編著/共著

谷島貫太、松本健太郎(編著)

門林岳史研谷紀夫、ほか(分担執筆)

記録と記憶のメディア論

ナカニシヤ出版
2017年12月
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地球上に存在するすべての書物を所蔵する、という古代アレクサンドリア図書館の夢は、元々は電子図書館を構築するという動機からはじまったGoogleというサービスによって、半ば実現しつつある。体感的には、そういってしまいたくなるような環境にわたしたちは身を置いている。なんでも検索すれば見つけることができる。画像だって、動画だって、本人すらも忘れたどうでもいいつぶやきだって。なんともお手軽にありとあらゆる過去を呼び出せてしまう。過去を思い出すという営為が、簡単な文字入力とクリックへと還元されてしまったかのように。このような万能記憶を錯覚させる環境のなかで忘れ去られがちなのは、思い出すという営為の多様さ、面倒くささである。そして、過去の記憶は容易に、永遠に失われてしまうこともある、という端的な事実もまたそこでは忘れられがちとなる。

本書『記録と記憶のメディア論』がその出発点とするのは、過去の想起はそれを可能とするさまざまに固有なメディア群と、またそれらのメディア群と結びついたやはり固有の諸実践に由来する、というごくごく当り前の事実だ。くわえて、過去の想起を可能とする個々のメディアは、同時にそこで取り扱われる過去の失われ方を規定するものでもある。それぞれのメディアに記録された過去は、それぞれの作法によって呼び起こされると同時に、それぞれの作法で失われていきもする。過去の想起と忘却の可能性の条件となるこのメディアの次元に着目することで、本書は、個々のメディアにおける記録と記憶(想起)の諸実践を掘り下げていく。

大きく四つの切り口が用意されている。それぞれ第I部が「出来事の記録/記録の出来事」、第II部が「まなざしの記録/記録のまなざし」、第III部が「場所の記録/記録のまなざし」、第IV部が「編集の記録/記録の編集」と題され、各部ごとに三つの論考が収録されている。記録と記憶をめぐる問いには、再帰的な性質がどうしても幽霊のようにつきまとってしまう。記録と記憶をめぐる問いもまた、なんからのメディアによって記録される必要があるわけだが、そこで必要とされるメディアそのものが、問いのあり方の可能性の条件を構成することになるからだ。記録と記憶というテーマをめぐり、各論者が個々のメディア実践をとりあげ分析していったその知的格闘を記録した本書もまた、書物という特定のメディア形式をとっている。それゆえ必然的に、本書自体がいかなる記録の実践であるかもまた問われることになる。この永遠に開かれた問いへと分け入っていくためのコンパスは、この『記録と記憶のメディア論』そのなかに収められている。

(谷島貫太)

広報委員長:横山太郎
広報委員:柿並良佑、白井史人、利根川由奈、原瑠璃彦、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2018年6月22日 発行