関連企画1 歴史の総合者とは何か? 『歴史の総合者として──大西巨人未刊行批評集成』(幻戯書房)の刊行を記念して
日時:2017年11月10日(金)19:00–21:00
場所:池袋ジュンク堂本店イベントスペース
歴史の総合者とは何か?
──『歴史の総合者として──大西巨人未刊行批評集成』(幻戯書房)の刊行を記念して
発表:石橋正孝(立教大学)、橋本あゆみ(早稲田大学)、山口直孝(二松学舎大学)
司会:國分功一郎(高崎経済大学)
参加費:1000円
*要事前予約
申込先:ジュンク堂書店池袋本店 受付1階案内カウンターにて(電話予約は03-5956-6111 まで)
去る2017年11月10日、表象文化論学会第12回研究発表集会のプレイベントとして、小説家大西巨人を巡るトークイベントが開催された。これまで単行本に未収録であった大西の批評を集録した『歴史の総合者』(幻戯書房)の発売を記念してのことである。壇上に上がったのは同批評集を編集した山口直孝、橋本あゆみ、石橋正孝の三氏である。私、國分が司会を務めた。
「単行本未収録」という謳い文句を聞くと、人はすぐさま、それ自体としては価値のない出涸らしをファンのためにまとめたものという印象を抱くであろう。最初に述べなければならないのは、『歴史の総合者として』がそのような印象とは何の関係ももたない書物だということである。山口氏が解説で述べられているように、その中に収められた批評文が書籍化の機会に恵まれなかったのは、掲載誌が大西の手元になかった等々の外的事情故のことである。ゲオルギウの小説を批判的に論じた長大な批評「寓話的=牧歌的な様式の秘密」、最初期の決意文「歴史の縮図──総合者として」など、挙げればきりがないのだが、ここに収められた文はそのいずれもが大西の全力投球を感じさせるものである。
イベントではまず山口氏が、まさしく大西における批評の位置について鋭い仮説を提示した。大西は先ほど紹介した1947年の決意文「歴史の縮図──総合者として」で、文学者としての自分は主として小説を書き、必要に応じて批評の仕事をするとの旨を述べている。ところが実際には50年前後、大西の小説家としての活動はブランクの時期にあるといってよく、むしろ批評の活動に重点が置かれている。それはなぜか? 大西の代表作『神聖喜劇』は戦中の体験を踏まえているのだから、実際には戦後すぐにそれを書こうと思えば書けたはずである。ところがその執筆も完成も先送りされる。同小説が完成したのは1980年のことである。
山口は大西がこの時期、海外の抵抗文学、あるいは革命文学とでも呼ぶべきものを数多く紹介し、また批評している事実に注目する。大西自身もまたそうした文学を目指していたのかもしれない。しかし、日本に生きてきた大西は、フランスやチェコの文学者と同じ立ち位置でそうした文学を志すことはできない。なぜならば自分はファシズム体制の一躍を担っていた国の人間だからである。しかもその体制はいつ現実に、あるいは言葉、文学の中に復活するかも分からないのである。批評活動を通じて、その現実と対決することなくしては、自分は自らの決意した文学活動、すなわち小説の執筆に向かうことはできない──大西の無意識にはそのようなもう一つの「決意」があったのではないか、というのが山口のきわめて説得力のある仮説である。大西は大きな廻り道を強いられた。ならば、大西の読者もまた、おそらく、その小説を読もうとするならば、『歴史の総合者として』集録の諸批評文をはじめとした大西の批評を読むという「廻り道」を強いられるのではなかろうか。
山口氏が大西の批評活動をいわば正面から位置づけて見せたとすれば、続く橋本氏は、一見したところ脇にあると思われる問題に注目してみせたと言えるだろう。氏が取り上げたテーマは、なんと入試である。実は入試が大西にとって重大な問題であったことは、少なからぬ大西の読者が知るところである。血友病という障害を抱える長男大西赤人氏が、筆記試験では優に合格圏内に届いていたにもかかわらず埼玉県立浦和高校に同校への入学を拒否されたことについて、大西は活発な言論活動を通じてこれを批判した。多くの読者は大西のこのときの言論活動をもっぱら「権利を巡る闘争」と捉えているように思われるし、それは間違いではない。しかし橋本氏はこの論点を大きく拡張してみせる。
実は『歴史の総合者として』もまた入試と奇妙な関係のうちにある。冒頭部分には、終戦直後の入試において横行していた贈収賄を批判した「中等入試の不正を暴く」との短文が集録されている。またこの本の最後には、成績優秀な生徒が、ほとんど誰も利用していない飛び級制度を利用して中学校を受験しようとするけれども、中学校の側がこの生徒を見くびって入試でも彼をまともに扱おうとしないという何とも奇妙な情景を描いた「奇妙な入試情景」という小説が集録されている。橋本は自分の能力に応じた教育を受け、勉強できることは正当な権利であるとの考えが大西の構想するデモクラシーの根幹にあったのではないかと指摘する。大西の世代の左派知識人たちは、インテリであることをむしろ恥じた。しかし大西はそのようなインテリコンプレックスとは無縁の人間であった。むしろインテリゲンチャはインテリゲンチャとして思考し活動せねばならないのだし、デモクラシーの制度はそれをバックアップするものでなければならない。大西にはそのような確信があったのではないか。 意表を突く、実に鋭い指摘だと言わねばならない。
石橋氏は氏の専門とするフランス文学、特にそこでの小説誕生時の事情を参考にしながら、大西巨人における小説と批評の関係という原理的な考察を行った。批評は読み手が読み手として書いている。それに対し、小説はまるで「無からの創造」であるかのように思われている。この違いが実にわかりやすい仕方で現れているのが、批評では引用が許されるが、小説ではそれが許されないというルールに他ならない。特にフランスではこのルールは強力であり、たとえば石橋氏も強い関心を寄せているフランスの小説家ミシェル・ビュトールなどは、そのことに嫌気がさして、たった4本を書いただけで小説を書くのをやめてしまう。
ここで大西巨人の読者ならば、大西の小説ではごく当たり前のように引用が、それも大量の引用が行われている事実に思い至るに違いない。大西は小説と批評の間に本質的な差異を認めないと明言していた。それは大西が小説であろうと批評であろうと、常に読み手として書いていたことを意味する。そもそも、「無からの創造」としての小説という観念そのものがフェイクであって、石橋氏がバルザックなど小説勃興期の作家を例にして説明したように、小説は作家が読み手であるという当たり前の事実を隠蔽して成立したのである。そこから見た時、大西の『地獄篇三部作』のラディカルさもまた明らかになる。石橋は『歴史の総合者』に集録された大西の匿名批評(普段、文芸誌を全く読まない私は知らなかったのだが、かつてはどの文芸誌にも匿名批評のコーナーがあったという)に言及し、「無からの創造」を司る作者とは別の仕方の作者のあり方への自らの関心を語った。
三人の発表の後、司会の私も加わって活発な議論が繰り広げられた。会場からも興味深い質問が寄せられ、あっという間の終演となった。『歴史の総合者として』の面白さと問題性を明らかにする非常に意義深いイベントであった。三人の発表と討論は活字化され、近いうちにネット上で公開される予定である。『歴史の総合者として』を紐解くにあたり、読解のための参考資料としてご活用いただければありがたい。
國分功一郎(高崎経済大学)