パネル3 インタラクティブなメディアを導入した国際コミュニケーション
日時:2017年7月1日(土)16:00-18:00
場所:前橋市中央公民館5階503学習室
・映像と他者理解──アイヌ民族を例に
亀田裕子(ロンドン大学東洋アフリカ研究学院)
・プラットフォームとアトラクション・マネジメント──ユーザーの視点・視線管理
難波阿丹(聖徳大学)
・日本と韓国の大学でのグローバル教育の現状──ニューメディア利用を中心に
李ウォンギョン(上智大学)
【コメンテーター】米山かおる(首都大学東京)
【司会】李ウォンギョン(上智大学)
本パネルでは、インタラクティブなメディアとしての「ニューメディア」、そしてグローバリゼーションという全世界的な変化に伴う言語や文化の垣根を越えた「国際コミュニケーション」とを共通のキーワードとして、それぞれの専門分野からの発表が行われた。
亀田裕子氏は、主として1990年代以降の現代日本映画の中のアイヌ民族表象を分析し、マジョリティである日本人が、マイノリティとしてのアイヌ民族をどのように描いているのか、自分たちとの差異をどのように表現し、他者であるアイヌ像をどのように作り上げているのかを考察した。それは例えば野蛮人、非文明的、スピリチュアル、救助者などとしてであり、日本人マジョリティの側にとっての他者──アイヌ民族に対するステレオタイプ──が反映されているものである。そのようなマジョリティからの一方的な表象に対し、近年のツイッターやフェイスブックなどのニューメディアにおいては、インタラクティブに討論することのできるヴァーチャルなプラットフォームの場が提供され、他者として扱われていたアイヌ民族が、自らのアイデンティティを表現する場を得ている。それは自己と他者、また民族や国といった境界線を越えた、インタラクティブな交流プラットフォームとして構築されていることが示された。
難波阿丹氏は、ユーザーが集合して活発にやり取りを行う場であるデジタルメディア環境におけるプラットフォームの設計を問題として設定した。ここで、トム・ガニングなどを援用して映画におけるアトラクション/アテンションの概念が導入される。初期映画から古典映画への移行の段階で、観客にショックを与えることによるアトラクション(注意喚起)から、制度的な管理のメカニズムによる観客のアテンション(注意)の管理への移行が起こった。制度的なインフラをしっかりと持ち始めた映画において、タブロー(絵画)型の映像表現やクロースアップ、モンタージュ等の物語を印象付ける表現を用いることで、見世物的なショック作用から物語(ナラティブ)へと飼いならされてゆくことになる。この過程を通じて、アトラクションは感情移入を喚起する道具立てとしてのエフェクトへと変質し、観客の注意を管理するシステムが強化されることになったのである。一方現在のデジタルメディア環境においては、各種のインターフェイス・プラットフォームはユーザーの注意力喚起を目標に設計されていて、そこに注意を簒奪するようなメカニズムが働いており、ユーザーは動性を「制御」された一元化されたオーディエンスとなっていることが指摘された。その分析にアトラクション/アテンションの概念が有効なものとして導入される。最後に注意管理能力のマネジメントという観点から、モバイル環境を用いた学修プラットフォームについての分析が行われた。
李ウォンギョン氏は、まず今までの教育現場における経験から、大学におけるグローバル教育の変遷とニューメディアの利用についての概観を行った。外国語能力の習得の時代から国際交流へ、そして2000年以降国際理解教育やグローバル人材育成教育といったグローバル教育へと変質してきたのである。こうした変化の中でニューメディアは、国境や言語の壁を越えたコミュニケーションの促進に繋がることが期待されて導入されたが、実際にはそれがどこまで有効であったのかはさほど明らかではなく、現在はそうした試み自体が減少傾向にあることが指摘された。しかしながら日本と韓国におけるインターネット環境のインフラ整備の程度の高さや、両国語の文法的類似性によるインターネット上での翻訳アプリ等の精度の高さから、ニューメディアを使った交流プログラムの環境が潜在的に整っていることが指摘され、大学における教育として実践される必要性が示された。
