カンギレムと経験の統一性 判断することと行動すること 1926–1939年
ジョルジュ・カンギレムの数多い教え子たちのうち、特に科学史・科学哲学の領域で直接の指導を受けた者たちが育てた、いわば「第三世代カンギレミアン」にあたる著者ロートによるカンギレム論。そのように説明すると、「マンダラン」とも呼ばれた厳格で権威ある教師カンギレムを仰ぎ、「過去の誤謬を裁く科学のなかの科学」を標榜するエピステモロジーの衣鉢を引き継ごうとする科学論的研究を想像されてしまうかもしれません。ですが、本書は現在始まりつつある(べき)、新しいカンギレム哲学研究の先鋒となるものです。カンギレムの死後、彼自身の意志として残され、公開されることになった大量の新資料から、いま私たちがあらためて跡づけるべきカンギレムの哲学的議論の全体像に、正面から切り込んでいった文字通りの労作です。
フランスで2011年から刊行が開始された『カンギレム全著作集』の第一巻を構成している1926年から39年の、パリ高等師範学校を卒業し、未だ「正常と病理」の著者にはなっていない時期のカンギレムの哲学的軌跡を、とにかくテクストを読み、カンギレムの教え子たちの証言を聴きながら、ロートは力強く再構成しています。そこには、かなり思い切ったロート自身のテクスト解釈の提案も含まれており、若い著者の勇気ある筆致自体にも学ぶところが多い書物です。フーコーの「生命、経験と科学」というモニュメント的なカンギレム像によって、これを踏襲するにせよ、ドミニク・ルクールのように否定するにせよ、カンギレムとフランス哲学史との関係性については、すでに説明済みの図式が成立しているかのように語られがちです。ですが、カンギレムと「カンギレム以前」の哲学との関わりは、もっと複雑に交錯した、不安定であり躍動的でもある、まさしく進行中であった歴史の流れそのものを映し出す切実なものだったことをロートは示してくれています。カンギレムは魅力的な哲学者です。そのことをあらためて教えてくれる、大変重要な研究です。
(田中祐理子)