研究ノート

プラットフォームと文化的参加:公共圏と観客性の再構築

報告:難波阿丹

ネットワークへの参加

ポスト産業主義社会においてひとびとの「情動」をターゲットとして市場経済を駆動するプラットフォームの設計が模索されつつある。マイケル・ハート等が言及する「情動労働(affective labour)」とは、マウリツィオ・ラッツァラート(Maurizio Lazzarato)が述べるような知識、情報、関係性といった非物質的な生産物を作り出す労働に含まれ、ネットワークのインフラストラクチャーに支持されて、人々の集合的な情緒の動性とコミュニケーションの回路を作り出している(Michael Hardt 1999: 89-100)。同時に、ネット上に顕在化する「情動労働」とは、Web2.0の登場以降、一方的なサービスの受給者であった消費者が、生産活動へとモチベートされるプラットフォームの設計と軌を一にしているだろう。

多岐にわたる集合的身体によるネットワーク上の振る舞いには「情動資本主義」には回収することが難しいが、労苦を伴う「労働」とみなされる活動も存在する。例えば「特定厨」と呼ばれるネット民の活動がそれである。「特定厨」とはブログやtwitterに挙げられた情報を手掛かりとして、人物を特定する者の蔑称といえる。ネット上にあげられた些細な個人情報を総合的に組み合わせることから人物を割り出していく営みは時間と根気のいる作業である。しかし、その行為は、必ずしも彼らやその周縁のシステムに直接の経済的な対価をもたらすものではない。「特定厨」は、インターフェイスを通じて特定の個人を「検閲(censorship)」しメディア空間に「参加(participation)」することで、経済的にというよりは「情動」的な対価としてのカタルシスをえていると推測できる。

ネット民の「特定厨」化やメディア空間への「参加」を、ネット上にある個人情報の集積やプラットフォームが誘導している。このように、情報リテラシーを備えた「大衆」の労働力を非物質的、あるいは物質的生産へと繋げていくプラットフォームとは、いかなる要件を備えているのか。ジャン・バージェスとジョシュア・グリーン(Jean Burgess & Joshua Green)は、著書『YOUTUBE: デジタル・メディアと社会シリーズ(現題:YOUTUBE: Digital Media and Society Series)』において、広告企業体であるYouTubeのプラットフォームにおける、一般市民による「文化的参加(cultural participation)」の可能性を議論している。彼らは、YouTubeの価値とは、市民による共同的な創造性とユーザーやオーディエンス同士のコミュニケーションから生成されると説明している。YouTubeのプラットフォームを通して、個人がアイデンティティーや認識を主張でき、コメンテーター、生産者、編集者、傍聴者とさまざまな役割を演ずることが、「文化的参加」の表現形式である。彼らはまた、YouTubeのプラットフォームが国家との接続を離れた「文化的市民権(cultural citizenship)」を人々に付与し、「文化的公共圏(cultural public sphere)」へと展開する可能性にも言及する(Jean Burgess & Joshua Green 2009: 75)。じっさい、YouTubeのグローバル化された圏域は、地域の文化的特殊性を越えて、ユーザーに民主的な世界市民権を付与するプラットフォームとして期待される。例えば、YouTubeにアップされるビデオ・ブロガーの私的で小さなイベントを視聴する経験によって、社会的な境界性や先入観が取り払われるという主張もなされている(Patricia Lange 2007, n.p.)。

消費者から生産者へと、ユーザーおよびオーディエンスを巻き込んでいくプラットフォームとは、デザインのオープンソース化の枠組みのうちに取り上げられることが多い。「オープンソースデザイン」とは、デザインのプロセスをネット上に公開し、消費者が生産者として、デザインの課題を共有し解決していく仕組みと、とりあえずは言うことができるだろう。「オープンソース」とは、ソフトウェアのコードを無料で公開し、テクノロジーリテラシーを備えた万人が自由に組み替え、提供を可能にする謂いであるが、その発想をプロダクトデザインに応用するプラットフォームが整備されつつある。例えば、家具デザインの設計図を公開する「Open Desk」や、電気自動車をカスタマイズ可能な「TABBY EVO」等のオンラインプラットフォームが挙げられる。ユーザーは、ネット上でデザインの青写真をダウンロードし、それらに自由に脚色を加えることで、限定的にではあるが、生産者として自己表現の機会を与えられるのだ。「TABBY EVO」ではこれに加えて「OSV forum」という場を設けており、ユーザーがデザインの改善に関する提案を行うこともできる。このように、生産者と消費者の垣根を越えたデザインや商品開発への実践が模索されているのである。

プラットフォームと観客性の更新

上記のように各種プラットフォームには、ユーザーや観客を生産者へと巻き込んでいく仕組みが実装されている訳だが、その「観客性(audienceship)」のあり方や、オープンソース化が可能なデザインの行程にもさまざまな条件が加えられている。観客性に関して言えば、フィルムと「観衆(viewer)」、表象と主体性との関連に想定されていた「大文字の観客」が失効し「儚いうたかたの実践が続出し、映画の制度がますます断片・散逸化し、生産・配給・興行の長期持続的なヒエラルキーがその力を失う状態」(Miriam Hansen 1995: 139, 拙訳)へと回帰している1990年代以降のメディア文化のなかで、プラットフォームを介してのユーザーと観客の位相の差異を読み取ることが重要だと言えるかもしれない。

