関連イベント 国立新美術館 ジャコメッティ展
■ 講演会
「空間の理論」
オリヴィエ・キャプラン(マーグ財団美術館 館長)
日時:2017年6月14日(水)14:00-15:30
会場:国立新美術館 講堂
「ジャコメッティの彫刻とそのモデルとしての矢内原伊作」
武田昭彦(美術評論家)
日時:2017年7月2日(日)14:00-15:30
会場:国立新美術館 講堂
「アルベルト・ジャコメッティと詩人たち」
桑田光平(東京大学 准教授)
日時:2017年7月21日(金) 18:00-19:00
会場:国立新美術館 講堂
「ジャコメッティ彫刻の時空間」
横山由季子(国立新美術館アソシエイトフェロー、本展企画者)
日時:2017年8月18日(金)18:00-19:00
会場:国立新美術館 講堂
■ 対談
「ジャコメッティを眺めてあれこれ考えてみる」
袴田京太朗(彫刻家)×冨井大裕(美術家)
日時:2017年7月15日(土)17:00-19:00
会場:国立新美術館 研修室AB
国立新美術館で2017年6月14日(水)から9月4日(月)まで開催されたジャコメッティ展の会期中、いくつかの関連イベントを企画した。アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)はすでに生前から高く評価され、その死後も、美術史家だけでなく、哲学者や文学者など、造形芸術の枠組みを超えて、多くの人びとに影響を与え続けている。さらに没後半世紀を経た今日では、ヨーロッパをはじめ、中東、アジア、南米、アフリカといったさまざまな地域で個展が開催され、文字通り世界的な名声を確立しつつあると言ってよい。こうした状況にあって、この度の一連の講演会や対談は、いまいちどジャコメッティの作品そのものに立ち戻るとともに、実際の作品を前にして今何を語ることができるのかを考える機会となった。
マーグ財団美術館の館長オリヴィエ・キャプラン氏は、財団に残されたクロッキーを出発点に、ジャコメッティが素描や彫刻において長年取り組み続けてきた、人間のもっとも根源的な動作としての「歩く男」の変遷をたどり、「在る」と同時に「無い」空間のあり方こそジャコメッティ芸術の本質ではないかと問いかけた。続く武田昭彦氏は、ジャコメッティの初期から晩年までを俯瞰しつつ、本展には出品の叶わなかった矢内原伊作の彫刻や油彩を取り上げ、それらがモデルの頭蓋骨を基盤に制作されている点を強調した。桑田光平氏は、アンドレ・デュブーシェがジャコメッティの作品について語った「衝撃(saississement)」という言葉に自身の体験を重ね、作品だけでなく作家の言葉、詩人たちの言葉を含めた総体としてのジャコメッティの姿を浮き彫りにした。横山はジャコメッティのヴィジョンにおける「非連続の連続」の要素に着目し、その作品にみられるモデルの同一性の解体のプロセスを探った。研究者による講演会に加えて、彫刻家の袴田京太朗氏と美術家の冨井大裕氏による対談も実現し、ジャコメッティの作品が孕む様々な問いについての議論を開く場となった。二人の実作者によって展開されたこの対談について、以下に紹介したい。
––––ジャコメッティとの出会い
冨井 ジャコメッティに出会うのは予備校時代ですよね。反応としては2種類あって、一方はジャコメッティの実存的な方向にぐっとひっぱられて、彫刻をやりたいという人が7割くらい。袴田さんはその反対の3割の側だったんじゃないですか。
袴田 たしかに予備校生の頃に出会いました。かなりストイックな生活をしていて、デッサン描いて、粘土で塑像作って、その繰り返し。そういうなかで、自分の満たされない感覚を別の場所に運んでくれる存在として、ジャコメッティと出会いました。こんなに小さな場所で、毎日同じことをやっているのに、ある種の精神性のようなものに到達してる人がいるんだ、と。そこにかなり救いを求めました。
冨井 彫刻を勉強し始めた頃の僕たちのジャコメッティのイメージって、シュルレアリスム以降の、細長い人物像を作っていた時期だと思うんですけど、僕は、そんなジャコメッティが彫刻を全部背負っちゃってるという感じに疑問を持っていました。
袴田 彫刻やっている人たちってみんな、ジャコメッティ病にかかるものだと思ってたけど、かからない人の方がめずらしいんじゃない?
