単著

北浦寛之

テレビ成長期の日本映画 メディア間交渉のなかのドラマ

名古屋大学出版会
2018年4月

テレビの登場・普及によって日本映画は斜陽の時代を迎えた。訳知り顔でそう嘯くあなたは、はたしてその実情についてどれだけ理解しているだろうか。そう問われて顔を曇らせた向きは、ぜひとも本書を一読するべきである。

著者によれば、従来の研究は「テレビと映画との関係を対立的に捉える視角に終始して」(6頁)きた。こうした観点が両メディアの間に存する複雑な関係性をいかに捉えそこなってきたかは著者の明らかにする通りである。本書は、こうした先行研究の死角を埋めるべく、地道なリサーチと精緻なテクスト分析を駆使して、「産業レベルと作品レベルの両方における映画とテレビの(短期・長期の)相互作用を重視する視角」(7頁)から、1950~1970年を中心とする両メディア間の知られざる交渉の歴史を浮かび上がらせていく。

もっとも、第1章「テレビ登場──映画のなかのテレビ・メディア」で述べられているように、テレビの登場に対して同時代の映画人が少なからず敵対的な姿勢を見せていたことは確かである。そのことは「電気紙芝居」という蔑称に端的にあらわれているし、1956年にはテレビ産業の伸長を警戒した大手五社(東映、松竹、東宝、大映、新東宝)がテレビ局への自社作品の提供を打ち切るというわかりやすい行動に出てもいる(1958年にはここに日活も加わる)。映画産業とテレビ産業の間で軋轢が生じていた一方で、映画製作の現場レベルではテレビを積極的に取り込もうとする動きが見られた。映画作品内に小道具として登場するテレビはその一環である。中平康の『狂った果実』(1956年)や川島雄三の『あした来る人』(1955年)、『続・飢える魂』(1956年)などの映画で登場人物たちの経済的豊かさを示す指標として利用されたテレビは、小津安二郎の『お早よう』(1959年)では物語の中心に置かれることになる(『お早よう』は「テレビが家にやって来る」過程を小津一流のアイロニカルな筆致で描いた傑作である)。わけても、テレビ独自の機能と考えられていた「同時性」という特長を巧みに取り入れた映画作品として、著者は『嵐を呼ぶ男』(井上梅次監督、1958年)と『銀座凱風児 嵐が俺を呼んでいる』(野口博志監督、1961年)を取り上げ、見事なテクスト分析を施している。

映画にはないテレビ独自の特長として「即時性・同時性」を強調する言説は、テレビ登場時から存在していた。第2章「テレビとは何か、テレビ・ドラマとは何か──映画との差異を求めて」は、初期テレビ・ドラマ製作をめぐる言説と実践の関係に着目し、テレビのアイデンティティ構築の試みを活写する。テレビの同時性が強調された背景には、技術的な制約から初期のテレビ・ドラマが生放送であったという事情がある。その後、テレビ・ドラマにフィルムやVTRが劇中に挿入されるようになり、完全な生ドラマが消えつつあった1950年代後半以降になると、同時性に代わって「アクチュアリティ」をいう評言が幅を利かせるようになる。この評言をめぐって、著者は初期テレビ・ドラマ史上の画期をなすとされる『私は貝になりたい』(岡本愛彦演出、1958年)とその映画化作品(橋本忍監督、1959年)を比較し、両作品の表現上の差異を特定している。60年代に入り、テレビ・ドラマが成熟期を迎え、テレビが産業的に充実しはじめると、テレビ・ドラマの独自性を探究する議論は下火になる。新興ミディアムであったテレビは、先行ミディアムである映画との差異によって自らの特性を見定めようと努めてきたが、テレビ産業が安定期に入ったことでもはやその必要を失っていくのである。

テレビ産業の急成長を、映画界が脅威に感じていたことは間違いない。一方で、60年代に入って製作本数を減らしていた各映画会社は、その脅威を取り込もうと試みた。その試みのひとつが第3章「テレビ映画を作ってやろう」で論じられるテレビ映画事業である。テレビ映画が「映画とテレビの共存を印象づける代表的な事業」(65頁)であったことは先行研究の指摘するところだが、そうした成果を踏まえつつも、著者は「共存/参入という枠を超え、テレビ映画の製作が各社にとって、どのような意味をもつ事業だったか」(65頁)を明らかにしていく。結論から言えば、「テレビ映画は単なる両者の共存の象徴というだけでなく、両者が抱えていた問題を補填し充足させるものとして、存在していた」(84頁)ということになるが、本章の具体的な議論のなかでは、とりわけ東映のテレビ事業参入の位置づけが重要になる。なぜなら、大手映画会社のなかで、テレビ映画事業においてもっとも存在感を放ったのが東映だからである。東映は、自社で製作したテレビ映画を劇場で二次利用するという戦略をとり、これが第二東映の発足(1959年)につながった(翌年には第二東映独自の配給系統が確立され、東映は二系統配給を開始する)。主として第一東映の過去の封切り作品やテレビ映画「特別娯楽版」を配給した第二東映は、建前上は洋画市場への割り込みを謳っていたものの、じっさいに蚕食されたのは地方の新東宝市場であり、このことが新東宝の倒産(1961年)に少なからぬ影響を及ぼしたと考えられている。このような事態をうけて、著者は「東映のテレビ産業への参入は、決して軽視できない“映画史的事件”として捉え直さなければならない」(73頁)と強く主張する。

ここまで概観してきた第3章までが、本書の第Ⅰ部「「電気紙芝居」ならざるもの」を構成している。つづく第Ⅱ部「過剰投資の果てに」では、映画産業衰退の要因を、製作―配給―興行の産業構造の変化のうちに見出し、議論を展開していく。これは、「多くの論者が映画の斜陽をテレビの普及と関連づけて語ることに終始してきた」(86頁)なかにあって、新鮮な視角を与えてくれるものである。