これらの発表の後、コメンテーターの米山かおる氏から各発表のまとめと確認の質問がなされた。亀田氏に対してはニューメディア環境におけるアイデンティティの表出と境界線の持つ意味について、難波氏に対しては学修環境に導入されるニューメディアの持つ弊害の可能性について、李氏に対してはニューメディアを導入した交流プログラムの結果としての相互理解の可能性について、などである。またフロアからは、日本におけるアイヌ以外の内なる他者の表象との相違について、教育におけるアイヌ表象の効果について、ガニングのシネマ・オブ・アトラクションとブレヒトの異化効果との差異について、ニューメディアのポジティブな側面についてなどの質問が寄せられた。
各発表テーマと、パネルのキーワードであるニューメディアとの関わりという点については、全体的にもう少し説明的アプローチがあれば議論がクリアになったように思われた。ニューメディアがインタラクティブであることの意味、さらにその制度的なインフラ自体がクラウド環境となっていたりAIが組み込まれていたりするような現在の状況への問いを深めることで、さらに分析の有効性が高まるものと考えられる。
聴取者の側にもう一つの若干の戸惑いがあったとすれば、それは3人の登壇者の共通の背景として冒頭に紹介されたグローバル教育というものとの関係という点だろう。李氏の発表に関してそれは明らかであったが、前二者の発表がそれとどこまで関わっているのかという点である。フロアからも発表テーマと教育との関わりを問う質問がなされたが、冒頭に示されたこのキーワードと各パネルの位置付けが明らかにされることで、聴取者の側の聞く姿勢もより定まったものと思われる。しかしながら、各発表の意図からは逸れてしまうことになるのかもしれないが、このグローバル教育というものがパネル全体の通奏低音であったとみるならば、それぞれの発表は、自分の研究領域と教育との関係を、より広く議論の対象とする試みであったと捉えることもできるだろう。研究と教育という両輪のうちの後者を各自の特殊性に依拠しつつ議論することは、考えてみれば(少なくともこの学会では)あまり行われることではないが、少なくともその可能性をここに垣間見ることができたようにも感じられたことを付け加えておきたい。
白井雅人(上武大学)
パネル概要
本パネルでは、ニューメディアを導入した国際コミュニケーションの動態について考察する。近年、異文化理解やグローバル教育の一環として、インタラクティブなメディアが経済活動、教育現場等に紹介されつつある。しかし、このようなニューメディアが、それに関わる人々の生活環境、学習環境にもたらす影響力を測定する基準が定まっているとは言い難い。本パネルでは、実際にニューメディアとしてのeラーニング・プラットフォームや学習支援ツールの運営・活用に携わった三名の研究者が登壇し、ニューメディアがコミュニケーションをいかにしてデザインし、他者表象・経済・学習環境を管理するのかを検討する。
第一の発表者である亀田裕子は、自身の専攻である日本学や他者表象研究に基づき、マイノリティ表象に注目し、ニューメディア期以降のマジョリティ/マイノリティの関係性の変化を論じる。第二の発表者である難波阿丹は、プラットフォームとユーザーのアトラクション・マネジメントを軸に、スマートフォンでの購買行動について検証する。第三の発表者である李ウォンギョンは、ニューメディアが普及した後、日本と韓国の大学でのグローバル教育がどのように変化したかについて比較分析する。以上の三視点を導入することで、異文化間コンピテンシー向上に寄与するツールとしてニューメディアの活用事例を具体的に検討する。
発表概要
映像と他者理解─アイヌ民族を例に
亀田裕子(ロンドン大学東洋アフリカ研究学院)