冨井 青春感強すぎて、そこにちょっと反抗してしまいましたね。
袴田 冨井くんの世代はみんなそんな感じ?
冨井 いや、7、8割は青春してたと思います。周りで反対してるのは僕だけでしたね。ただ気になる存在としてずっと頭の隅にいたことは否定できないです。
袴田 僕は大学に入って意識が変りました。大学に入る前は、モデルさんを見て作って一生を終えても良いと思ってたんですよ。それが途中から何か違うな、という風になってきて、だんだん別の方向にいったので。
冨井 そもそもジャコメッティの彫刻って、正統な塑像ですかね。僕たちが習ったいわゆる「像ヲ作ルノ術」とはまったく違いますよね。それも僕にはひっかかってたんでしょうね。彫刻を学んでるときに、ジャコメッティの細い像も彫刻だと言われて、そこにズレを感じたというか。
––––垂直像と地山
冨井 僕が引込線2013(旧所沢市立第2学校給食センター、2013年8月31日-9月23日)で展示した作品《垂直さん》は、実際作るときにジャコメッティみたいなものを意識しました。
袴田 この作品見たときは全然つながらなかったけど、言われると確かに形状似てる。(笑)
冨井 ジャコメッティの彫刻って垂直像の代名詞のように言われるけど、実際には捻じれてたり斜めになってたりするわけじゃないですか。そうすると、ジャコメッティが垂直像といわれる所以がどこからきているのかと考えたときに、地山かなと。地山っていうのは…
袴田 人体彫刻をつくるときに、足の部分についてる土台みたいなもので、彫刻をやってる人間はそれを台座と区分しています。地山をそのまま床の上に置く場合もあるし、台座に乗せる場合もある。台座より作品に近いけど、完全に作品でもないような、不思議な存在。ゼロ地点だね。作品であって作品じゃないみたいな。
冨井 地山を適当にやると怒られるけど、やりすぎてもいけないという。だけどジャコメッティみたいな細い像の場合は、地山がないと成り立たない。ジャコメッティに斜めの地山が多いのは、制作上の理由もあるんじゃないかなと。
袴田 台の上に金属の心棒を立てて粘土をつけて彫刻を作っていくとき、地山を高くしたり低くしたりすることで、足のバランスを調整できる。
冨井 彫刻家の柳原義達さんもフランスで学んで、彫刻が立つということを追求した人ですが、本来は人体が立つなんてありえない。皆さんは自分の意思で立ってるわけです。
袴田 立とうとし続けてる、運動だということですね。
冨井 そんなわけで、僕たちも人体を作る時に「立たなきゃいかん」とか言われて。ジャコメッティの彫刻はそういうあり方ではないですよね。
袴田 大学で立像を作るときに最初に学ぶのは、「片足重心」と言って、どちらかに重心を置いてバランスを取ることなんだけど、ジャコメッティみたいにまっすぐ立ってる「両足重心」の立像って、よく考えると他にあんまりないよね。
––––ジャコメッティを真似てみる
袴田 僕は若い頃にジャコメッティに傾倒してたんだけど、大学に入って色々なことを知るようになると、ある種の精神性みたいなものがどうも胡散臭く思えてきて。それで自分の制作と距離をおくようになって、20年くらいはブランクがありました。だけど、2006年に東京国立近代美術館の保坂健二朗さん監修の『芸術新潮』でジャコメッティが特集されていて、この彫刻家をちゃんと考えてみる必要があるとい思い直して。
冨井 じゃあきっかけは2006年頃で、形にするまでに結構時間がかかったんですね。
袴田 そう、それで2016 年にジャコメッティをモチーフにした作品を作って。(表参道のvoid+で開催された「Unknown Sculpture Series No.7 #1 袴田京太朗 『立つ女-複製』」展(2017年11月28日-12月22日)に出品)。高さが3メートルくらい。複製っていう言い方をしてるんですけど、ある一つの形を作ったらそれを二つに切り分けて、それぞれの欠けた部分を積層したアクリル板で補う、という作り方をしています。『芸術新潮』の一ページに大きな写真が載っていた作品を選びました。
冨井 何でも良かったんですか、ジャコメッティなら?
