翻訳

酒井健 (訳)

ジョルジュ・バタイユ(著)

呪われた部分

ちくま学芸文庫
2018年1月
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ジョルジュ・バタイユ(1897-1962)は20世紀フランスの総合的な著作家。本書は第二次世界大戦が終結してから4年後の1949年にミニュイ社より出版された。バタイユ自身に言わせれば、18年の考察の成果であり、経済学に「コペルニクス的転回」をもたらす野心作であった。その野心はあげて全般経済学と蕩尽の視点にかかっている。すなわち太陽エネルギーの恒常的な放射と、それによる地球全般のエネルギーの必然的余剰を念頭において、無益な消費を説く点にある。裏を返せば、生産と蓄積を第一義にかかげ、特定地域の繁栄と存続を期す近代経済学の狭さ、偏りへの批判、そして第三次世界大戦を招来しかねないその危険性への指摘が本書の特徴になっている。

全体の構成としては、最初の章で理論的考察が提示されたあと、生産と蕩尽の世界史巡礼が試みられている。すなわち太陽崇拝のもとに蕩尽に明け暮れたメキシコのアステカ文明、蕩尽を排した初期イスラムの軍事的社会、西欧近代の禁欲的かつ生産的なプロテスタント社会、軍事的対外伸長に不向きなチベットの宗教消費社会、ロシア革命以後のソヴィエト連邦の生産重視経済とその後進性および必然性、そしてアメリカのマーシャルプランの蕩尽的性格と続く。

こうしたなかでの著者の究極の願いは、各人が「内的体験」として余剰エネルギーの自己外放出を意識的に生きること、その必要性に覚醒することにある。この点で、本書の問題提起はいまだに傾聴に値すると思われる。市場のグローバル化、国際的経済投資が叫ばれ実施されて久しいが、その実、いささかも全般的な蕩尽はめざされておらず、特定の地域と国家の利権がよりいっそう狡猾に、あるいは露骨に、追求されているからである。意識改革を求めるバタイユの要請は、21世紀の今日でもまだ意義を持っているように思われる。

(酒井健)

広報委員長:横山太郎
広報委員:柿並良佑、白井史人、利根川由奈、原瑠璃彦、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2018年6月22日 発行