リメイク映画の創造力
本書は、日本語の学術書として初めて刊行された「リメイク映画」についての論文集である。歴史を遡れば、映画を再び作り直す行為は頻繁におこなわれてきたが、ほとんどが「創造力の欠如」や「単なる焼き増し」という烙印を押され、評価に値しないものとして片付けられてきた。変化の兆しが見え始めたのが、1980年代後半から90年代前半にかけて、いくつか製作されたフランス映画を原作とするハリウッド・リメイクの存在である。それを契機として英語圏でリメイク映画についての論集が刊行された。さらにそのリメイク映画製作/研究の流れを加速化させたのが、『リング』(1998)のハリウッド・リメイク『ザ・リング』(2002)の予想をはるかに上回る興行収入であり、よく知られるように「ジャパニーズ・ホラー」ブームを巻き起こした。かくしてハリウッドでは2000年代にアジア諸国や欧州諸国の良質なシナリオに目をつけ、頻繁にハリウッド・リメイクするような傾向が生まれたのである。そしてそれにともないリメイク映画の本格的な研究も英語圏を中心に進められている。
近年の年間の興行収入の成績を見渡せば、日本でも今や上位にランキングする作品のほとんどが、漫画やアニメ、テレビドラマを行き来しながら製作されるシリーズものやリメイク(リブート/リビルドなどと言い換えられもする)、すなわち、媒体を変えたり、続編というかたちで時間軸を引き延ばしたりすることで、同じ世界観を再提示する物語の再構築である。こうした傾向は、ハリウッド映画でも日本映画でも見出せる。しかしながら、日本ではリメイク映画に関する研究は英語圏に比べてはるかに遅れ、ほとんど着手すらされていない状況であった。『リメイク映画の創造力』は、こうした問題意識のなかで編まれた書物である。
序章では、「リメイク」という用語が、メディアが多岐化した現代の映像文化にあって、いかに捉えがたい概念であるかを検証し、ハリウッド・リメイクや古典映画のリメイクを題材に研究動向を紹介する。その上で、「リメイク」という実践に関わる理論的枠組みとして、これまで主流であったアプローチである作家主義的な間テクスト性(インターテクスチュアリティ)にとどまらない製作や受容の身体性を踏まえた多角的アプローチを提示する。序説をのぞけば、本書は7本の論文で構成されている。以下に簡単ながら、それぞれの論文を紹介していこう。
第1章の小川佐和子は、ドイツの『憲兵モエビウス』(1914)が、日本の土着的な演劇ジャンルを経由して、当時の外国映画における最先端の技法を取り込みつつ、日本最初期の「リメイク」といえる『大尉の娘』(1917)で、どのように再創造されたのかを明らかにする。
第2章の木下千花は、戦前の溝口健二の『残菊物語』(1939)を対象に、映画産業/受容言説の双方から、戦後に製作された同名作品を「リメイク」と呼ぶことの困難性を明らかにする。その上で、芸道物や明治物を発展させた溝口映画の間テクスト・ネットワークを撮影所システムの文脈に歴史的に位置づけ、いかに溝口作品が、変奏・横領されながら「廓物」というサイクル/ジャンル形成に寄与したかを分析する。
第3章の渡邉大輔は、小津安二郎の「セルフ・リメイク」と呼べるサウンド版『浮草物語』(1934)と『浮草』(1959)を比較しながら、サイレントからトーキーの移行期/カラー化・シネマスコープ化という技術革新と表象コードの転換期に、小津がどのように映画史のメディア技術の変遷と格闘したのかを比較検討する。
第4章の志村三代子は、大岡昇平の小説を映画化した市川崑と塚本晋也の『野火』(1959/2015)を比較し、権力の暴力性を可視化しようとした市川版に対して、「加害者」意識に突き動かされながら戦争の不条理さを映像化した塚本版の、大岡の原作とも通底する作家性を浮き彫りにする。
第5章の北村匡平は、遠藤周作の『沈黙』を映画化した二人の作家、篠田正浩とマーティン・スコセッシがどのように小説を解釈し、映像表現を実践していたのかをテクスト分析することで、「宗教」というモチーフを異なる文化圏の作家がどのように視聴覚化したのか、それがどのような効果としてスクリーンに刻印されているのかを分析する。
第6章の鷲谷花は、黒澤時代劇における「男同士の絆」に着目し、ハリウッドで「異性愛ロマンスの成就」へと書き換えられていくテクストから黒澤映画を照らすことで、そこに潜在していた「異性愛主義の回避」や「男同士のロマンス」といった豊かなテクストを救い出す。
第7章の川崎公平は、戦後日本の怪談映画における「女の幽霊」の現れ方、その運動性に焦点をあて、いかに「呪いの運動」が作動してきたのかを分析する。そうすることによって、『リング』におけるホラーの潜勢的な力動性や、ハリウッド・リメイク『ザ・リング』における現勢的な運動への志向を明らかにする。
以上のように、本書ではリメイク映画研究の主流のアプローチであった作家主義的なテクストの比較から、映画産業やジャンル論、あるいは間メディア性や受容言説まで多角的な視点から分析されている。とはいえ、日本におけるリメイク映画研究は緒についたばかりである。今後もリメイク映画の事例研究が豊富に生まれ、映画/映像史が更新されていくことが期待される。
(北村匡平)