第11回研究発表集会報告

企画パネル オフィーリアの400年

報告:伊澤高志

日時:2016年11月5日(土)16:00 - 18:00
場所:青山学院大学青山キャンパス17号館17511教室

真以美(Theatre Company カクシンハン)
吉原ゆかり(筑波大学)
風間彩香(新潟大学)

【司会】北村紗衣(武蔵大学)


2016年はウィリアム・シェイクスピアの没後400周年にあたり、世界各地でそれを記念したイベントが開催されている。本パネルは、日本において、英文学会やシェイクスピア学会とは異なった場でもシェイクスピアを論じてみたいという企画者の意図にもとづいている。具体的には、もっとも有名なシェイクスピアの戯曲『ハムレット』を題材に、主役ハムレットではなく、ヒロインのオフィーリアを取り上げる。オフィーリアは、ジョン・エヴァレット・ミレイをはじめ多数の画家の手になる作品に描かれ、また時代の変遷に応じて多様なメディアに翻案されているため、シェイクスピア死後400年に渡るメディアの変化とシェイクスピア受容のあり方を考えるのに適したキャラクターである。本パネルでは、そのようなオフィーリア受容の変遷を考えるにあたって、研究者だけでなく、実際に舞台でオフィーリアを演じた経験をもつパフォーマーを迎え、19世紀のシェイクスピア批評(風間)、現代の視覚文化(吉原)、現代の上演(真以美)、それぞれにおけるオフィーリア受容を論じる。

まず、風間彩香は「幼少期の描写にみる19世紀英国のオフィーリア像──女性批評家ジェイムソンとクラークとの比較を通して──」と題して、19世紀のふたりの女性批評家(作家兼女性解放論者アンナ・ブラウネル・ジェイムソンと、作家兼シェイクスピア研究者メアリ・カウデン・クラーク)によるオフィーリアの「幼少期」の描写──当然のこと『ハムレット』には描かれていないので、いわば「二次創作」である──に注目する。それによって、オフィーリア受容が社会をいかに反映するのか、そしてオフィーリアがいかに多様な姿をとるものであるかを明らかにする。ふたりの女性批評家/作家の描くオフィーリアの幼少期は、いずれも興味深い。ジェイムソンのオフィーリアは、幼いころに王妃ガートルードの寵愛を受け、侍女として宮廷に出仕する。これは一見望ましいことに思えるが、のちにオフィーリアは幼い自分を手放した父ポローニアスへの懐疑を示す。ここには、(実際にはこの父娘は上流階級であるのだが)当時の中産階級的な家庭観/子育て観が反映されている。つまり、子は家庭において母親によって養育・教育されるべきという考えである。それゆえ、オフィーリアの幼少期は「異常」なこととみなされ、その「異常な幼少期」がのちの彼女の悲劇へと結びつくものとされる。一方、クラークは、オフィーリアと母オードラとの濃密な母娘関係を描く。このオフィーリアは幼少期に性的な心的外傷を負う出来事に遭遇するのだが、その際に彼女を救い、またその後の彼女にいわば「性教育」を施すのは母親である。しかし、これらの幼少期の経験の蓄積が彼女の人格を形成し、それが結局は悲劇へとつながるものとされる。そこには、やはり当時の子育て観の反映が見られるのである。両テクストともに、当時の社会における女性(母娘)のとらえ方をもとに、異なった角度からオフィーリアの幼少期を表象/創造しており、オフィーリア受容の多様性を示すものとして興味深い事例である。

吉原ゆかりは、現在のシェイクスピア研究において「アダプテーション」への関心が高まっていることを述べ、シェイクスピアをどのように「いじる」のかというところに、その時代の価値観や文化的力学、オブセッション、さらには「歪み」が表出すること、またとりわけオフィーリアへの注目度が高いことを指摘する。それを踏まえて、吉原は「オフィーリアが根性のひん曲がったスポーツ万能のビッチだったら?」と題し、ミレイが描いたような美しい「水死する女(Dead Wet Girl)」としてのオフィーリアのイメージが、現代の視覚文化(アニメ、マンガ、小説の挿絵等)でいかに領有(appropriation)されているのかを論じる。シェイクスピアのテクストにおいてオフィーリアの水死は報告されるのみで、実際に舞台上で演じられるものではなく、その点では風間の論じた「オフィーリアの幼少期」と同様である。もちろん両者の性質は異なるが、「シェイクスピアが描いていないものを想像/創造する」という点では共通しており、キャラクター受容においてテクストの「隙間」を埋めることが重要であるとわかる。吉原が具体的に示した作品は多数におよび、ここで詳細を説明することはできないが、主だったものを列挙してみる。古典的な作品として、坪内逍遥による『ハムレット』翻訳と、尾崎紅葉『金色夜叉』、夏目漱石『草枕』などの挿絵。映像作品では『リング』シリーズ(特にハリウッド版)、スタジオ・ジブリの『崖の上のポニョ』、マンガ原作のアニメ『CLAYMORE』と『黒執事』、大塚英志の小説を原作とした『零~ゼロ』。さらに、松井冬子の絵画「浄相の持続」や、樹木希林がオフィーリアに扮した宝島社の広告。そしてNHK-Eテレ『びじゅチューン』でオンエアされた井上涼「オフィーリア、まだまだ」。いずれも、(「作者の意図」にかかわらず)直接間接にミレイ的オフィーリアのイメージを領有しつつ、男が理想とする「男のために美しく死んでいくオフィーリア」というイメージのはらむ暴力性を暴き出し、あるいはそこから逸脱し抵抗する新たなオフィーリア像を想像/創造する。たとえば「オフィーリア、まだまだ」において、背泳ぎの得意なオフィーリアは、男のために死ぬなどということはせず、自分の力でどこまでも泳いでいくのである。素晴らしい。