第4章「映画館の乱立と奮闘──映画興行者たちの困難」で指摘されるのは、「映画館の乱立が映画産業全体を困難に陥れる相当深刻な問題」(91頁)であった可能性である。1950年代に起こった映画館の建館ブームによって、映画館の数は人口あたりの適正館数を超え、過当競争を引き起こしていた。多本立て興行と入場料金の不当なダンピングの泥仕合は、「劇場経営のみならず映画興行全体に大きな動揺」(96頁)を与えたのである。1960年代に入って映画館数が減少に転じると、今度は大都市部の映画館と地方の映画館との格差という別の問題が頭をもたげてくる(この格差には冷暖房などの劇場設備も含まれる)。本章では、斜陽期の映画館が活路を見出そうとした「深夜興行」の取り組みについても論じられている。この興行形態と抜群の相性を示したのが東映のやくざ映画であった。1960年代に隆盛をきわめた東映任侠路線が、深夜興行という特殊な興行形態に支えられていた可能性があるという指摘は、映画作品と映画興行の切っても切れない関係を体現しており、きわめて興味深いものである。

第5章「配給・興行に力を入れろ──映画会社の動員戦略」では、大手映画会社の配給・興行の面における施策が検討される。1950年代前半に年間の邦画配給収入でトップを走っていた松竹は60年代には最下位に転落してしまうが、作品自体の人気低下に加えて、興行上の要所であった浅草の衰退が影響しているのではないかという指摘は洞見だろう(興行の中心は渋谷・新宿・池袋といった副都心に移っていく)。第6章「「不良性感度」で勝負──映画会社の宣伝戦略」は、60年代に流行したエロ映画とやくざ映画の宣伝の実態について、当時のプレスシートの内容を丁寧にたどりながら明らかにしていく。この時期にエロ映画とやくざ映画が同時に流行った背景にはやはりテレビの存在があった。たとえば1950年代の東映は「御家族揃って楽しめる東映映画」を信条に掲げていたが、テレビが家庭に浸透したことで婦人層と子ども層がテレビに流れたために、「テレビに走らない成人層」の動員を目指すべく方針を転換したのである(この文脈で用いられたのが「不良性感度」映画という表現である)。一方で、1960年代にエロ映画とやくざ映画に手を染めなかった東宝は、自社製作に見切りをつけ、配給・興行に力を入れるようになる。著者は現在の大作映画で主流をなしている「製作委員会方式」の源流をここに見ている。

第Ⅲ部に掲げられている「テレビとの差異を求めて」というタイトルは、それ自体が徴候的である。というのも、テレビが自身の特長を模索する試みについて論じた第Ⅰ部第2章のサブタイトルが「映画との差異を求めて」だったからである。もはや後進のテレビではなく、先行していたはずの映画の側が進んでテレビとの差異を打ち出さなければならなくなったのだ。その具体的な差異が見出されるのは、1950 年代後半に登場し、瞬く間に映画界を席巻したワイドスクリーンである。むろん、テレビへの対抗策として映画界にワイドスクリーンが広まったこと自体は周知の事実だろう。第7章「ワイドスクリーンの挑戦──撮影様式の変化」の独創性は、まず、スコープ映画の普及によってワン・ショット当たりの平均時間(ASL)が長くなったという通説を覆した点に求められる。むしろ、ワイドスクリーンが浸透するにともなって、ASLは有意に短くなっていたのである(その一方で、黒澤明の『赤ひげ』[1965年]や川島雄三の『しとやかな獣』[1962年]のように、ロングテイクを基調とした印象的なワイド映画もまた存在していた)。章の後半では、市川崑の『ぼんち』(1960年)や工藤栄一の『十三人の刺客』(1963年)、池広一夫の『かげろう侍』(1961年)などの作品が、ワイドスクリーンを活かした新たな構図の可能性を切り開いているさまを、鮮やかなテクスト分析とともに提示していく。ワイドスクリーンを通してひとつの美学的達成をなしとげたのが、第8章「ワイドスクリーンの達成──映画演出の美学」で論じられる加藤泰である。

第Ⅳ部「もはやテレビなくしては」で取り上げられるのは、映画とテレビの「トレーディング・ゾーン」(ピーター・ギャリソン)たる時代劇とメロドラマの二つのジャンルである。第9章「変貌する時代劇ヒーロー──身のふり方とこなし方」では、1960年代の時代劇映画が、テレビ時代劇との(人的なものも含めた)交渉の過程で、どのような変化を見せたかを分析している。同様に第10章「メロドラマと女性観客──よろめく女たち」では、「テレビと映画のメロドラマをめぐる交渉」(232頁)のありようが精査される。時代劇とメロドラマは、テレビの浸透によって大きな打撃を受けたジャンルである。しかし、その一方で、「映画界がテレビ産業との交渉を促進するために重要な役割を果たし」(254頁)ていたのである。本書全体のなかでこの二章の議論はとりわけスリリングに感じられた。読者諸賢においては、ぜひとも本書に直接あたってその知的興奮を味わって欲しい。

よもやこのページをここまで通読してきた読者はいまいと思うが、スクロールして到達した人に向けて言っておくべきことがあるとすれば、本書が、各章の内容をごく簡単に要約するだけでもこれだけの文章量を必要とするほど充実した書物であるということに尽きるだろう。紹介文をさかのぼる暇があるなら、ただちに本書に直接向かっていただければ幸いである。

(伊藤弘了)

広報委員長:香川檀
広報委員:利根川由奈、増田展大、白井史人、原瑠璃彦、大池惣太郎
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2018年10月16日 発行