歌舞伎と革命ロシア 一九二八年左団次一座訪ソ公演と日露演劇交流
二代目市川左團次(1880-1940)らによって、歌舞伎の海外公演が初めて実現したのが、スターリン政権下のソ連(1928年)であったことはあまり知られていない。本書は、この奇妙というべきほかない異文化交流の内実を解き明かそうとするものだ。
本書の原点というべきは、早稲田大学演劇博物館に所蔵されていた野崎韶夫資料である。野崎韶夫(1906-1995)は、ロシア演劇研究者として定年まで早稲田大学に勤務。1928年から32年にかけて、ソ連に留学していた。左團次のソビエト公演についても、記事や写真が丁寧に保存されている。
「貼込帳」と呼ばれるこのスクラップ・ブックに含まれる新聞・雑誌評は、本研究の中心的役割を果たした若手研究者たちによって分析・検討され、とくに重要なものは一部が本書の第3章に翻訳されている。上記資料をもとに、歌舞伎ソビエト公演を読み解くための論考が第1章に、そして分脈としての日露舞台芸術交流を扱った論考が第2章に、それぞれ4編ずつ収録。全体として、とても重厚な書物に仕上がった。
本書は、上田洋子の「あとがき」にもあるように、早稲田大学演劇映像学連携研究拠点における公募研究などを通じた共同研究の成果でもある。まだ専任の職をもたない若手研究者たちが結集し、野崎の遺した厖大な資料を前に方法論を定めて研究会で議論を重ね、歌舞伎研究者や国外の研究者の協力を得ながら、こうして一冊の本が完成したというモデルケースは、人文学における他分野の研究者の励みともなるのではないか。
ところで、一昨年の日露首脳会談を受けて、本年5月より「ロシアにおける日本年」がはじまった。訪ソ歌舞伎公演からは90年目という今年、9月9日から15日までモスソビエト劇場(モスクワ)、9月19日から22日までボリショイドラマ劇場(サンクトペテルブルク)にて「近松座」による訪露公演が行われることになっている。ロシアでの歌舞伎公演は通算で5回目に当たるが、今回は90年前と同じ2都市で、近松門左衛門の『傾城反魂香』と『吉野山』が上演される。団長を務める松竹の迫本淳一社長の母方の祖父に当たるのが、本書で言及される訪ソ公演の団長であった城戸四郎である。
(堀切克洋)