メディアと文学 ゴーゴリが古典になるまで
本書はゴーゴリ論であるにもかかわらず、そこに作者はいない。この本では、ゴーゴリの作品に添えられた挿絵や、小説の場面を主題とした絵画、ゴーゴリ作品を基にした改変小説など、ゴーゴリをめぐる様々なジャンルのテクスト群が、19世紀ロシアの出版産業や教育制度の変化とともに考察される。
作家の死後ゴーゴリ作品は無名の作者たちによってさかんに改作された。中には大衆の好奇心をかき立てるような猟奇的な小説に変えられたり、異なったタイトルが付けられたものまであったという。また挿絵画家たちは、ゴーゴリ作品の登場人物を主観的に解釈し、小説では描かれていない内面までをも読み取っていた。このような営みによってゴーゴリ作品の主人公たちは「キャラクター」として独立し、アメの包み紙や陶磁器のモチーフにまでなったという。
著者はゴーゴリ作品の種々の改変を「異本」と名付け、読み手によって生み出された豊かなヴァリアントとして、むしろ肯定的に捉えている。学者による精緻な読解や精確な注釈よりも、大衆の雑多な想像力の方にこそ古典を古典たらしめる力があることを示したのが、この著作の慧眼であろう。
人間は誰しも、多少なりとも物語を作り、主人公に感情移入して想像力を膨らませる。本書を通して明らかになるのは、物語に対する人々の普遍的な欲望と、それに応えるべく生み出されたさまざまな装置である。本書はロシアにおける読者研究および出版をめぐる制度研究の土台を提供すると同時に、19世紀ロシアの大衆文化のダイナミズムをも描き出している。
(河村彩)