エドワード・ヤン 再考/再見
生前のインタビュー等で本人が自国の映画環境に対する不満をしばしば口にしていたこともあって、エドワード・ヤンには、台湾では自作の上映すらままならない不遇の人であるというイメージがつきまとっていた。しかし近年では台湾でも研究書が刊行され、没後10周年にあたる2017年にはレトロスペクティブ上映が組まれるなど、状況は変化している。研究書と言えばジョン・アンダーソンの著作の邦訳のみという状況が長らく続いていた日本は、むしろ遅れを取っていた。本書の刊行はこの遅れを取り戻すものだと言えるだろう。
とりわけ重要なのは、鴻鴻(ホンホン)、王維明(ワン・ウェイミン)、陳駿霖(アーヴィン・チェン)という、エドワード・ヤンの「教え子たち」へのインタビューである。ヤンの制作を間近に観察していた彼らの声から浮かび上がるのは、たとえば作品ごとの演出スタイルの変化である。これまで全作品に通底するテーマにむしろ目を向けられてきたヤンのフィルモグラフィーが、彼らの証言を通して、より立体的に浮かび上がるだろう。
孤高の人と思われていたヤンは、台湾に次世代の種を確実に蒔いていた。先行する世代に負っているのは、ヤン自身も同様だろう。拙稿では詩人楊牧との関係を示唆するにとどまったが、戦後台湾文学とヤン作品との関係については、語られるべきことがまだまだあるはずだ。
作品へのアクセスの難しさも相まって、半ば神格化していたエドワード・ヤンの存在が、近年ようやく進んだ再上映とソフト化(残る『海辺の一日』の公開が待たれる)、そして本書の刊行により、少しでも正常化することを願う。
(橋本一径)