編著/共著

大西巨人(著)

山口直孝、橋本あゆみ、石橋正孝(編)

歴史の総合者として 大西巨人未刊行批評集成

幻戯書房
2017年11月
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戦後文学はもちろん、明治以降の日本語文芸を代表する長編小説『神聖喜劇』の作者、大西巨人。その大西が97歳でこの世を去ってから、早4年の歳月が過ぎた。大西の小説作品の際立った特徴といえば、大量の引用、そして、メタフィクション的な形式の多用であり、一言でいってしまえば、「批評的」ということになる。特異な才能による「創造者」としてではなく、あくまで「読み手」の一人として文学に携わり、したがって、「作品」は「書き手」のものではなく、「読み手」によって共有されるべきものだとする「民主的」な姿勢を貫いた大西は、小説と批評の間にも一切の序列的な関係を認めなかった。例えば、今日出海と野間宏を批判するに当たり、石川淳の鷗外論にあった一節(「無意識にしろ俗情の嫌悪するところと結託してゐるのは文学の破滅である」)が、「俗情との結託」という極めて汎用性の高いキーワードに転用される時、われわれは、創造と批評の二項対立が鮮やかに揚棄される瞬間に立ち会うのだ。

とはいえ、大西の中で小説と批評の扱いにまったく違いがなかったわけではなく、先達である中野重治がそうであったように、その時々の情勢に対する論争的介入が批評の主戦場と見なされていたせいか、大西の死の時点で、単行本に収録されないまま取り残されてきた批評文はそれなりの数に上っていた。みすず書房から刊行された編年体の批評選集『大西巨人文選』以降の分については、著者の生前から準備が進められていた『日本人論争』(左右社、2014年)にその大部分がまとめられたが、とりわけ初期の批評に漏れが多く、アンケート類を含めたそれらを丹念に収集してきた二松学舎大学の山口直孝氏が中心となって、単行本未収録集成の企画が立てられ、幸いにも幻戯書房が刊行を引き受けてくれることとなった。『歴史の総合者として』というタイトルは、収録文の一つである「歴史の縮図 総合者として」が元になっている。

大西作品全般にいえることながら、論争的な性格の強い批評文はとりわけ、論者の思想的立場を明確にして書かれている。が、そこには教条的な偏狭さがなく、却って風通しのよい、開かれた議論が展開されている。大西と政治的立場を異にしている読者であっても、不思議と「居心地のよさ」を感じるはずで、それは、大西による主張の押しつけがなく、同じテクストを共有する読者の一人として遇されていることが感じられるからだ。なによりも、大西の一愛読者にすぎなかった三人が「編者」になったという成立経緯それ自体が本書の性格を雄弁に物語っており、作者の没後、その「読み手」としての姿をさらけ出す全蔵書を精査する機会に恵まれる中で本書の企画が生まれたこと、そして、この共同研究の成果が論集『大西巨人 文学と革命』(翰林書房、2018年)にこのほどまとめられたことを最後に一言しておきたい。まこと、「人は生きていた時と同じように死んでいる」(小沢信男)のだ。

(石橋正孝)

広報委員長:横山太郎
広報委員:柿並良佑、白井史人、利根川由奈、原瑠璃彦、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2018年6月22日 発行