真以美は、舞台俳優として演じるなかで考えるオフィーリア像について述べる。真以美はオフィーリアを「愛の人」ととらえ、演じたという。兄レアティーズ、父ポローニアス、そしてハムレットを愛した女性。愛が強いゆえに、引き裂かれる女性。しばしば自己を語らぬ人物とされるオフィーリアだが、多くを語らずにいることもまた彼女の愛ゆえであり、そこには強い意志がある。一本芯の通った女性であり、そこには彼女の美学や力強さも感じられたという。その後は登壇者から真以美へ質問がなされ、そのなかであらためてオフィーリアのとらえ方、舞台上でのイメージの作り方について意見が交わされた。オフィーリアを演じるうえで参考にしたものはあるのかという問いに答えて、真以美は、オフィーリアとハムレットとの関係を演じるうえで男女という性別を超えたところでの精神的な深いつながりを大切にし、カミュの『カリギュラ』の「同じ魂と誇り高さを持つふたりの男が、生きているうちに少なくとも一度、心の底から話をすることは可能だと思うか」という問いかけを指針としたという。一方、ヴィジュアル面では女性ファッション誌を参考にしたといい、ここにもオフィーリアという人物の多面性があらわれているように感じられた。その他にも多くの質問がなされたが、ここではそのすべてを報告することはできない。しかし、いずれに対しても、真以美は一貫してオフィーリアの「愛の深さ」と「意志の強さ」をもって答えとしていたように思える。これは、オフィーリアを単なる「犠牲者」にしたくない/してはいけないという、彼女のオフィーリアへの愛と、彼女自身の意志の強さの表れではないだろうか。そしてそれもまた、オフィーリア受容のひとつのあり方である。なお、真以美は『ハムレット』上演において、一人二役でオフィーリアとノルウェイ王子フォーティンブラスを演じているが、終幕、デンマーク王位を継ぐことになるフォーティンブラスはドレス姿であり、あたかも男たちによって死ぬことになったオフィーリアの「復讐」のようであるという指摘がなされたことも付言しておく。

最後にフロアから、オフィーリアの描き方/演じ方と『ハムレット』作中の季節とのかかわりや、真以美の出演したカクシンハン版『ハムレット』についての質問がなされた。本パネルは、19世紀の批評的小説/小説的批評、現代の視覚作品、そして舞台上演と、さまざまな時代、メディアにおけるオフィーリア受容をあつかい、個々の報告やディスカッションはもちろん、従来は分断されがちなシェイクスピアの研究・批評と舞台上演・演出とをつなぐ試みとしても興味深いものであった。欲を言えば、あまり演劇やシェイクスピアに馴染みのない聴衆のための基本的な情報の提供や、上演の写真や映像などの活用がもう少しほしかったところである。いずれにしても、今後も俳優・演出家など実作者とのコラボレーションが盛んにおこなわれ、研究者が演劇界に貢献できる場が増えてゆくことを願っている。

伊澤高志(立正大学)


【パネル概要】

2016年はイギリスの劇作家、ウィリアム・シェイクスピア(1546-1616)の没後400周年を記念する年である。シェイクスピアの作品は死後400年にわたって上演・研究・翻案され続けてきた。とりわけ『ハムレット』は最も人気がある戯曲のひとつである。

本パネルにおいては、『ハムレット』の中で主役であるデンマーク王子ハムレットの陰に隠れてはいるものの、観客に強烈な印象を残し、多様な考察の対象となってきたヒロイン、オフィーリアをとりあげる。恋する若き乙女から狂気を経て水死に至るオフィーリアのイメージは、シェイクスピア死後400年の間、時代の変遷に応じてさまざまなメディアに翻案されてきた。このパネルにおいては研究者と実際に『ハムレット』でオフィーリアを演じたことのあるパフォーマーが一同に介し、19世紀の批評、現代の視覚文化、上演などの多角的な視点からオフィーリアの400年間をたどっていきたい。

広報委員長:横山太郎
広報委員:江口正登、柿並良佑、利根川由奈、増田展大
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2017年3月29日 発行