「雰囲気」を通じた空間的実践として自らを位置づけた。
あらゆる芸術と同様、コンスタントもまた世界の複雑性に直面し、これをコントロールする手段として自らの営みを位置づけたものと思われる。人間の精神を解放し、創造者と観察者の相互作用、また人間と物質との対峙により、人間の創造性を高めることを初志としたコンスタントは、画家として出発した。当時の梯子や車輪というモチーフにすでに、移行というテーマが見え隠れしている。壁画や詩、建築といった諸ジャンルと協働し、大人と子供、国や都市といった境界を揺り動かした画家時代のコンスタントは、彫刻/コンストラクションを経て建築、あるいは建築を通して都市社会を見通す視座に至る。集団所有により非定住の生活様式を許容する社会的装置としての計画、また固定された計画としてではなくささいな要因を含んだ状況の構築を永続的に持続することへの希望、その中で人間が自身をコントロールできる条件を整えることなどを、コンスタントは唱えた。上位概念として「雰囲気」があり、その手段として建築学的基準、気候学的基準、心理学的基準が位置づけられる。都市に求められる首尾一貫したグリッドシステムが、都市のみならず世界に拡張されるが、彼は全体主義には与しない。局地的に、個別具体的に存在するコスモポリタニズムを解析するという細部に彼の視線は注がれる。彼の展示方法に対するコントロールの強さに鑑みると、おそらくは建築のディシプリンが求める俯瞰的な視点と、それによる細部の脱落を埋めることができず、コンスタントは建築から絵画に回帰したのではないだろうか。
コメンテータの後藤武氏は、まずデュランが、プラットフォーム、アルゴリズムとしてのグリッドを示し、最適解としての建築を誰でも作れる方法を探求した一方、現代にはアルゴリズムに見たことのない造形を求める傾向があるとして、両者を対比的に位置づけた。対して、藤井博已の用いたグリッドは建築要素のシンタクスを解消するためであり、三次元空間という実態に、微分された二次元の重なりとして能動的に働きかける作用を見いだした。この点はモンドリアンに影響を受けたコンスタントにも共通し、次元を差し引くことにより人間を社会的束縛から解放するという。またデュランとコンスタントにも、プラットフォームとしてのグリッドという共通点が指摘された。ルドゥー研究との連続性を問う質問に対し、小澤氏からは、デュランにおいてはルドゥーと同様、古典期から近代へのヒンジとして位置づけられる性格論の背後に、怪物的なものが析出するという点が回答された。藤井の可能性を問う質問に対し、戸田氏からは、ホワイトキューブにおいて建築空間を再現するさまざまなメディアで構成された近年の建築展に際し、個々の資料形態の位置づけを確立したい旨と、磯崎新、相田武文らも取り組んだ時代様式としての正方形グリッドを歴史化する必要性が語られた。コンスタントの平面への注目に関して、南後氏は線が面に変形するという過程、水平面ばかりで人工的にコントロールされたオランダの環境、また国境のない姿に透視された社会的水平性ないし平等性という3つの要因を挙げた。司会の桑田光平氏はコンスタントの水平性に関して、ロシアとの関係を確認した。会場の田中純氏はneutralityと正負というコノテーションをもつ負性という日英語の対応から、ゼロに戻すという契機が浮上する点、またグリッドのサイズと重力の問題を指摘した。戸田氏からは、藤井の《宮島邸》(1973)において出目地が身体性を獲得してしまった(子供が遊び道具にした)点、また宙吊りを唱える頃になって、450mmだったグリッドが身体に応答しない寸法になった点、また負性という語に関しては生を分解し加算的に空間を構築する機能主義への対抗の側面が強い点が応答された。また片桐悠自氏からは、デュランにおけるgenreとtypeという語の使い分けが確認された。
天内大樹(静岡文化芸術大学)
パネル概要
「建築」は、建築物だけで構成されるものではない。本パネルでは、18世紀後半から20世紀後半までの近代と呼ばれた時代を対象とし、プロジェクトの構想から実現までの思考と創造のプロセスの内部に、あるいはその構想を表現/伝達する様々なメディアとメディアの間に、想像的なものとして生起する「建築(的なもの)」を捕捉し思考する。
小澤は、フランス18-19世紀の建築家デュランによる『比較建築図集』を対象に、建築図を創造的思考のためのメディアと捉え、「一覧表(タブロー)」による「比較」と「類型学」という思考のフレームそれ自体を分析する。戸田は建築家藤井博巳によるドローイングを、建築の形態と意味とに対する操作的な手法として分析し、藤井が問うた建築の意味産出メカニズムを考察する。南後は、コンスタントのニューバビロン計画を、諸メディア間の翻訳過程にしか存立しえない〈トランスメディア〉としての「建築」と規定し、社会学をはじめとする諸ディシプリンからコンスタントの領域横断性を明らかにする。
