歩く、見る、待つ ペドロ・コスタ映画論講義
思考と表現とのあいだにはたやすく埋めることのできない溝がある。創作者にとって、事物や人物を見るときには溝という境界そのものが作品の輪郭線にもなり、表現にかたちが与えられる際には、境界が揺らぐことによっていわゆる写実を超えた独自の世界が生み出される。思考と表現の両者において、「対象」は異なるものとして受けとめられている。どちらが「真実」であるかは分からない。私たちはつい見落としてしまいがちだが、このずれにこそ表現の根源がある。
『ヴァンダの部屋』以降のペドロ・コスタは、深淵とも云うべき溝、思考と表現との「あいだ」を凝視し続けている。両者の隙間の奥へさらに分け入るわけでもなければ、二つの世界をたやすく接続するわけでもない。その作業は、途方もなく孤独で、溝を埋めることが実現不可能であるという意味では、絶望的なまでに終わることのないものだ。本書は、2010年から2012年にかけて日本で行われたペドロ・コスタの講義を書き起こし、編集を加えて訳したものだが、言葉の選び方や積み上げ方にその思考の軌跡を見出すことができるだろう。
もちろん、「作者の死」という概念を持ち出さなくとも、映画作家自身が「作品」とは異なることを私たちは知っている。だが、ペドロ・コスタは、両者の完全な一致を可能な限りまで追い求めることをやめようとはしない。彼の映画において、撮る者と撮られる者、人間と自然、事物とのあいだに等しい関係性が与え返されるように、均衡の政治学は演出の手法であると同時に、コスタの創作に対する倫理的な姿勢でもあるのだ。「歩く、見る、待つ」とは、そのために必要な作業そのもの、そして時間にほかならない。
(土田環)