翻訳
ラディカル無神論 デリダと生の時間
法政大学出版局
2017年6月
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テクストの戯れ、根源という虚構、エクリチュールの私生児性……きわめて晦渋な「脱構築」の思想を展開してきたジャック・デリダが、前世紀末ごろを境に「脱構築は正義である」などのフレーズを用い、政治や宗教、倫理を語り始めた。このことについて、デリダにおける「転回」がそこにあったのか否かという解釈の対立が存在している。
マーティン・ヘグルンドは本書において、「神の記憶を持ち、神を覚えていようとするラディカルな無神論」というデリダ自身の言葉を軸に、デリダにおける自体性批判、変質=他化の可能性の哲学という軸線をあぶり出すことで「転回」説に反駁し、その思想に一貫した論理構造を見出す。そこでは、守ろうとするもの(生や平和など)が常に脅威にさらされ、その反対物(死や暴力など)に汚染されているというデリダの主張が鮮やかに解きほぐされる。日本語版付録としてメイヤスーを批判的に読解する論攷の翻訳も付し、生命の発生や唯物論について、脱構築の思想を起点にした思考が提示されている。
現代の政治理論や思弁的実在論との対話を通じて、デリダ研究の新たな可能性を強烈に打ち出した著作であるが、デリダ研究に限らず広い方面からの反響も期待される。
(吉松覚)