シンポジウム 「多様」と「特異」の作家──クロソウスキーを(よ)みなおす
日時:2018年2月4日(日)10:30〜17:45
会場:東京藝術大学音楽学部5号館1階109教室
開会の辞(趣旨説明) 10:30
セッションⅠ 神(々)との対峙 司会:松本潤一郎(就実大学准教授)
10:40-11:20 大森晋輔(東京藝術大学准教授)
「クロソウスキーにおけるキルケゴール──1930年代後半の活動から」
11:20-12:00 酒井健(法政大学教授)
「神と神々のゆくえ──20世紀フランス思想における神学の問題」
セッションⅡ 倒錯と政治性 司会:酒井健(法政大学教授)
13:00-13:40 森元庸介(東京大学准教授)
「倒錯? 『我が隣人サド』から」
13:40-14:20 松本潤一郎(就実大学准教授)
「ニヒリスムと再神秘化──クロソウスキーの政治的思考」
セッションⅢ イメージをめぐって 司会:大森晋輔(東京藝術大学准教授)
14:30-15:10 須田永遠(東京大学大学院博士課程)
「活人画とクロソウスキー」
15:10-15:50 兼子正勝(電気通信大学教授)
「得られるのか、得られないのか──イメージ概念史におけるクロソウスキーの位置」
15:50-16:30 千葉文夫(早稲田大学名誉教授)
「ロベルトの変容──情念定型とシークエンス」
全体討議 16:40-17:40
閉会の辞 17:40(17:45終了)
ピエール・クロソウスキー(1905―2001)は小説、思想、翻訳、絵画制作、演劇など多様な分野で活躍したフランスの表現者である。近年欧米でその重要度が再認識され、研究書や紹介本、雑誌特集号が相次いでいる。
とりわけ「シミュラークル」の概念で注目されているが、しかしその活動の全体像はいまだ十分に理解されているとは言えず、今回のシンポジウムもその点を汲んで、多様かつ特異な面を持つこの表現者への幅広いアプローチがめざされた。
企画および主催は、日本においてクロソウスキー研究の第一線で活躍中の大森晋輔氏(東京藝術大学准教授)であり、全体は三つのセッションに分けられ、各セッション二人の登壇者の発表によって午前中から順次進められた(なお予定されていた須田永遠氏は体調不良のため欠席された)。
各発表の詳細な内容は、水声社より刊行予定の報告論集にゆずるとして、ここでは題目と趣旨を簡潔に紹介するにとどめたい。
「セッションI .神(神々)との対峙」では、キリスト教信仰と多神教信仰をともに生きたクロソウスキーのまさに特異な神学思想に焦点が置かれた。まず大森晋輔氏が「クロソウスキーにおけるキルケゴール──1930年代後半の活動から」と題して、未開拓研究分野と言っていい初期クロソウスキーとキルケゴールの関わりにスポットをあて、キリスト教と「神の死」の問題を扱った。続いて酒井が「神と神々のゆくえ──20世紀フランス思想における神学の問題」と題して、クロソウスキーのニーチェ解釈の特徴、神的なものと「線の美学」の関係をバタイユと対比させるかたちで考察した。
「セッションII.倒錯と政治性」では性の思想および政治理念に関して近代に抗うクロソウスキーの面が照射された。まず、森元庸介氏(東京大学准教授)が「倒錯? 『我が隣人サド』から」において、サド論の複雑な航跡を丁寧に追いかけ、松本潤一郎氏(就実大学准教授)が「ニヒリスムと再神秘化──クロソウスキーの政治的思考」において、「陰謀」と「悪循環」の視点に立ちながら、これまで等閑に付されてきたクロソウスキーの社会的野心を果敢に論じた。
「セッションIII.イメージ」では、兼子正勝氏(電気通信大学教授)が「得られるのか,得られないのか──イメージ概念史におけるクロソウスキーの位置」において、広く現代思想を通観しながら大胆にクロソウスキーのイメージ論の位置付けをおこない、千葉文夫氏(早稲田大学名誉教授)が「ロベルトの変容──情念定型とシークエンス」で、クロソウスキーの世界におけるイメージの変化を貴重な画像や動画に拠りながら具体的かつ説得的に紹介した。
以上の発表によってクロソウスキーの多様性がすべて照らし出されたわけではないが、今後のための貴重な一歩になったと思う。今日、人文系のいろいろな分野で多様性というテーマが積極的に取り上げられている。その際懸念されるのは、多様性の個々の面への考察の細分化、特殊化、異なる面への無関心、と同時に横断的視点の欠落、統一像への軽視が生じている点である。この轍を踏まぬように留意して、クロソウスキーの豊かさが今後さらに開示されることを願っている。