「食人」は可能か オズワルド・ヂ・アンドラーヂの〈食人の思想〉についてのノート
近年、日本では「人類学の転回」シリーズ(水声社)の刊行などいわゆる存在論的転回以後の人類学が盛んに紹介されている。雑誌『現代思想』や『思想』での人類学(者)特集に見られるように、こうした紹介は人類学の分野にとどまらず哲学的な議論へも敷衍されている。本研究ノートで扱うのは、同じブラジルを舞台としながら人類学者エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロらが扱うインディオの食人習慣とはほとんど関係しない、芸術運動における「食人」である。ここで私が試みるのは、ブラジルの批評家、作家オズワルド・ヂ・アンドラーヂの〈食人の思想〉における食人の主題にまつわる問題を示し、それを解決するものとしてこの思想と視覚芸術との結びつきを仮説的に提示するものである。
モダニズム盛んなりし1920年代ブラジルにおいて、1928年から29年にかけて雑誌『食人』を中心にした前衛芸術運動があった。これが食人運動である。その中心人物のひとりがオズワルド・ヂ・アンドラーヂ*1。彼は、この雑誌の第一号に断章形式の芸術マニフェスト「食人宣言」(“Manifesto Antropófago”, 1928)を発表し、食人をモチーフとすることで西洋の模倣ではなくブラジル独自の文化を創造することを提起した*2。この食人の思想はその後のブラジル文化、芸術に強い影響を与え、1998年の第24回サンパウロ・ビエンナーレにて総括されるに至っている*3。
*1 ただし、アンドラーヂが雑誌『食人』に文章を掲載したのは全二十六号のうち三度に過ぎない。
*2 「食人宣言」には以下の二種類の邦訳がある。居村匠訳「食人宣言」『美学芸術学論集』13号、2017年、112-125頁;都留ドゥヴォー恵美里訳「食人宣言」『日系ブラジル人芸術と〈食人〉の思想:創造と共生の軌跡を追う』三元社、2017年、資料43-53頁。
*3 食人の思想の展開を考えるものとして、ブラジルの芸術家エリオ・オイチシカの作品《トロピカリア》(Tropicália, 1967)を分析した以下の拙論がある。居村匠「エリオ・オイチシカ《トロピカリア》における侵襲性と食人の思想」『美学』251号、85-96頁。
このビエンナーレは、食人の思想をもとに展開されたものであるが、そのテーマ「um e/entre outro/s(one and/between other/s)」を見ても分かるように、この思想は主体論/他者論に関わるものとして扱われている。例えば、ビエンナーレのカタログに掲載された最初の論考はブラジルの精神分析家スエリー・ロルニクによるものである。ロルニクはフェリックス・ガタリと二冊の共著があり、美術批評もおこなっている人物だ。彼女は、極度に流動的な現代社会への抵抗として食人的な主体性構築の必要性を訴え、その特徴を描きだしている(Suely Rolnik, “Subjetividade antropofágia”, 1998.)。
主体論/他者論として食人の思想を扱うこうした読解は魅力的なものであるが、そこではある問題が等閑視されている。その問題とは、私たちにとって「食人」は可能か、ということである。より正確に言えば、次のようになる。「食人の思想」における食人の主題に固有の意義を認めるかたちでの、「食人」の実践はありうるだろうか。これがここでの私の問いである。
まず、食人を「狭義の食人」と「広義の食人」とに分けよう。狭義の食人とは字義通りの食人、人肉を物理的に食べることを意味する。食人をこのように狭い意味に限定するならば、およそアンドラーヂを含むわたしたち現代人にとり食人はなし得ず、食人の思想における「食人」という主題もまた意味をなさない。この「食人」になんらかの積極的意味を見出すならば、私たちは広義の食人を考えることになる。
