研究ノート

小津映画と美術工芸品 『彼岸花』にみるキャメラの眼の主体

伊藤弘了

小津安二郎の映画には、認知心理学の「変化検出課題」かと見紛うようなショット群がたびたびあらわれる。変化検出課題とは視覚的短期記憶の性質を調べるための手法のひとつで、一部分だけを変えた二枚の画像を連続して提示し、被験者にその違いを見つけさせるものである。小津の映画では、ほぼ同一の構図を持つ異なるショット同士で画面上のモノ(事物)の位置が変わっていることがしばしばある。初カラー作品である『彼岸花』(1958年)から、具体的に「変化検出課題」的なショットを引用しておこう。

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図1 『彼岸花』(11分16秒)(小津安二郎監督、1958年[DVD、2013年、松竹株式会社])

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図2 『彼岸花』(11分29秒)(小津安二郎監督、1958年[DVD、2013年、松竹株式会社])

図1と図2は、映画冒頭の主人公(佐分利信)の帰宅シーンからとってきたものである。妻(田中絹代)と次女(桑野みゆき)が図1の画面内を横切っていき、玄関で主人公を出迎えるショットを挟んで、図2のショットへとつづく。ここで注目したいのは、奥のローテーブルの上に置かれた小道具類の位置の変化である(それ以前に、画面の手前側のローテーブルの位置が変わっていることも指摘できる)。図1と図2は物語上の連続した時間内にあらわれるショットで、この間、卓上のモノには誰も触れていない。にもかかわらず、モノの位置が微妙に変わっている。もっとも顕著な変化は、切り花の活け方である。二つの画像を見比べてみると、明らかに花の位置関係が変わっていることがわかる。また、花瓶のすぐ左隣に置かれた二つの湯呑みの位置も変化している。図1に比べて、図2のショットの方が湯呑み間の幅が広くなっている。

もちろん、小津は自身の映画作品を通して心理学の実験を行っていたわけではないだろう。リアリズムの観点に立つならば、二つのショットに見られる卓上のモノの位置の変化は不可解としか言いようがない。誰も触っていないのにモノが勝手に動いているとすれば、もはやそれは怪奇現象の類である。とはいえ、これはあくまで映画作品内の話であって、画面内にあらわれるモノたちは、小道具のスタッフの手によって配置されるということを大方の観客が理解している。二つのショットが物語上の連続した時空間を映し出したものであったとしても、じっさいの撮影がそうであったとは限らない。物語上はわずか十数秒たらずの二つないし三つのショットのあいだに起こった出来事を、それぞれ別の日に撮影していても何の不思議もない。そうした常識的な立場からすれば、この程度の変化は、単なるコンティニュイティ編集の綻びとして処理されるべきもので、特に意味を読み込む必要はない。しかし、仮にこれが小津による積極的な演出の一部であるとすれば、どのような解釈が可能だろうか。

小津映画の卓上を彩るこの種の小道具類は、実は松竹大船撮影所の備品ではなく、私的な交遊のあった美術商を頼って、小津がわざわざ取り寄せていたものであることがわかっている*1。本稿では、小津映画に存在した「美術工芸品考撰」のクレジットにならって、これ以後、こうした小道具類を特に「美術工芸品」と呼ぶことにする。

*1 その詳細については、次のインタヴューを参照されたい。伊藤弘了「小津映画と「美術工芸品考撰」―井手恵治氏インタヴュー」、査読制電子学術ジャーナルCineMagaziNet!、京都大学大学院人間環境学研究科、No.20、Web、2017年。また、美術工芸品のうちでも特に有名画家の手になる絵画作品の使用については、次の三つの論考が参考になる。①岡田秀則「動く前に、止める―これからの小津安二郎論のために」、『NFCニューズレター』112号(2013年12月—2014年1月号)、6〜8頁。②佐崎順昭「小津安二郎、絵画とデザイン、その拡がりに向けて(上)」、『NFCニューズレター』112号(2013年12月—2014年1月号)、9〜11頁。③佐崎「小津安二郎、絵画とデザイン、その拡がりに向けて(下)」、『NFCニューズレター』113号(2014年2—3月号)、9〜10頁。

