資本主義リアリズム
現代資本主義の心象風景を「リアリズム」として描き出す批評的エッセイ集。かつては保守主義を意味していたリアリズムが、ポストフォーディズム的生産条件の下では、より怪奇的なものへ進化したとフィッシャーは言う。途方もなくヴァーチャル化された市場の力によって脱領土化される政治・労働の諸現場に対し、それでもスマートかつ柔軟に順応せよと呼びかけるシニカルな理性が、資本主義リアリズムの正体だ。理念や思想には執着せず、人格も記憶も臨機応変に上書き保存できることが、この時代の健全なプレイヤーたちには求められる。しかし、何も信じない(ゆえに絶望もしない)現実主義者にとっては、終わりのない「今」と異なるヴィジョンを創造することができるのであろうか。
昨年に急逝した著者マーク・フィッシャーの目論見は、現代の政治文化に信用の危機をもたらした「リアリズム」の輪郭を把握し、突破することであった。映画、音楽、小説、そして日常的な生活場面をめぐって展開される彼の論はしかし、単なるネオリベラル資本主義の批判に尽きるものではない。むしろ、このレジームによって精神健康、家族生活、自然環境などの生態系が小刻みに破壊されていくことは百も承知である、しかし行動においては、その要請を淡々と受け入れつづける私たち自身が、この本の主役となっているように思われる。
私たち自身の主体性をとりまく、この関与否定と自己欺瞞の構造を「リアリズム」と名づけることは、些細なことなのかもしれない。だがこれだけでも、来るべき批評が破壊せねばならないターゲットは確実にロック・オンされたと私は思う。
(セバスチャン・ブロイ)