国際シンポジウム 「PERCEPTION IN THE AVANT-GARDE アヴァンギャルドの知覚」
- 日時:2016年7月25日(月)・26日(火)10:00 - 17:00
- 場所:東京外国語大学府中キャンパス、101 マルチメディアホール
- 主催:科学研究費 基盤研究(B)「西欧アヴァンギャルド芸術における知覚のパラダイムと表象システムに関する総合的研究」 (平成26-28年度)
- 研究代表者:山口裕之
- 課題番号:26284046
- 共催:東京外国語大学 総合文化研究所
- プログラム:
- Monday, July 25
- Session 1:THE AVANT-GARDE AND LITERATURE / アヴァンギャルドと文学
- Keynote speech:
Silvio VIETTA (University of Hildesheim)The Avant-garde and Perception: Towards a New Theory / アヴァンギャルドと知覚−新たな理論に向けて - Lecture: Stefano COLANGELO (University of Bologna)
Giving the Music Up: On verse as a matter of perception in contemporary Italian poetry. /音楽を断念すること−イタリア現代詩における知覚と韻律
- Keynote speech:
- Session 2:PERCEPTION AND TECHNOLOGY /知覚とテクノロジー
- Round-table discussion: Opaque Glass 2 /不透明なガラス2
岡田温司 Atsushi OKADA(京都大学 University of Kyoto)
香川檀 Masumi KAGAWA(武蔵大学 University of Musashi)
田中純 Jun TANAKA(東京大学 University of Tokyo)
松浦寿夫 Hisao MATSUURA(TUFS)
司会 Moderator 和田忠彦(TUFS)Tadahiko WADA
コメンテーター Commentator 久野量一Ryoichi KUNO (TUFS)
福嶋伸洋 Nobuhiro FUKUSHIMA(共立女子大学 Kyoritsu Women's University)
- Round-table discussion: Opaque Glass 2 /不透明なガラス2
- Session 1:THE AVANT-GARDE AND LITERATURE / アヴァンギャルドと文学
- Tuesday, July 26
- Session 3:CORPOPREALITY IN THE AVANT-GARDE /アヴァンギャルドの身体性
- 吉本秀之 Hideyuki YOSHIMOTO (TUFS)
カメラ・オブスクラ:東と西 / Camera Obscura in Japan - 鈴木佑也 Yuya SUZUKI (学振特別研究員)
機能的都市と社会主義的都市──近代主義建築と全体主義期ソヴィエト建築の相互関係の導入として / Functional City and Socialist City: Introduction of an Interrelationship between Modern Architecture and Soviet Architecture in the Totalitarian Era - 笹山啓 Hiroshi SASAYAMA (TUFS)
The Dilemma of “The Victory of the Russian Avant-garde” /「ロシア・アヴァンギャルドの勝利」というジレンマ - 横田さやか Sayaka YOKOTA (専修大学 Seushu University)
The Futurist Perception of the Body and Invention of a New Art /未来派の身体感覚と新たな芸術創造 - 石田聖子 Satoko ISHIDA(学振特別研究員)
Heterogeneous Bodies in Early Italian Cinema /イタリア初期喜劇映画における異種混淆の身体
- 吉本秀之 Hideyuki YOSHIMOTO (TUFS)
- Session 4 :THE POETICS OF VISUALITY 視覚の詩学
- 前田和泉 Isumi MAEDA (TUFS)
見えない者のヴィジョン──マリーナ・ツヴェターエワ後期作品における視覚性と非・視覚性── / The Landscape of the Blind: the Visuality and Non-visuality in MarinaTsvetaeva’s Late Narrative Poems - 小久保真理江 Marie KOKUBO (TUFS)
The Breathing of “The Sick Pilot”: Cesare Pavese and Italian Futurism /「病んだ飛行士」の呼吸−チェーザレ・パヴェーゼとイタリア未来派− - 山口裕之 Hiroyuki YAMAGUCHI (TUFS)
The Mechanical Body and Perception of the Unperceivable in the Avant-garde /機械の身体と知覚できないものの知覚 - Sergej BIRJUKOV セルゲイ・ビリュコーフ (Martin Luther University of Halle-Wittenberg)
The Visual and the Acoustic in Russian Avant-Garde Poetry
Визуальное и звуковое в русской авангардной поэзии /ロシア・アヴァンギャルドの詩における視覚と聴覚
- 前田和泉 Isumi MAEDA (TUFS)
- Session 3:CORPOPREALITY IN THE AVANT-GARDE /アヴァンギャルドの身体性
- Monday, July 25
