脱フォルムの試み ──大野一雄『睡蓮』創作ノートの読解より
1.
M・フランコが論じているように、Choreographyという単語の中には「踊ること」と「書くこと」の二重の行為がすでに存在している※1。ダンスは常に、身体によって形象を空間に描き出すことと、生きた身体との間の緊張関係の中にあった。この議論には様々な視点が考えられるが、ここで注目したいのは、ダンサーや振付家によって書かれた言葉と動きの関係である。その中で第一に挙げられるのは、踊りを記録する目的で発展してきた舞踊譜であろう。古くはルネサンスに宮廷舞踊のステップを記録するためにアルファベットの省略記号として登場し、ボーシャン、フイエによる記譜システムを経て、20世紀にはモダンダンスのパイオニアであったルドルフ・フォン・ラバンがラバノーテーションを完成させている。ラバンは、重さ、空間、時間、流れによって身体を中心に運動を分析・記譜した。これらの舞踊譜は、単に踊りを紙上に保持するだけでなく、その記譜の発明者が身体をどのように捉えていたかを示している。一方、舞踊譜以外にもダンスと言葉を巡る議論は存在している。例えばイザベル・ロネは、上述のラバン、そして同じくモダンダンスの旗手であったマリー・ヴィグマンの言葉を分析し、彼らがダンスにおいて実践した「モデルネ」の意味を考察した※2。もちろん、テクストにおいて語られたこと全てが作品で実現されたと短絡的に結びつけることはできないが、ロネは彼らの言葉の中に、同時代の意識との関連やダンスのヴィジョンを見出している。
※1 Mark Franko. «Writing for the Body ; Notation, Reconstruction and Reinvention in Dance », Common Knowledge 17:2, Duke University Press, 2011, pp.321-334.
※2 Isabelle Launay. A la recherche d’une danse moderne : Rudolf Laban- Mary Wigman, Editions Chiron, 1996.
2.
日本で誕生した舞踏も言葉と独自の関係性を結んでいる。土方巽はフォートリエやベーコンなど様々な絵画のコピーをノートに張り付け、そこから動きのイメージを具体的に書き起こした。また、土方の弟子や複数の研究者が分析したように、例えば「灰柱の歩行」という謎めいた言葉は、踊り手の想像力に働きかけて感覚を刺激し、動きを生成したことが明らかになっている※3。一方で、土方とともに舞踏を牽引した大野一雄にも舞踏譜なるものが存在しているが、こちらは性質を異にする。というのも、一般的にノーテーションが担っている「伝達」の役割が、大野においては皆無と言えるためである(『お膳または胎児の夢』(1980)のノートには共演者への参考という書き込みがあるが、その他は構成表を除き自分が踊るために必要とした記述であると考えられる)。大野の舞踏譜=創作ノートは、B4サイズの用紙にマジックで書かれたものが主で、5000枚以上が保存されている。多くは作品ごとに纏まっているが、大野は年月を明記していないため時代区分が不明なものもあり、また一度書いたものにコピーして書き足すというスタイルであるため、重複する内容も多い。しかしこれらを読み解いていくと、これまで「即興」として語られていた大野の作品にある骨格や、元となったイメージとその生成過程、意図した動きの質などが浮かび上がってくる。大野の舞踏がどのようにつくられ、なぜ70歳を超えてから世界中の人を魅了したのか、未だ明らかになっているとは言いがたい状況にあって、舞踏譜は大野の創作に隠された秘密を解き明かすヒントを与えてくれる。
※3 土方の舞踏譜や創作に関しては以下を参照。三上賀代『器としての身體──土方巽・暗黒舞踏技法へのアプローチ』ANZ堂、1993年。國吉和子「土方巽と美術──『舞踏ノート』における引用図版と舞踏の言葉を参考として」『多摩美術大学研究紀要』第22号、多摩美術大学研究紀要委員会、2007年、pp.105-122。森下隆『土方巽 舞踏譜の舞踏──記号の創造、方法の発見』慶應義塾大学アート・センター、2015年。
この舞踏譜の分析に際し手がかりとなる先行研究として、ジュリー・ペランが行なったシモーヌ・フォルティのテクスト分析を挙げておこう※4。彼女はダンサーの主体や動きの生成においてエクリチュールが担う役割を検討し、エクリチュールとダンスの実践が共に「運動的な試み」を有しているという仮説を立てる。動きの原動力が個人の身体的能力だけでなく、形成された知覚に基づくと考えるならば、テクストは、感覚の展開の場、踊る身体を豊かにする知覚訓練の場になりうるのだ。こうしてペランは、フォルティの実践およびテクストの変遷を、WSでの自然、特に彼女が「風景」と名付けた外部環境と身体感覚に着目して分析していく。この理論を参照し、テクストの中の運動感覚や知覚的要素を探っていけば、大野が目指した踊りを繙いていくことも可能であろう。もちろん、フォルティの描写した風景と大野のイマジネーションや記憶を同列に扱うことができないのは明白だが、大野の記述から動きあるいは知覚の痕跡を読み解くヒントとしては有効な手段であると思われる。
※4 Julie Perrin. « Une lecture kinésique du paysage dans les écrits de la chorégraphe Simone Forti ». Imagination(s) environnementale(s), Raison Publique, PUR, no.17, hiver 2012, pp.105-119.
3.