袴田 まあ、ジャコメッティらしい作品なら。ジャコメッティを真似して作ってみるってものすごくバカバカしい感じがするでしょ?ちょっとやっちゃいけないことというか。しかもちゃんとした資料もなしに一枚の写真だけで作るっていうのも、何重にもタブーが重なってる感じで。
冨井 もちろん比率は…同じ大きさなんですよね?
袴田 いや、実際の大きさは170センチくらい。それを倍くらいに伸ばしてる。
冨井 何で倍にしちゃったんですか。
袴田 それは発表したギャラリーがすごく狭い空間で、天井の高さが2メートルちょっとくらい。そこで何をやるか考えたときに、ここに立たないものを作ろうと。
冨井 ジャコメッティらしさというのは垂直性にあるわけじゃなかった?
袴田 いや、垂直に立ってなかったらジャコメッティじゃなくなることを逆に利用したというか。でも何でみんな、垂直性を彫刻的だと信じてるんだろうというのはあるかな。
––––正面と背面
袴田 僕の作品で、壁に人型の彫刻がくっついているシリーズがあるんですけど、この作品を見た美術関係の人が色々な意味で彫刻として壊れている、と。人型なのに立っていなかったり、正面じゃなくて背面を見せていたり。
冨井 背面だとレリーフ的な印象がありますね。ジャコメッティは正面ばっかり作ってますよね。横と後ろ全然作ってないじゃないですか。心棒に粘土をつけた時の感覚として終わってるというか。
袴田 国立新美術館のジャコメッティ展の出品作でいうと、胸像が並んでるところがあったじゃない。豊田市美術館の《ディエゴの胸像》(1954年)とか、裏側見るとびっくりするくらい作ってない。ほとんど粘土のまま残ってる。それがさっき話に出た地山に近いというか。作者の意識が抜けていて、彫刻じゃない部分が、彫刻の中に入り込んでるというか。
冨井 そういう風に考えると、胴体も地山に近い気がします。顔面に集中するために必要な処置として、ざっくり胴体とか作ってるのかなあと。
袴田 それはどちらかというとマイナスで語られることの方が多いかもしれないけど、そこにジャコメッティらしさがある。他の彫刻家は絶対そんなことしない。
冨井 あの時代はしないですね、少なくとも。でもジャコメッティのシュルレアリスム時代の作品はやたら端正で。たとえば《見つめる頭部》は、側面がちょっと膨らんでいたり、入り込みがあったり、首像としてよくできています。同じ時代のマックス・エルンストやミロはもっと適当ですよ。でもジャコメッティは裏側も横もきっちり作っていて。そういう人が裏側を作らないのは意味があるんじゃないかな。
袴田 ロダンくらいの頃は、何を作るかが重要であって、粘土はメディウムでしかなかった。ジャコメッティは粘土の発見の仕方が、感覚的なものかもしれないけど、すごく現代的というか。粘土という素材自体が顕在化するような扱い方をしてる。
––––空間の索敵
冨井 チェース・マンハッタン銀行のために制作した《歩く男》(1960年)の、足の下に心棒が見えてる。あれだけはちょっと理由が分からない。この作品は心棒の針金に石膏をそのままつけてるんだけど、最初から《歩く男》を作ることを考えてたなら、かかとに合わせて心棒を曲げておいても良いし、隙間を埋めても良かった。
袴田 しかもかかとから頭まで一本の棒が突き抜けてる。粘土で作っていると心棒が出てきちゃうことがあって、それはある種失敗なんだけど、石膏取りをする段階で、削って排除することができる。でもそれをしてない。