映画研究者のデイヴィッド・ボードウェルは、小津が「赤いマッチ箱、茶碗、ヤカンなどの小道具を特別に用意」し「人間にではなく色のついた事物にエッジ・ライトを当てて、それらの事物をさらに際立たせた」と述べ、「カラーは小津にとって純粋に絵画的な要素であり、慎重な観察を通じて探究すべき構図上の手段である」と結論づけている*2。小津映画の構図のなかで果たしている事物の遊戯的役割を強調するボードウェルに対して、エドワード・ブラニガンはその自律性の感覚を重視する。小津映画のスタイルの効果として「空間とそこに含まれる事物(オブジェクト)が特別な優先権をもつこととなる」と述べ、「こうした空間や事物は、登場人物やプロットから遊離して、それ自体として独立して存在することになる」と指摘する*3

*2 デヴィッド・ボードウェル『小津安二郎 映画の詩学』、杉山昭夫訳、青土社、2003年、150頁。
*3 エドワード・ブラニガン「『彼岸花』の空間―小津映画における芸術様式の本質」、伊藤弘了・加藤幹郎訳、『ユリイカ』、青土社、2013年11月臨時増刊号、256頁。

ボードウェルやブラニガンが示した緻密な分析は十分に説得的なものだが、一方で、これほど微妙な違いに気づくことのできる観客が存在するのかと訝む向きもあるだろう。確かに、小津の映画には明らかに図柄の一致を試みている箇所も多くあり、そうした明瞭な細部であれば目の肥えた観客には識別できたかもしれない。しかし、たとえば図1、2で示したようなごくわずかな変化を捉えられた同時代の観客など存在するだろうか。何といっても映画はあくまで映画館で見られるものであって、個人が自宅で繰り返し視聴できるような環境がいまだ整っていなかった時代の話である。小津が同時代の観客にそこまでの期待を持っていたとは考えにくい。仮にこの種の変化が「つなぎ間違い」でなく、意図的な演出であるとすれば、それをどのように受け止めたらいいだろうか。そのことを考える前に、美術工芸品が「生きた人間」に与えた影響を先に押さえておくことにする。

小津自身は、小道具類(美術工芸品)へのこだわりについて次のように述べている。

私は小道具や衣装にうるさいと言われる。しかし例えば、床の間の軸や置きものが、筋の通った品物だと、いわゆる小道具のマガイ物を持ち出したのと第一に私の気持が変って来る。出て来る俳優もそうだろう。また、人間の眼はごまかせてもキャメラの眼はごまかせない*4

*4 小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』、日本図書センター、2010年、15頁。

いかにも芸術家的な韜晦にも聞こえる発言だが、ここでのポイントは二つある。一つ目は、小道具に拘泥することが撮影現場の緊張感を高めることに寄与していたという点である。この効果は関係者の多くが証言していることと一致する。『東京暮色』(1957年)と『彼岸花』に出演した有馬稲子は「小道具でも大船寄りだの鎌倉寄りだの何時間もかけて厳密に配置するわけでしょう。それで小道具の位置が決まるとやっと役者が入るんですけど、それでまたコップの上げ下げがもう二センチ上だの下だの大船・鎌倉だので、もうすごかったですよ」*5と回顧しており、『東京物語』(1953年)に出演した香川京子も「大船に帰っての撮影では、待つことが仕事でした。拭き浄められたセットで、監督さんがキャメラを覗いて「もうちょっと大船に」「行き過ぎた。もうちょい鎌倉」と独特の符丁で小道具の位置を決めます。それを私たち俳優は、じっと待っている」*6とほぼ同様のことを述べている。『秋日和』(1960年)と『秋刀魚の味』(1962年)に出演した岩下志麻は、そのような小津の現場について「撮影中の小津組は物音ひとつしないほど張り詰めた空気で独特の雰囲気」*7があったと証言している。俳優からよりよい演技を引き出し、スタッフに最良の仕事をさせるための雰囲気作りに「筋の通った品物」として美術工芸品が要請されたのである。さしあたり「小津システム」とでも呼ぶべき彼の演出スタイルを想定するとき、小道具としての美術工芸品の意義は少なく見積もられるべきではない。とはいえ、この水準にあっては、小道具の固有性はそこまで重要ではなかっただろう。何か高級なものが使われているということが現場の意識として共有されていればそれで十分機能する。