例えば、90%のユーザーはネット上のコミュニティーに貢献することなく、傍観している「潜伏者(Lurkers)」(Bradley Horowitz)であるとされている。この「潜伏者」は、ネット上の活動に参加しない、情報の受動的な享受者のように思われがちであるが、周縁の位置から、積極的にプラットフォーム上の活動へと「エンゲージメント(engagement)」を促していく、プラットフォーム設計上の「正当な周縁的参加(legitimate peripheral participation)」のプロセスが指摘された(Jean Lave and Etienne Wenger 1991, 29)。周縁からスキルをもった参加者の行為を観察することによって、傍観者を参加者へと誘導していくプラットフォームこそが、優れたプラットフォームとして評価され、「特定厨」や「炎上」現象を誘発しやすいコミュニティーの生成を促していく。

最後に、デジタル・ゲームのプラットフォームについてユーザーをインタラクティブな活動へと巻き込んでいく仕掛けを紹介しておきたい。先端的なデジタル・ゲームでは、ユーザーの動きを感知して、反映するフィードバックの回路が実装される。例えば、「ジェスチャーコントロール」デバイスとして、マイクロソフトが開発したKinect、顔認識技術によってプレイヤーの表情の微細な動きを検出するフェイスコントロール、プレイヤーの目の動きを追跡し、ゲーム空間での視覚を構成するアイトラッキング、脳波測定によってカーレースのアクセルを管理する「MindWave」(NeuroSky社) 装置等、ユーザーの身体の微細な動きを感知・制御し、ゲーム空間へと反映するデバイスの支援によって、ユーザーとゲーム空間との境界が判別不可能なまでに接近し、プラットフォームを介したユーザー同士のコミュニケーションもますます加速・細分化し、動的に緊密化していく事態が想定される※1

※1 ゲームデザインのインターフェイスと身障者の知覚補填に関しては、下記を参照。難波阿丹(2015)「デジタル・ゲームのインターフェイス:プレイヤーの身体欠損と知覚の代替」『C&D』48巻167号、名古屋CDフォーラム、32-35頁。

ゲームデザインのプラットフォームが人々の生活世界にもたらすのは、「健常」な身体イメージと身体感覚の提供でもある。知覚器官に障害をかかえたユーザーに対して、ゲーム空間からのフィードバックに関与する知覚・感覚の複数の回路が準備され、アクセシビリティ(接続可能性)が確保されることによって、欠損した知覚が補填される可能性を考えることができる。

四肢まひの身体障害者であり、ゲームデザイナーであるロバート・フロリオは、マウススティックと呼ばれる特殊な手動デバイスを用いてゲーム制作を行い、自身の環境へのコントロールを確保し、ゲーム内で展開されるアクションに感覚を結合させようとした。すなわち、フロリオは、動作可能である口、顎、下唇の動きを微細に感知し、増幅し、感覚を再配分するデバイスによって、ゲーム空間との接続を確保し、「健常」な身体をもつアバターの操作を行ったのである。

このように、身体障害者がゲームデザインへと没入するプラットフォームの設計を例にとってみれば、彼/彼女の動作可能な身体機能がメディウムを経ることによって拡張され、他の知覚器官を代替し、補填する可能性を考慮に入れることもできる。これは、障害者の身体活動を、健常者におけるそれと同等に確保する手段として認められるだろう。ゲームデザインのプラットフォームは、知覚の機能性を部分的に拡張するメディウムであるのみならず、分割されていた器官を統合的に管理する身体の統制/制御システムの新しい可能性をあらわしている。

これまで「情動」に動機付けられてネット空間において過剰な「労働」を行う「特定厨」の活動から説き起こし、プラットフォームに期待される「潜伏者」と呼ばれる周縁的なユーザーを、プラットフォームの中心的な活動へと参加を促す設計について検討してきた。そのさい、YouTubeが市場と非市場を統合した文化的プラットフォームであるとして、「文化的市民権」ならびに「文化的公共圏」の可能性を示唆していることを指摘した。しかし、そのようなYouTubeのプラットフォームに参加可能なのは、情報リテラシーを備えたアクター達であり、それをそのまま世界市民と称するのは語弊があるとも言える。

更に、文化的活動としてのデザインのオープンソース化には制限が設けられている。ファッションや建築等のさまざまなアートにおいて、集合知による協働制作が可能なプラットフォームが考案されているものの、デザインの青写真に対する色彩、組み合わせ等のオプションのみが共有されているにすぎず、デザインシステムの設計にまでは至っていないのが現状である。しかしながら、ゲームデザインにおけるプラットフォームにあらわれているように、そのインターフェイスに実装された装置に支援されて、欠損された知覚器官が補填されるといった機能性を指摘することができる。今後も、観客性のあり方を更新する可能性を孕んだメディア研究として、プラットフォーム・スタディーズを構想することができるかもしれない。

《参考文献》

  • Burgess, Jean & Green, Joshua (2009) YOUTUBE: Digital media and society series, Polity Press.
  • Hansen, Miriam, Early Cinema, Late Cinema: Transformations of the Public Spere, Williams, Linda (1995) Viewing Positions: Ways of Seeing Film, Rutgers University Press.
  • Jenkins, Henry., Ford Sam and Green, Joshua (2013) Spreadable Media: Creating value and meaning in a networked culture, NYU Press.
  • Lange, Patricia G (2007) ‘The Vulnerable Video Blogger: Prompting Social Change Through Intimacy.’ The Scholar & Feminist Online 5(2).
  • Lave, Jean, and Etienne Wenger (1991) Situated Learning: Legitimate Peripheral Participation, Cambridge University Press.
  • Michael Hardt (1999) “Affective Labor.” boundary 2 26(2): 89-100.

難波阿丹(上智大学)

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年3月29日 発行