冨井 あえて残してるんですね。垂直像も含めて、ジャコメッティの彫刻は人間であるってことも大事だけど、それ以上にある空間を索敵するための棒という感じもする。でもただの棒ではダメで、彼は細部を作ってしまう。そういう風に捉えると、テーブル状の台の上に複数の人が立ってる作品も説明がつく。あの関係の中で人物像があるのかなと。それから油彩には必ずフレームがついてますよね。小さい像にはやたら大きい地山がついてる。ああいうものも、空間をフレーミングするためのものだったのかなあと。
袴田 そういう空間上の広がりのことでいうと、ロザリンド・クラウスがジャコメッティについて書いた「ノー・モア・プレイ」という論文があります。クラウスはシュルレアリスム時代の作品をすごく評価してるんだけど、垂直像を作り始めて以降の作品を全否定してるんですね。《ノー・モア・プレイ》のような初期の作品において、水平に場が広がっているというのと、形も決定しておらず変化していくという点にクラウスは革新性を見出している。それに対して垂直像はモニュメンタルで、モダンな精神性でしかないと。それでさっきの話に戻すと、ジャコメッティの垂直に立っている像が複数集まると、場ができて水平な広がりがでてくる。だから初期の試みと、垂直像を作るようになってからは基本的には変わってない。
冨井 その話で連想されるのは、ランドアートで知られるウォルター・デ・マリアの《ライトニング・フィールド》です。これはニューメキシコの砂漠に避雷針を建てたというもので、雷が落ちてくるかもしれないという環境そのものを考える作品。環境の空気を考える、そういうものとしてジャコメッティの作品もあるんじゃないかな。
袴田 そう考えると細いことも説明がつくよね。細いことで、空間の方が主体になる。
冨井 チェース・マンハッタン銀行の作品も、ビルの高さがアトリエの高さと設定すると、その中でどういうふうに像が立っているか、という問題として捉えられる。銀行の広場を一つのフィールドと捉えていたんでしょうね。
––––粘土の話
袴田 ジャコメッティの作品を模刻していた時に、最初は輪郭的に似せようと頑張ったんだけど、なかなか勢いが出ない。それで一度粘土を落として、何となくこういう感じだよなってやると、意外と似てきたりして。
冨井 粘土って深度がありますからね。押していくときの。それが石膏とは違う。
袴田 僕は木の心棒を使って、天井と床で固定して作っていたんだけど、それでもすごいグラグラするんです。粘土って常に柔らかい状態をキープしないといけないから。ジャコメッティは鉄の細い心棒を使ってたから、もっと揺れてたはずなんですよ。グラグラしながら作っている映像も残ってますが、その感じも良いよね。
冨井 それから粘土を削いでいる感じも多い。鉄のヘラでデッサンした結果ああなっちゃったんじゃないかな。油絵のデッサンとあまり変わらないですよね。物理的には粘土はどんどん削がれて細長くなっていくけど、油絵は絵の具が盛り上がっていく、そのメディウムの違い。粘土って皮膚っぽいというか、僕の感覚だと、内圧と外圧の関係の間にあるもののような気がします。その点で、肖像と人体は切り分けて考えないといけない。
袴田 モデルを使うのはジャコメッティの中ではスタディというか、自分の中にイメージを蓄えていくためのもので、本当にやりたいことは、まっすぐ立ってる不定形なものを空間の中にどう位置付けるか、ということだったんじゃないかな。
冨井 そうですよね。細部を捨てないから、棒にはならないけど。
袴田 《ヴェネツィアの女》(1956年)なんかも、いろいろなヴァリエーションがありますよね。しかもこれは一つの心棒と粘土から複数の像の型を取ったという。
冨井 終わらないっていうことが前提としてありますよね。結末を持たない。
袴田 そこを絶対の探求って言っちゃうと、ちょっと違うんだよね。それがある種の不安定さを生んだり、決定されない形がずっと続いていくみたいな、そういうものとして捉えたい。
(横山由季子)