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国立新美術館 開館10周年記念シンポジウム 展覧会とマスメディア
「アーカイヴ」再考──現代美術と美術館の新たな動向

報告:横山由季子

上掲画像:「NACT Colors──国立新美術館の活動紹介」 エマニュエル・ムホー「数字の森」2017年 撮影:志摩大輔

「展覧会とマスメディア」

・日時:2017年1月21日(土)13:00〜17:30
・会場:国立新美術館 3階講堂
・主催:国立新美術館

司会
青木保(国立新美術館長)

第1部
井上昌之(日本経済新聞社文化事業局 兼 経営企画室シニアプロデューサー) 「展覧会とマスメディア」
蓑豊(兵庫県立美術館館長)「展覧会とマスメディア -アメリカと日本-」

第2部
前田恭二(読売新聞東京本社編集局文化部長)「何とかしてクレー展~1961年の記録より」
村田真(美術ジャーナリスト) 「新聞社と展覧会の蜜月時代」

第3部
高橋明也(三菱一号館美術館館長)「展覧会―この華やかなるもの」
南雄介(国立新美術館副館長)「国立新美術館の展覧会とマスメディア」

「「アーカイヴ」再考──現代美術と美術館の新たな動向」

・日時:2017年1月28日(土)13:00〜17:30
・会場:国立新美術館 企画展示室1E
・主催:国立新美術館

はじめに
長屋光枝(国立新美術館主任研究員) 「問題提起:国立新美術館の事例より」

第1部
橋本一径(早稲田大学文学学術院准教授) 「ジョルジュ・ディディ=ユベルマン「アトラス」展に見るイメージのアニメーション効果について」
横山由季子(国立新美術館アソシエイトフェロー) 「作品のオリジナリティと展覧会」

第2部
鈴木勝雄(東京国立近代美術館主任研究員) 「歴史への想像力と美術館」
下道基行(美術家・写真家)「集める、選ぶ、並べる」

第3部
今井朋(アーツ前橋学芸員) 「美術館においてプロセスの開示は可能か?──表現の森を巡って」
中村史子(愛知県美術館学芸員)「アーカイヴ、ずらすか、入るか、あえて見ないか」


2017年1月21日に開館10周年を迎えた国立新美術館は、コレクションを持たず、2つの企画展示室の2,000㎡という広さを生かして、中世から現代まで、あらゆる時代のアートを紹介してきた。ジャンルも美術に限らず、建築やファッション、デザインはもちろんのこと、2015年には「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム展」を実現し話題を呼んだ。しかしながら、展覧会の数の面でも、動員の面でも、そして収入の面でも、国立新美術館の活動を支えているのは、マスメディアと共同で企画される西洋近代美術の展覧会である。美術館とマスメディアがタッグを組んで展覧会を企画するという仕組みは、日本特有のものとして戦後発展してきた。しかしながら、文化を育てるという本来の目的が薄れ、商業化の傾向が高まる今日において、こうした展覧会のあり方を見直す声も高まっている。また、「展覧会」という、西洋近代において誕生した制度は、作家や作品の個性に大きな価値を見出すという前提で成り立ってきた。しかしながら、必ずしも作家の創造性に依らない作品が広まっている昨今、美術館はどのように新しい表現に寄り添えるのか。「展覧会とマスメディア」と「「アーカイヴ」再考 現代美術と美術館の新たな動向」という2つのシンポジウムは、こうした問題意識のもと、国立新美術館の10年間の活動を省みると同時に、日本における美術館と展覧会のこれまでとこれからを考えるために企画された。

展覧会とマスメディア.JPGのサムネイル画像

「展覧会とマスメディア」では、戦後、とりわけ高度経済成長期の大型企画展を支えた、あるいは間近で見てきた美術関係者が登壇し、率直な意見が交わされた。日本経済新聞社の文化事業部で、展覧会の企画に携わってきた井上昌之氏は、マネージメントについての具体的な話をもとに、印象派に偏った現状に対し、もう少し冷静な市場調査が必要ではないかと問いかけた。また、アメリカの美術館での学芸員経験を持ち、大阪市立美術館の館長時代に、日本でのフェルメール人気をに火をつけた「フェルメールとその時代」(2000年)の企画者としても知られる蓑豊氏は、海外のキュレーターの活動を例に、日本の学芸員も、資金調達の能力を培う必要があるのではないかと指摘した。一方、読売新聞の記者として長年にわたり美術展の記事を執筆してきた前田恭二氏は、1961年、瀧口修造や海藤日出男、土方定一らの立場を超えた尽力により実現したクレー展の開催経緯を紹介し、美術ジャーナリストとして数多の展覧会を見てきた村田真氏は、戦時中にまで遡って、新聞社主催による美術展の歴史を辿った。国立西洋美術館で入場者数100万人を記録した「バーンズ・コレクション展」(1994年)を担当した高橋明也氏は、美術館職員としての苦労話を交えつつ、マネージメントのできるスタッフを雇用するなど現在館長を務める三菱一号館美術館での新たな試みを語り、開館当初より国立新美術館で多くの展覧会を企画してきた南雄介氏は、同館での来場者数の傾向や予算の仕組みなどについて明らかにした。