広義の食人とは、広く他者の一部を自身のうちに取り込むこと(レヴィ=ストロース「われらみな食人種」(2008年)での議論を参照)ないし「他性へと身をさらすこと(expor-se à alteridade)」(Rolnik, p.132)を意味する。これは象徴的な食人であると言える。この観点からすると、現代の私たちにとっても食人的態度や食人的実践がありうる。ロルニクが、他者との縁組(alianças)と混入(contágios/contaminação)をつうじた生成を食人的主体性の特徴のひとつとするとき(Rolnik, p. 133)、そこでの食人は象徴的なものである。このとき食人というテーマは遍在し、インディオの食人習慣は現代の私たちにも示唆を与えるものとなる。しかし、ロルニクの語いにドゥルーズ=ガタリ、ヴィヴェイロス・デ・カストロの響きがあるように*4、象徴的な食人という立場から見ると食人の思想の思想的な特殊性は薄れる。つまり、字義通りの食人においても、象徴的食人においても、食人の思想における食人の主題に積極的な意味を見出すことはできないということである。これが食人の思想において見逃されている問題、食人の可能性をめぐるジレンマである。
*4 『千のプラトー』でのドゥルーズ=ガタリによる「縁組/連携」の重視とヴィヴェイロス・デ・カストロによるその評価について、次の論文を参照。檜垣立哉「ヴィヴェイロス・デ・カストロにおけるドゥルーズ=ガタリ」『思想』1124号、2017年、6-14頁。
アンドラーヂ自身は「食人宣言」において食人をどのようなものとして考えていたのか。宣言は、食人という「タブーのトーテムへの変形(A transfiguração do Tabú em totem)」(「食人宣言」断章37)を主張する。これは、食人を不可能なもの(禁止されているとともに、そもそも行うことができないもの)として据え、それを中心に独自のブラジル文化を構築することである。これは字義通りの食人でも、象徴的な食人でもない。宣言において食人は否定的にしか存在しない。
では、食人の思想に食人はありえず、食人者も存在しないのか。それはアンドラーヂの意図するところではない。高級/低級な食人の区別(断章49)など、彼はなんらかのかたちでの食人を構想していたと言えるからだ。だが、「食人」の実現可能性は宣言においても明示されていないように思われる。「食人だけが私たちをひとつにする」(断章1)。では、どうやって。
ここで、アンドラーヂが同時代の芸術動向のなかで食人の思想を構想したということを想起しよう。彼はブレーズ・サンドラールをはじめ、ダダ、シュルレアリスムといった西洋の前衛芸術家たちと交流をもっていた*5。また、アンドラーヂが当時パートナーであった画家、タルシラ・ド・アマラルとの協働によってこの思想の着想を得たことは知られるところである(Madureira 2004, p. 97)。食人運動は文芸運動であったが、それは同時代的な視覚芸術のモダニズムとも共にあった。
*5 次の文献の、とりわけ一章を参照。アンドラーヂと西洋前衛との交流や、食人という主題がすでに西洋前衛の作品に見られることが指摘されている。その上で、ヌネスはアンドラーヂの思想のオリジナリティを社会への徹底した批判にあると考えている(Nunes 1979, p. 36)。Benedito Nunes, Oswald Canibal, São Paulo, Editora Perspectiva, 1979.
こうした事実を踏まえると、宣言に視覚的イメージや身体イメージの喚起を見出すことができる。詳細な分析は省くが、「魂は身体なき魂を理解するのを拒否する」(断章16)、「輸血」(断章30)、「食人の本能にとっての温度計の目盛り」(断章49)などである。また、宣言には挿画としてアマラルによる絵画《アバポル》(Abaporu, 1928)が掲載された(図)。アバポルとは人を食べる人を意味しており、ここでこの絵は食人者の理想的な身体として機能していると考えられる。このことから、食人の思想にとっての視覚芸術、とりわけ身体イメージの重要性を指摘できる。
仮説的に結論を述べるならば、食人の思想にとって視覚芸術こそが、不可能事としての食人にもとづく思想を実装しうるのである。つまり、字義通りにでも、象徴的にでもないかたちでの「食人」の実践が、イメージの次元にこそ存在するのではないかということである*6。宣言の分析にもとづく食人の思想と視覚芸術との結びつきについては、稿を改めて明らかにする。「食人」の可能性を考えることは、この思想の破壊と生成のポテンシャルを十分に引き出すための条件であり、それこそが私たちの生を実際に他なるものにするのだと私は考えている。