上記3つの発表を布置することで、竣工した建築物そのものではなく、建築のポイエーシスにおけるプロジェクト成立を条件付けるフレームの存在と、プロジェクト/プロセスの内部において動的に制作される諸メディウム間の翻訳空間の中に生まれる「建築(的なもの)」の次元を明らかにすることが、本パネルの目的である。
世界解釈、世界構築としての建築の図的表現──J. -N. -L.デュラン『比較建築図集』を中心に
小澤京子(和洋女子大学)
テキストと並んで図解が世界の認識と思考のための道具となる啓蒙主義時代から、「タブロー」の語が科学技術分野での「図解」を意味するようになる19世紀前半にかけてのフランスでは、建築分野における図面や図表表現もまた、世界を把握・解釈・分類し(再)構築・(再)創造するための媒体・手段としての機能を担うようになる。この時代は建築史においても重要な転換期であり、建築の類型・分類概念である性格(カラクテール)概念が注目された新古典主義時代から、建築の発展史や比較史において、ビルディング・タイプという発想とその図示が盛んとなる「歴史主義」の時代への移行期に相当する。
このような潮流における一つの特徴的な事例が、ジャン=ニコラ=ルイ・デュラン(1760-1834)による『比較建築図集(Recueil et parallèle des édifices de tout genre…)』(1799-1801刊行)である。古今東西の建築を一つの図面に配置し形態の比較を行うこの建築書は、「一覧表(タブロー)」という図的表現により、時代や地域を異にする建築を並置させ比較し類型(type)を抽出する、という発想の成立を見てとることができる。この『比較建築図集』を中心に、建築図面・図表が有する「創造的解釈行為としての図的表現」という性質を分析することで、啓蒙主義時代から19世紀に至る時代の建築図面が有した思想史的意義を明らかにするのが、本発表の目的である。
負性化・宙吊り・変形──建築家藤井博巳の建築ドローイング
戸田穣(金沢工業大学)
建築ドローイングとは、一般に建築図面のことをいう。建築図面とは、建物を建設するために必要な情報を所定の様式で描いた、記号の集積に他ならない。その前後に構想のためのスケッチがあり、プレゼンテーションのためのレンダリング、パースペクティブが制作される。一方で、このような設計実務にかかる設計図書一般からは自立したドローイングを建築家はときに描いた。
とはいえ、建築ドローイングをたんなるプレゼンテーションの手段としてではなく、みずからの設計の手法として、そのキャリアをつうじて制作し続けた日本人の現代建築家は多くない。藤井博巳は、その稀有な建築家のひとりである。1970年代に、負性化、宙吊り、変形というドローイング・シリーズを展開し、以後もみずからのドローイングと建築空間を相互的に追求した建築家である。藤井が追求した負性化、宙吊り、変形というテーマは、たんなる形態の問題ではなく、第一に建築のもつ意味の負性化や宙吊りを問題とするものであり、建築が意味を産出するメカニズムの変形にかかわる問題であった。
本発表は、60年代から80年代の日本における建築の2次元表現の展開を背景としつつ、藤井博巳における建築とドローイング、そしてテキストの具体的な分析をつうじて、藤井の構想した操作的な方法を明らかにすることを目的とする。
拡張する平面性・トランスメディア──コンスタントのニューバビロン
南後由和(明治大学/デルフト工科大学)
オランダの芸術家コンスタント・ニューウェンハイスの「ニューバビロン」(1956-74)は、遊び、ノマド、一時性、可変性、オートメーション、集団的創造などの特徴を有する都市を構想したプロジェクトである。
ニューバビロンは、絵画、ドローイング、彫刻、模型、地図、テキスト、映像などのメディアの「翻訳」過程にしか存立しえない。それは、迷宮であるミクロ・スケールから、地表を覆うマクロ・スケールに至るまで、スケールを横断して制作された。基点となるのは、絵画の性質に由来する〈拡張する平面性〉であり、これらの「翻訳」過程を包含するのが〈トランスメディア〉としての「建築」である。
〈拡張する平面性〉とは、単なる空間形態にとどまらず、社会形態の反映でもあり、そこには階級や人種を超えた平等性、平らな低地というオランダの土地の固有性などが重ね合わされている。〈トランスメディア〉の接頭辞は、労働と余暇、芸術家と鑑賞者、人間と機械、個人と集団、都市と国家などの境界を変容させようとする作用を含意している。
コンスタントは、コブラ、ネオヴィジョン、シチュアシオニスト・インターナショナルなどで協働を繰り返し、芸術の諸領域を横断した。コンスタントを、絵画から彫刻へ、彫刻から模型へ、模型から再び絵画の制作へと駆り立てたものとは何か。本発表は、ニューバビロンの射程を、美術史的、建築史的文脈に即しつつ、社会学、地理学などの観点からも、通史的かつ多角的に明らかにすることを目的とする。