文芸翻訳入門 言葉を紡ぎ直す人たち、世界を紡ぎ直す言葉たち
この本のイントロダクションは、誰もが見慣れた一文から始まっている。
「下線部(1)を和訳しなさい」
試験や問題でたびたび目にしてきたこの表現には、読み手に対する明確な関係性が込められている。問題であるため、命令文であるということ。つまり、「あなたの翻訳能力を見せなさい」とも言い換えることができる。もちろん、こういう命令文の表現は、英訳や和訳問題に限ったものではなく、あらゆる科目に共通してみられる。ただ、翻訳の場合、その答えの選択肢がはてしなくあり、その多様性こそが翻訳のもっている可能性にほかならないという相矛盾する関係性をこの表現は内包している。
英語文学の翻訳の第一線で活躍する藤井光を編者とする本書は、その多種多様な可能性を秘めている翻訳、とりわけ文芸翻訳について、翻訳の実践者たちがそれぞれの立場から論じていく書物となっている。西崎憲「小説翻訳入門」、藤井光「翻訳授業の現場から」、笠間直穂子「翻訳の可能性と不可能性」という実践的な翻訳論を骨格にして、沼野充義による「古典新訳」の現況、谷崎由依・阿部公彦・菅啓次郎による「私にとっての名訳と役者の工夫・こだわり」、さらには訳者や作家によるエッセイなどを収録し、構成面でも翻訳の多様性を体現するものとなっている。百戦錬磨の訳者たちが執筆しているということもあり、「彼・彼女の使用は控えめに」(西崎)、「句読点を打つべきところではしっかりと打つ」(藤井)といった技術的な助言が豊富に盛り込まれており、翻訳家を目指す人々にとっては心強い指南の書という趣もたしかにある。
だが、それと同時に顕著であるのが、翻訳という営為を思索させてくれる書にもなっていること。たとえば、菅啓次郎は「すでに存在する日本語に飽き足らないものを感じるとき、われわれはもっとも手っ取り早い道として、翻訳された文章に手を延ばすだろう」と述べ、日本語の可変性を翻訳に見るが、それは、谷崎由依、西崎憲ら、作家としても活躍している面々が本書に名を連ねていることとも無関係ではないだろう。フランス語翻訳家の笠間直穂子は、「扱っている最中はいやなにおいがする」が「役割を終え」れば消えてしまう「媒材」として「翻訳」を捉え、韓国語翻訳家の斎藤真理子は、岩波文庫の『朝鮮詩集』『朝鮮童謡集』などを手がけた金素雲(キム・ソウン)の言葉「縫い目を一つひとつ解きほぐして、もう一度仕立て直す」を引き、翻訳者を「仕立て屋」に見立ている。これらは、一人の翻訳者としての体験が下敷きとなっているが、それは、日々言葉を使って、無意識のうちにさまざま現象を翻訳しているあらゆる人々に関わる問題ともなっている。
命令文の「~訳しなさい」という受け身でしか捉えられてこなかった「翻訳」が、「~訳したい」という主体的な欲求をもたらすかもしれない。そう思わせてくれる一冊である。
(阿部賢一)