資金を提供しマネージメントを行うマスメディアと、調査研究によって内容の学術性を保証する美術館が共同で展覧会を企画するという仕組みは、お互いに欠けている能力を補うという、合理的な理由から生まれたものである。しかしながら今日、展覧会を企画するためのコストは膨れ上がり、マスメディアが主催する展覧会はどうしても集客の見込めるテーマに集中しがちである。他方、美術館側は、展覧会を通じて、あまり知られていない作家や現代アートを紹介したいという思いがある。あるいは、ひとつの展覧会の予算において、集客に結びつく広報費が優先され、展覧会の学術成果の発表の場である図録などの制作費用が削られることもある。ディスカッションでは、ブロックバスター展の必要性の有無や、マスメディアの文化事業部を取り巻く厳しい現状なども議論された。現状の打開策が直ちに提案されたわけではないが、こうした議論の場を設けたこと自体への肯定的な意見も多く寄せられた。

「「アーカイヴ」再考.JPG

「「アーカイヴ」再考 現代美術と美術館の新たな動向」では、1960年代以降、新たな表現方法として今日に至るまで議論の続いている「アーカイヴ」という言葉を出発点に、国内外の具体例をもとにした発表が行われた。橋本一径氏は、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンが2010年に企画した「アトラス:いかにして世界を背負うか」展を軸に、膨大な資料の集積としての「アーカイヴ」に対し、ある選択に基づいて場所や時間の秩序を組み替える「アトラス」的手法の可能性を提示した。続く横山の発表では、作品のオリジナリティに疑問を付した「アメリカの花々」展(2012年)と、芸術家による作品と匿名の写真や資料などを等価なものとして扱ったディディ=ユベルマンの「蜂起」展(2016年)を取り上げた。東京国立近代美術館の鈴木勝雄氏は、同館の常設展での資料を組み合わせた展示を例に、美術作品の潜在的な記憶を引き出すものとしてのアーカイヴの活用のあり方を示した。また、現代美術家の下道基之氏は、表現とも記録とも異なる地震の作品のスタイルについて、「戦争のかたち」から「torii」や「ははのふた」、「新しい骨董」を例に、制作の背景を語ってくれた。そして、今井朋氏は、自身の勤めるアーツ前橋の活動や自ら企画した「表現の森 協働としてのアート」展における、完成された「作品」を見せるのではなく、進行形のプロジェクトのプロセスを開示することの重要性と難しさについて言葉を紡いだ。最後に、愛知県美術館学芸員の中村史子氏は、公的な制度への異議申し立てとしてのアーカイヴァル・アートの歴史を概観しつつ、今日において、アーカイヴを起点に異なる次元へと足を踏み入れつつある奥村雄樹、飯山由貴、高橋耕平の作品を紹介した。

本シンポジウムの開催前から予想されていたことだが、もはや「アーカイヴ」という言葉に集約することが不可能な、様々な展覧会やプロジェクトや作品が議論の俎上に載せられた。そこで浮かび上がってきたのは、近代の遺産としての展覧会や美術館という枠組みの中には収まることのない表現の多様化である。会期と会場の決まった展覧会を成立させることの背景には、ともすれば強引な「完成」への志向がつきまとう。美術館の誕生から1世紀以上が経ち、私たちは、展覧会のあり方そのものを問い直す時期にきているのかもしれない。しかし、それによって、近代型の展覧会に馴染んだ観客を置き去りにしてはいけない。シンポジウムのアンケートに書かれた「アーカイヴは現代にあって美術館が自身の存在を正当化するための手段であり、観客は必ずしもそれを求めていないのではないか」という意見を目にして、そのことを強く考えさせられた。(横山由季子)

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年7月29日 発行