映画監督、北野武。
2017年10月、北野武の最新監督作『アウトレイジ 最終章』が封切りされた。その公開一週間前に刊行された映画監督北野武についての論集が本書である。
1989年に『その男、凶暴につき』で映画監督としてデビューして以降、日本の映画監督としては例外的に同時代的な評論・言説に恵まれた北野に関しては、雑誌・ムックを含めると既に数冊の論集が存在しているため1、北野を論じる対象として選択した本書の企画自体は必ずしも目新しいものとはいえない。
しかしながら、本書が相対的に見ても重要な書物であると断言できるのは、芸能人としてテレビに出演しながらも継続的なペースで作品を世に送り続ける映画監督としての北野が、以前の作品群によって規定される「映画作家」としての自己を一作品ごとに破壊するタイプの監督であるため、その破壊と再生の不断のサイクルからこぼれ落ちていく作家の「現在」を同時代的に掬い取り記述することには、少なからぬ意義が存在するからである。
特に、00年代後半に『TAKESHIS’』を公開して以降の北野は、本書の「北野武監督作品解説」の分類に沿うならば全5期中の第4期、すなわち「自己模倣・自己否定・自己解体」の時期に突入し、あえて述べてしまうならば完全なる”混迷期”にあった。そこから最新作『アウトレイジ 最終章』へと至る道筋を同時代的に再検討することは、北野のキャリアを総括する上で不可欠であり、本書の執筆陣に名が連ねられた若き研究者・批評家の多くが第4期から第5期にかけての作品をいかに評価するのかという難題に対しての解決を―さながら北野のヤクザ映画に出てくる鉄砲玉のように泥臭く—それぞれの方法で試みているのはその証左であろう。
また、本書は論集という体裁でありながら、優れた聞き手によるスタッフ・キャストのインタビューや北野映画に影響を受けた現役監督たちのエッセイなども収められており、アカデミズムのみに留まらないより多角的な視点から北野映画が照射されている。本文に関しても校了直前にオフィス北野から「指摘」が入った部分があったという。作り手と受け手の間の相互的かつ緊張感を持ったコミュニケーションから北野映画の「現在」が楽しめる一冊であることは間違いない。
(數藤友亮)
1 例えば、下記の3冊が挙げられる。
・責任編集淀川長治『キネマ旬報増刊 フィルムメーカーズ② 北野武』、1998年、キネマ旬報社。
・『ユリイカ 1998年2月臨時増刊号 総特集北野武 そして/あるいはビートたけし』、青土社。
・『別冊カドカワ 総力特集 北野武』、2005年、KADOKAWA。