近年、国際社会において活躍しうるグローバル人材を育てるための教育が重要になっている。本発表では、ともするとその視線を国外へ向けがちなグローバル教育において、あえて日本国内に研究の焦点を向ける。内なる国際化が進む現代の日本社会において、日常生活の中で、メディアを通して異文化に触れる機会は多い。テレビ・広告・雑誌・駅構内や公共サービスにおける他言語での案内など、様々な情報媒体で我々は内なる国際化の中で生活している。本研究では、マイノリティ表象の考察を通した異文化理解について論じる。真の意味での異文化理解とは果たして何なのか?異文化理解とは理解する側の自己理解と密接に関わっていると考察する。グローバル教育の重要な一端を担う異文化理解という課題について、国内におけるアイヌ民族をケーススタディとして取り上げ、我々(日本人と仮定する)が如何にして他民族であるアイヌ民族についてメディアを媒介として発信・受信してきたか、またそのマジョリティ/マイノリティの関係性がニューメディアの登場とともに如何なる変移を遂げつつあるかについて議論していく。アイヌ民族が最初に映像の中に見られるのは「明治の日本」(1898, Lumière)である。それ以降、アイヌはドキュメンタリーに幾度となく取り上げられている。そしてこれらの映像はほぼ海外メディアやマジョリティである日本人が製作したものである。加えて、日本映画にもアイヌ民族は登場するが、その数は決して多くはない。本発表では、教育現場において自己・他者理解を促進するツールとして、日本映画におけるアイヌ民族表象を多角的な側面から考察していく。
プラットフォームとアトラクション・マネジメント─ユーザーの視点・視線管理
難波阿丹(聖徳大学)
本報告では、オンライン・プラットフォームの設計とユーザーの視線管理に注目する。近年、インターネットに接続するツールとしてスマートフォンが大幅に普及している。ニューメディアの市場導入に伴い、スマートフォンの技術的支持体に適した動画、ポップアップ広告・プラットフォームの設計が行われており、インターネット上での集客やユーザーの購買行動への誘導が模索されている。本発表では、デジタル・メディア環境をふまえ、潜在的な顧客層の視線管理に、プラットフォーム・動画・広告の多層化する画面設計がいかにしてオーガナイズされているのかを検討する。このようなアトラクション・マネジメントの起源は、初期・古典映画環境に求められると言えるだろう。映像が露出趣味的であり、講釈や観客との相互性など興行的要素を加味され、多次元的に営まれていた初期映画上映は、古典映画期において物語水準、配給システムに徹底的な管理システムが浸透し、観客の身体・視線の制度化も企図されていった。本発表では、初期・古典映画期において観客の注視を管理すべく考案された映像設計の分析枠組みに基づいて、センセーショナルなイベントがモバイルメディア上で立ち上げられていくプロセスの一端を明らかにすることを目指す。以上のような試みによって、スマートフォンというニューメディアにおいて、ユーザーのアトラクション・マネジメントと、購買行動を促進させるインフラストラクチヤーの設計を議題とする。
日本と韓国の大学でのグローバル教育の現状─ニューメディア利用を中心に
李ウォンギョン(上智大学)
本報告では、ニューメディアが普及した後、日本と韓国のグローバル教育がどのように変化したかについて、大学教育を中心に比較分析する。
両国の大学でのグローバル教育は、2000年代以前までは英語を中心とした外国語能力を習得することが中心だったが、近年では多文化共生社会に目を向けた教育へ移行する過程である。このような軌跡は、大学教育でニューメディアが導入されたことと類似している。教育現場では2000年代から遠隔授業やeラーニングなどでニューメディアが積極的に導入され始めており、メディア上でのインタラクションを通じて国境や言語の壁を越え、学生相互のコミュニケーション能力や異文化理解の促進に繋がることが期待されていた。
しかし、実際にグローバル教育、特にニューメディアを用いたグローバル教育に参加した学生が他文化と相互作用ができていたか、多文化に対する理解が促進できたかは明らかになっていない。そして、本報告は日本と韓国のグローバル教育の実態を比較しながら、大学生が国際的な諸問題に向き合い、その解決に向けて地域レベル及び国際レベルで積極的な役割を担うようになったか、平和・安全で持続可能な世界の構築に率先して貢献できる認識を持っているかを測定することも目指す。