翻訳
ハイデガー『存在と時間』を読む
法政大学出版局
2017年6月
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ニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチにおける前世紀末と今世紀初頭の大陸哲学研究をそれぞれ代表する著者二人の三つの講義原稿を編集し、一冊にまとめたのが本書である。第一部でのクリッチリーは知覚や本質といった、伝統的哲学の中心主題でありながら(そしてそれゆえに)『存在と時間』では注意深く迂回されている問題を入り口にして、この書物にアプローチする。従って「初心者のためのハイデガー」という表題も不思議ではないが、ただしそこでの叙述はかなり高度である。続くシュールマンによる第二部は『存在と時間』の内在的な読解が中心であるが、その超越論性の強調や「三つ組み」の反復からなる適度な図式化の手並みは鮮やかで、今も古さを感じない。著者の早生が改めて惜しまれるところである。そして第三部「根源的な非本来性」は、国家社会主義へのハイデガーの関与という、彼を論じる者には避けて通れない問題への、一応の態度表明という役目が濃厚である。クリッチリーの方策は、本来性や決意性といった強い概念を中和して日常性に連れ帰るという、至って穏当なものである。それが『存在と時間』に潜む可能性の一面を鈍らせてしまうのは確かだろうが、かと言って現在の世界的な情勢において何かそれ以外に巧い手があるのかどうか。これは私たち自身に残される問いであろう。
(串田純一)