企画パネル 『RADIO AM神戸69時間震災報道の記録』リーディング上演をめぐって
日時:2018年7月8日(日)10:00-12:00
場所:人文学研究科B棟(B132)
石田圭子(神戸大学)
稲津秀樹(鳥取大学)
江口正登(立教大学)
富田大介(上演企画/追手門学院大学)
伊藤拓(上演演出)
司会:門林岳史(関西大学)
本パネルでは、前日に開催されたパフォーマンスである『RADIO AM神戸69時間震災報道の記録』リーディング上演をめぐって、作り手の側からその製作意図や製作背景が披露されるとともに、3名の研究者からのコメントによって本上演をより広範な文脈に位置づけることが試みられた。
1995年に起こった阪神・淡路大震災を題材にして、それをパフォーマンス作品として再構成することは、当然のことながら、様々なセンシティヴな問題を惹起する。当事者性の問題もそのひとつだ。1996年に関西にやって来て、阪神・淡路大震災に間に合わなかったことへの罪悪感のようなものを持っていたと告白する企画・演出の富田氏をはじめ、多くの登壇者がみずからの震災体験(東日本大震災も含む)を回顧することからそれぞれの考察を始めていたのも、この当事者性の問題が作り手と受け手の双方に否応なく突き付けられていることを示していたように思う。
もちろん、当事者であるかどうかは明快に切り分けられるものでもないし、いわゆる当事者であってもその度合いは様々である。自身、被災者のひとりであり(リーディング上演にもパフォーマーとして参加している)、阪神・淡路大震災をめぐる考察を続けている稲津氏のコメントで報告者にとって特に興味深かったのは、震災をめぐる表象が、記録/記憶/想像という、三つの層の絡み合いによってなされているという視点だった。その視点を借用するなら、本リーディング上演は、ラジオの緊迫した震災報道の「記録」に基づきつつ、パフォーマーがそのテクストを再演することで(しかも、自分が再演するアナウンサーやパーソナリティと面会したり、「音」の記録を聞いたりしたうえで)、複数の個人的な「記憶」の層を介在させ、さらには特に追悼の儀式とでもいいうる第二部によって、他者の経験の「想像」を観客に強く求めるものになっていたという意味で、きわめて複層的な体験をもたらしていたといってよいだろう。
本リーディング上演は、ポータブルラジオを観客ひとりひとりが手にとって、第二部では建物のあちこちを観客が回遊し、さらには神戸市街を臨む丘の上という場所が重要な意味を持つ点でサイトスペシフィックでもある。こうしたいくつもの顕著な特徴を備えた本パフォーマンスを、江口氏は上演の形式という観点から、現代パフォーミングアーツの中にマッピングする(たとえば、名人芸的な一人芝居による「ドキュメンタリー演劇」で知られるアンナ・ディーヴァー・スミスも引き合いに出された)。演出上の一種の仕掛けとして携帯電話やタブレットを用いる通常のモバイルオーディオ・パフォーマンスと違って、本上演はもともとのラジオ放送をそのまま再現している点でいわば「リアリズム的」であり、小道具としてのラジオの使用もその意味で動機づけられているという指摘がとりわけ興味深かった。本上演が、ラジオで放送された内容を書籍として書き起こしたものに基づく脚本を、生身のパフォーマーたちが再演するというメディウム横断的プロセスを通過していることは富田氏自身からも指摘があったが、そうしたパフォーマンス成立の経緯における錯綜を別にすれば、パフォーマンス自体を律する原理は単純にして明快であるといえるだろう。
本リーディング上演の試みは、直接的な主題となっている阪神・淡路大震災だけでなく、カタストロフィックな出来事の表象というより一般的な問題を考えるにあたっても多くのヒントをもたらす。石田氏はまさにそのような視座から、ショアーの記憶の共有という文脈を召喚し、彫刻家ギュンター・デムニッヒの《躓きの石(Stolpersteine)》や、パトリック・モディアノの小説『1941年。パリの尋ね人(Dora Bruder)』(白井成雄訳、作品社、1998年)などを引き合いに出しながら、同一化できない固有の出来事の徴としての名前、そしてそれを身体性と結びつけることの重要性を説いたうえで、今回のリーディング上演に立ち戻って、1995年のラジオ放送という一回的な出来事を、その固有性を尊重しつつ、現在の私たちの空間に繋げようとする試みとして読み解いた。
司会の門林氏による冒頭の趣旨説明によれば、本リーディング上演は、これまで学会で継続的に続けてきたパフォーマンス上演の中でも、その企画・製作段階から学会が最も深くコミットしたもののひとつであるという。本パネルのディスカッションにおいても、企画・演出にあたった富田氏と演出にあたった伊藤氏が適宜、製作者としての意図を説明することはもちろん、パフォーマーとして上演に参加された方々からも、20年以上前のラジオ放送を再演することがどういうことなのかをめぐってヴィヴィッドな発言がなされた。富田氏自身、アカデミックな舞踏論と実際の舞台における実践を易々と往還している人物なのだが、本パネルも全体として、時間の制約もあるなか、理論と実践が切り結ぶような場をうまく作り出し得ていたのではないかと思う。
堀潤之(関西大学)
パネル概要
前日に開催された『RADIO AM神戸69時間震災報道の記録』リーディング上演について、企画・演出にあたった富田大介氏、伊藤拓氏と議論する。阪神・淡路大震災をめぐる考察を続けている稲津秀樹氏、現代演劇が専門の江口正登氏、芸術理論が専門の石田圭子氏からコメントをいただき、フロアからの発言を交えた活発な意見の交換の場としたい。