*5 『東京人』(特集「今こそ明かす 小津安二郎」生誕100年記念)、no. 195、2003年10月号、都市出版、35頁。
*6 同書、59頁。
*7 同書、52頁。

先ほど引用した小津の発言の二つ目のポイントは、「キャメラの眼」と「人間の眼」を区別して考えている点である。しかしながら、キャメラの眼を通して撮影された美術工芸品は、最終的にやはり人間の眼によって見られることになるのだから、キャメラの眼なる審級の設定は、結局何も意味しないのではないか。もちろん、キャメラの眼を通して捉えられた映像は、いわば加工されたものであって、現実そのものではない。照明やフレーミング、映画内の位置づけ(他のショットとの関係)によって、肉眼ではわからなかったような真贋の違いが、作品をスクリーンで見る観客の眼には識別できると読むのが筋だろう。しかし、ここではあくまで文字通りの意味に解釈して話を進めてみたい。すなわち、キャメラの眼と人間の眼はあくまで異なる水準に属するものであり、どこまでいっても人間の眼には判別不可能な何ごとかを、小津は捉えようとしていたのではないか。だから、図1、2に見られる美術工芸品の位置の変化は、はなから人間の観客に識別されることを想定されておらず、にもかかわらず、キャメラの眼だけがそれを捉えられるように積極的に仕組まれたものなのである。

小津映画の特徴の一つにイマジナリー・ラインを無視した特異な切り返し編集がある。これは、古典的ハリウッド映画が築き上げた「視線の一致(アイライン・マッチ)にもとづく滑らかな編集(コンティニュイティ編集)」に対する異議申し立てとして理解されている。小津映画では視線の一致が重視されないどころか、あえて避けられているのである。そのことは、曖昧な主観ショットが頻出することとも結びつく。人物のショットと風景のショットがつなげられている場合、通常はそれが主観ショットとして機能するが、小津の場合はそのつながりが不明瞭であるため、明確に主観ショットかどうか判断がつかなくなっている。映画批評家の蓮實重彥は、とりわけ後期の小津映画の特徴として「画面に示された光景が、作中人物の視点の対象であるとは限らないという点」を挙げ、「視線とその対象との因果関係の消滅」を見てとっている*8。つまり、この水準にあっても、小津映画で基準となるのは人間の眼ではなく、キャメラの眼であるということが指摘できる。蓮實は「小津安二郎の作品は映画が映画たりえなくなる限界点にぴたりと身を重ねあわす」*9とも述べているが、映画がキャメラの眼を通して人間の眼を仮構する媒体であるとすれば、人間とキャメラの眼のずれを仄めかし続ける小津映画とは、まさにそのようなものと言えるだろう。

*8 蓮實重彥『監督 小津安二郎』、ちくま学芸文庫、1992年、166頁。
*9 同書、226頁。

そうであるとすれば、このとき、キャメラの眼のうしろに想定されているのはいったい何者なのか。この問題を考えるためのヒントになりそうなショットが『彼岸花』の後半に見られる。主人公は蒲郡で開催される同窓会に参加し、そこで同級生の一人(笠智衆)が約三分間にわたって詩吟を詠じる。この場面は15のショットで構成されており、その内訳は笠のショットが3、それに聞き入る(主人公を含む)友人たちのショットが11で、ここに一つだけ無人のショットが挿入されている。笠のバスト・ショットの後に(図3、後景の掛軸に描かれているのは後醍醐天皇と思われる)、その場にいる友人のショットが四つ続き(図4)、六つ目に彼らが滞在している旅館の外廊下を捉えたショットがくる(図5)。

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図3 『彼岸花』(99分51秒)(小津安二郎監督、1958年[DVD、2013年、松竹株式会社])

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図4 『彼岸花』(100分59秒)(小津安二郎監督、1958年[DVD、2013年、松竹株式会社])

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図5 『彼岸花』(101分07秒)(小津安二郎監督、1958年[DVD、2013年、松竹株式会社])