これまで大野の舞踏譜に関しては、『ラ・アルヘンチーナ頌』(1977)、『わたしのお母さん』(1981)を例に、記憶が様々な文章の引用によって補填されていくさまや、海外公演に伴う変化、モダンダンスの影響や土方巽の言葉による振付の痕跡を指摘してきた。ここでは土方の死後に制作された『睡蓮』(1987)を例に、大野が探究した動きに接近してみたい。
『睡蓮』は改変を加えながら、1997年まで上演されている。年代や上演場所によって構成に変化は見られるものの、モネの絵画〈睡蓮〉を着想源にしたという骨格は揺るがない。残されている記録映像を見ると、『ラ・アルヘンチーナ頌』に比べて全体的に「曖昧な動き」が多いという印象を受ける。前者は、マイム的動作で構成された場面、アルヘンチーナの踊りを彷彿とさせるアンバランスで素早いステップが魅力の場面など各要素が際立ち、複雑な身体の動きが緩急と鋭さを伴って立ちあらわれる作品である。同年代のもので比較すると、後者は大野がドレス姿でゆったりと歩く場面や、着物でステッキを持ってさまよう場など、それほど複雑なステップは見受けられない。果たしてこれは、土方巽という演出家が不在となった結果だろうか※5。悪く言えばメリハリの無い大野の動きはしかし、常に微小に変化し留まるところを知らず、一つのステップ、一つの振りとして定めることのできない踊りである。筋肉のわずかな収縮や、手先の漂うような細やかな動きが、場面ごとに異なる衣裳で展開していく。
※5 土方と大野の共同制作過程については、いくつか証言が残っている。例えば、『ラ・アルヘンチーナ頌』であれば、ほぼ完成していたもの(群舞として大野が構成していたもの)に土方が「メスを入れて」大野のソロに改変した。
大野の舞踏譜に目を配ると、彼がこの作品で試みようとしたものが見えてくる。まずはタイトルが示す通り、これがモネの〈睡蓮〉連作に着想を得ているとことがヒントとなる。大野は次のように書いている。
「水底にゆらめく草が見える。素晴らしいが描こうとするとイライラさせられる。年をとった私の手には負えないもの。しかし自分がこれ程生き生きと感ずるものをはっきりと表現出来るようになりたい。」モネ一連の睡蓮の池のエチュードは視力の衰えに苦しむことも重なり不可能事への挑戦の場でもあり記録でもあった。モネの導きを受けながら私のすべてを下書きにして美しさの中から浮かび上がってくる虚、実、透の世界と取り組んでみようと思ったのでした。※6
※6 これがいつ頃書かれたか定かではないが、大野の場合、作品は一度きりの上演で「完結した」ものではなく、骨格は維持しつつ変化していくものであるため、『睡蓮』に通底する思想を推し量ることはできると考える。なお、以下の大野の言葉の引用は、全て創作ノートに基づいている。
ここではモネのものと思われる言葉を引きながら、描く=キャンバスに留め置くのが難しいようなゆらめきを、虚と実のあわいを踊ろうという大野の試みを指摘できる。それは、印象派が描こうとした光のような、変化し明確なフォルムをもたないものである。大野の記述を辿ると、『睡蓮』全体を通じて「うつろいやすいもの」を表象する挑戦が浮かび上がってくる。以下は、94年に出版された宇野邦一『ジュネの奇蹟』(日本文芸社)から部分的に引かれたものである。
男性の中に女性が女性の中に男性が/いづれが鉱物でいづれが植物か/私が考えていたものが反対に存在している/この様な中で両性具有が成立する/女性として輪郭を失って流出し様々な男達に流れ込む/限界のない程両性具有の特権か/(略)/この様な中で偶像を結晶する瞬間は舞踏における身振りの一瞬である
初演からは時間が経過しているが、大野は自分が目指した表象・身振りの指標をここに感じ取ったのではないだろうか。舞台で女装する中で目指された両性具有者としての演技は、他者と線引きされ独立した身体/明確なフォルムを持った動きではなく、輪郭のはっきりしない、外部との境界が曖昧な身体/その揺らぎの中で像を作り出すような身振りであったといえよう。
また、ミショーからインスピレーションを得た文では、大野が好んだ「死者とともに踊る」という言葉のパラフレーズともとれる考えが記されている。
ミショーのしゃべりながら書くことは自己を見失わせる手段/私性を超えた自己を再発見、自分の声でない非常に多くの声/書くという行為は自己の声でない多くの声を逃がさない紙とインクとでできた艦であるともいえる
この自己喪失の感覚が、「書くこと」とつなぎ合わされていることは非常に興味深い。大野は創作の際に何枚ものメモを残しており、そのような自身の創作姿勢をミショーと重ね合わせることで、「自分が」踊るという感覚から離れ、身体に「自己ではない多くの声」を取り入れようとしていたと考えられる。これらの引用の他にも「梅干しを干す老婆」「鉛の花」といったイメージがちりばめられているが、それらが大野の踊りの中に具体的なフォルムを持って表されていると考えるのは難しいだろう。なぜなら上記の引用が示す通り、ここではイメージは形にならないうつろいやすさ、フォルムを持たないものの中に溶解していくからだ。
この大野の試みは、すでに幾人かの研究者が指摘しているように舞踏が「フォルム」を別の仕方で考えていたこと、アンフォルムへの接近※7とも重なるだろう。バタイユのアンフォルムに立ち戻りながら、大野をこうした視点で見直す点に関して、今後より論を深めていきたい。
※7 Christine Greiner. « Ôno Kazuo : le corps où les mots ne s’inscrivent pas », La danse en solo : Une figure singulière de la modernité, dir. Claire Rousier, Centre national de la danse, 2002, pp. 95-104.あるいはSylviane Pagès. Le butô en France : Malentendus et fascination, Centre national de la danse, Pantin, 2015.また、國吉和子は註3記載の論考にて、土方の舞踏のアンフォルメルへの接近を指摘している。
宮川麻理子(東京大学)