20世紀初頭のヨーロッパで展開した芸術の諸領域・文学におけるアヴァンギャルド運動は、例えば、表現主義、シュルレアリスム、未来派、ロシア・アヴァンギャルドのように、一方で個々の文化圏に固有の特質を明確に示すとともに、他方では、1908年から1910年頃にかけての抽象主義的志向の顕在化、あるいは幾何学性・構造性の展開にみられるように、ほぼ同じ時期にきわめて親近的な特質をもつ地域・文化横断的な並行現象・対応関係となって存在する。前者のように、それぞれの文化に固有な運動である場合も、その活動は、しばしば文化圏を横断するより大きな運動体へと展開してゆく。
2016年7月25日、26日の2日間、東京外国語大学にて開催された国際シンポジウム「PERCEPTION IN THE AVANT-GARDE アヴァンギャルドの知覚」は、科学研究費・基盤研究(B)「西欧アヴァンギャルド芸術における知覚のパラダイムと表象システムに関する総合的研究」(研究代表者:山口裕之)の一環として企画されたものである。このプロジェクトは、東京外国語大学「総合文化研究所」のメンバーを中心に、表象文化研究に携わる複数のヨーロッパ文化圏の研究者によって進められている。芸術・文学におけるアヴァンギャルド運動を、文化横断的な研究体制によって一つの汎ヨーロッパ的現象として考察しようとするこの研究プロジェクトは、アヴァンギャルドにおける芸術的・思想的方向性の一致を、アヴァンギャルド運動自体の当該のジャンル(文学・芸術・思想)の内在的発展の過程や地域・文化横断的な影響関係によってとらえようとするだけではなく、むしろ知覚とそのパラダイム転換というコンテクストに焦点を当てている。そのような視点からみるとき、歴史的アヴァンギャルドについてしばしば指摘されているように、外界の模倣的表象としての写実的「自然主義」から、抽象性・構造性への転換は、キュビスムにみられる具象物から幾何学性への還元であるにせよ、カンディンスキーのような内的感情や構造性そのものの表現に基づくものであるにせよ、知覚の相関項としての技術性と密接にかかわっているとみなすことができる。
アヴァンギャルドにおける知覚のパラダイム転換を検討しようとするとき、知覚と技術性との関係について、言い換えれば主体と広い意味でのメディアとの関係について、そのどちらにアクセントを置くかによって、大きく二つの方向性を想定することができるかもしれない。これら二つの方向はいうまでもなく相互に密接に絡み合っている。
一つは、ジョナサン・クレーリーが彼の二つの主著で試みているように、近代化のプロセスにおける「主体性の再形成」に焦点を当てる立場である。クレーリーは『観察者の系譜』において、外界の模倣的再現から新たな視覚表象へのパラダイム転換を、制作された「作品」に依拠するのではなく、「観察者」の知覚と思考の枠組みそのものを考察の対象とすることによって、カメラ・オブスクラ的な世界の把握から主体の側による表象の形成という表象の転換点を19世紀前半における科学的言説および技術性の転換に求めている。クレーリーはその際にパラダイム転換を19世紀末のモダニズム(印象主義、セザンヌ)に求める従来の説明に対して距離をとっているのだが、そこには19世紀前半に転換点を見いだそうとする彼の主張を際立たせるための戦略という側面もあるだろう。アヴァンギャルドそのものにラディカルな知覚の転換が一挙に生じていることは見まがいようもない。われわれは現代のコンピューター・グラフィックスに典型的に見られるような、機械化され非身体的・非物質的で断片化された「視覚性」を念頭に置きながら、西欧近代における伝統的な視覚性がどのようにして抽象化の過程をたどることになったかをこういった視点からたどることができるだろう。
もう一つの立場は、例えばベンヤミンに典型的に見ることができるように、知覚の変容がメディア・技術性の転換によってもたらされるものととらえる。こういった考え方はメディア理論における基本的な枠組みのうちに引き継がれているが、あまりにも図式的な技術と知覚との相関性の見取り図にとらわれるのではなく、むしろベンヤミンが技術メディアへの劇的な転換の時代に提示した新鮮な身体性のイメージに立ち返り、そのイメージに寄り添うことによって、より本質的な核心を浮き上がらせることができるかもしれない。例えば、よく知られた「視覚的無意識」というキーワードは、単に心理分析とのパラレリズムによってスローモーションやファーストモーションといった映画の技術的特質について言及しているだけでなく、素朴な身体的知覚・認識の彼方にある構造性を胚胎するアヴァンギャルド芸術の一般的特質の一つに関わるものでもありうる。
2日間のシンポジウムは、全体として4つのセッションから構成されていた。1日目の最初のセッションの冒頭におかれたシルヴィオ・ヴィエッタ氏(ヒルデスハイム大学名誉教授)の基調講演The Avant-garde and Perception: Towards a New Theoryでは、歴史的アヴァンギャルドを単に20世紀初頭の文化現象としてとらえるのではなく、古典古代にまで遡るヨーロッパ文学の伝統の内部での文学的知覚にかかわるマクロの視点、特定の言語圏・特定の時代にかかわるミクロの視点、そして、このミクロの視点の圏内にある特定の作家の知覚という、三つのレベルでの知覚にかかわる長期的な傾向としてアヴァンギャルドが位置づけられ、それぞれがヨーロッパの合理性の進展に対する批判として機能していたという立場が示された。
「不透明なガラス2」と題された第2セッションのラウンドテーブル・ディスカッションは、3月8日に同じく東京外国語大学で行なわれたシンポジウム「臨界のメディアとアヴァンギャルドの知覚」のラウンドテーブル・ディスカッションの続編として行なわれた。登壇者の岡田温司氏、香川檀氏、田中純氏、松浦寿夫氏、和田忠彦氏は、それぞれまったく異なる領域・対象をめぐる論点を最初に提出しながらも、全体として不透明でありながらも透過するメディアの技術性と知覚の問題に緩やかに収束してゆく場となっていった。
2日目は、技術と身体性、視覚性にかかわるテーマ(「アヴァンギャルドの身体性」「視覚の詩学」)のもとに9つの発表が行なわれた。シンポジウム全体の最後にマルティン・ルター大学(ハレ・ヴィッテンベルク)のセルゲイ・ヴィリュコーフ氏の発表(ロシア語、通訳は佐藤貴之氏)がおかれていた。自ら詩人でもあるヴィリュコーフ氏は、ロシアのアヴァンギャルドの詩人の作品を豊かなパフォーマンスによって朗読し、聴衆を引きつけていた。
シンポジウム全体を通して、あるテーゼを提示するというかたちをとることはなかったものの、複数の言語・文化圏の多様な領域の論点・視点が次々と示されていくなか、知覚と身体性をめぐるある種の収束感が形成されてゆく、そのような場になっていたと感じている。
山口裕之