シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち 近世の観劇と読書
本書は、シェイクスピアの正典化の過程における女性の受容の在り様を探る歴史的な研究書である。観劇にせよ読書にせよ、過去の受容を実証するためにはその痕跡を探さなくてはならない。「ご婦人方」と女性観客に呼びかける戯曲の口上、あるいはシェイクスピアの影響を受けて書かれた女性作家の作品などは一種の痕跡だが、本書はそれだけで事足れりとはしない。筆者が敢行するのは、シェイクスピアが活動していた16世紀末から、国民的詩人として称揚される18世紀にいたるまでの膨大な刊本に残された署名、蔵書票、書き込み、また書簡などの大規模な調査である。地道な解読作業と他資料との手際よい照合によって、女性観客、読者たちの身元が次々と突きとめられ、その実在が確かめられてゆく。
例えば、貴族でもなく地方在住であったが文庫を構築しシェイクスピア刊本も収集していたフランセス・ウルフレストン、気に入らない国王を「キャリバン」と隠れてあだ名で呼ぶアン王女、筆者が偶然発見した子孫の書簡からシェイクスピアの作品集の校訂に携わっていたことが判明したメアリ・リーヴァー、そして1769年9月にストラトフォード゠アポン゠エイヴォンで行われたシェイクスピア記念祭に参加し『マクベス』の魔女の仮装を披露したエリザベス・ハーバートたち、と事例は無数である。
スター俳優やアイドルの舞台に足繁く通う女性ファンである「わたしたち」が過去にも存在していた、これが本書の過去に対するアプローチである。とはいえ本書を読み進めてゆくにつれて、王族や貴族、作家から一般読者まで、取り上げられる女性たちの内実も解釈も実に多様であることが理解される。いかに読んだかさえ知れぬ場合も多々ある彼女たちを前にして、「わたしたち」とまとめてしまうことが躊躇われるほどである。しかし、少なくとも一つ確かなことは、彼女たちの多くがシェイクスピアを「楽しんだ」という素朴な事実である。ナイーヴな感想に過ぎないとして、印象批評に過ぎないとしてすぐさま一蹴されかねないそうした楽しみをこそ、本書は積極的に評価している。なぜならシェイクスピアの正典化とは、彼女たちの楽しみに満ちた受容によって支えられてきたからだ。
夥しい数の女性たちの名前に彩られた本書はそれ自体貴重な資料集である一方、平易な言葉遣いで明快に綴られているため、専門外の読者さらにはアカデミズムの外部の読者に広く開かれた書物にもなっている。筆者自身、アーカイヴ調査のさなかで刊本をめぐり思いもよらぬ出会いを経験したように、本書もまた、まだ見ぬ読者との思いもよらぬ出会いを待っているに違いない。
(山本博士)