パフォーマンスを行う人物と、それを見る人々のショットをつなぐことは、この種の状況を描く際にきわめて一般に用いられる編集方法である。しかし、このシーンには、そこに異物のようにして差し挟まれる無人のショットが見られる。このショット内には、文字通り「草葉の陰」から、笠の詩吟に聞き入っている何者かがいるのだろうか。

ここで笠が吟じているのは、最後の戦を前にして死を覚悟した楠木正行が辞世の句を書き付ける名高い場面である。詩吟の直後には、その場の人物たちが楠木正成・正行父子の「櫻井の別れ」を描いた唱歌を歌っている。彼ら親子は、天皇に殉じた忠臣の鏡として特に戦前・戦時下に称揚された。もちろん、そのような価値観は戦後になって否定されることになる。その意味で、同窓会での彼らの振る舞いはノスタルジックかつ時代錯誤的である(しかしそのことは彼らも重々承知しているだろう)。偽りにまみれていたとはいえ、大戦中には大義の名のもとに膨大な数の日本人が死んでいった。彼らとの思い出を懐かしみ、その霊を慰めようとする行為は、決して責められるべきものではないだろう。

ところで、図1と図2には二つの湯呑みが映し出されているが、実はここにも不可解な点がある。一体誰がこの湯呑みを使っていたのかが不明瞭なのである。左側に置かれている赤い縦縞の湯呑みが妻のものであることは、後のシーンで彼女が繰り返しその湯呑みを使っていることから明らかであり、主人公はそれと対をなす青縞の湯呑みを使っている。主人公が帰ってくる前の家には妻と次女がいるのだから、もう一つは次女のものではないかと推測できるが、夫妻の場合と違って、娘がこの湯呑みを使っている場面は一度も描かれない(この湯呑み自体は、後のシーンにも数回あらわれる)。本作の中で、使用者が特定できない湯呑みはこれだけである。この使用者不明の湯呑みと対をなすように登場するのは、夫妻の長女(有馬稲子)の友人(山本富士子)が使っている一見して派手な柄の湯呑みである(図6)。この二つの湯呑みは「菊透かし」と呼ばれる文様が施されている点で共通している。一方の湯呑みは使用者不明で、他方はその存在自体が本作の華とも言うべき大映のスター女優・山本富士子とともにあらわれる。使用者の定かではない高級な湯呑みを、あえて画面に映り込ませたのは、単なる構図上の問題でしかないのかもしれない。しかし、ここでは、むしろ湯呑みの使用者の座を空白のままにしておくことに意義が認められるのではないか。そこに存在しない者に捧げられたものとしての湯呑み。我々はしばしば墓前で同じことをする。陰と陽の菊の花を体現する二つの湯呑みは、同時に本作のタイトル「彼岸花」とも陰と陽をなしている。菊も彼岸花も、ともに墓地に似つかわしい花である。いずれにせよ、こうしたこともほとんどの観客には認識されないことだろう。

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図6 『彼岸花』(30分52秒)(小津安二郎監督、1958年[DVD、2013年、松竹株式会社])

これらの細部は、しばしば小津が戦争を忘れ去ってしまった監督として批判されてきたことに、別の見方を与えるのではないか。そもそも、小津は決して戦争を忘れていたわけではなかった。たとえば大陸で戦病死した映画監督の山中貞雄の存在は、後々まで小津に意識されつづけたことが知れている(戦後の座談会等で小津は頻繁に山中に言及する)。もちろん、小津が単に先の大戦で亡くなった人々の鎮魂のためだけに、自身の映画作品のなかでこのように手の込んだ細工をしていたと言いたいわけではない(それはあまりにナイーヴすぎる見方だろう)。しかしながら、日本の古典芸能には、たとえば能のように、その様式のうちに神仏や死者たちの存在を組み込んでいるものが存在する。小津が能や歌舞伎に通じていたことはよく知られており、また、絵画や小説、音楽といった映画の隣接諸芸術を意識していたことも間違いない。小津の特異な演出のうちに、たとえば映画と能のメディウム混淆の可能性を見ることは、あながち見当違いではないのではないか。

『彼岸花』は、娘夫婦に会うために広島へと向かう主人公を乗せた列車のショットで幕を閉じる。しかし、主人公が会おうとしている真の相手は、娘夫婦ではないのかもしれない。

伊藤弘了(京都大学)

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年7月29日 発行