関連イベント 戦後日本映画と御園生涼子 ─『映画の声』(みすず書房)刊行記念
日時:2016年11月4日(金)19:00 - 20:30
場所:エスパス・ビブリオ
松浦寿輝(東京大学名誉教授)
吉本光宏(早稲田大学)
木下千花(京都大学)
【司会】三浦哲哉(青山学院大学)
2016年11月4日(金)、お茶の水のブックカフェESPACE BIBLIOにて、昨年6月に40歳の若さで逝去した映画研究者、御園生涼子氏の遺稿集『映画の声 戦後日本映画と私たち』刊行を記念したトークイベント「戦後日本映画と御園生涼子」が開催された。本書には御園生氏が生前、戦後日本映画について発表したテクストがまとめられている。まずは簡単に本書の構成に触れておこう。第一部「大島渚とその時代」には、『日本の夜と霧』、『絞死刑』、『儀式』をめぐる三つの濃密な大島渚論が収められている。「編者あとがき」によれば、博士論文に基づく『映画と国民国家──1930年代松竹メロドラマ映画』(東京大学出版会、2012年)に続く二冊目の著作として御園生氏が構想していたのが、大島渚についてのモノグラフィーであったという。続く第二部と第三部には、戦後のメロドラマややくざ映画、角川映画をめぐって書かれた学術的ないし批評的なテクストが並ぶ。それら稠密な論理と硬派な文体とによって書かれたテクストからは、御園生氏の苛烈な、しかし繊細な声が響いて来るかのようだ。御園生氏にとって映画について語ることは映画が発する声を聴き取るという営みであったとすれば、本書を読むことは、御園生氏の文章を介して映画の声を聴くことであると同時に、映画の声を聴き取ろうとする御園生氏自身の声を聴き取ろうとすることでもあるだろう。イベントでは、三浦哲哉氏の司会のもと、御園生氏に縁のあった木下千花、吉本光宏、松浦寿輝の三氏がその声を聴き取ることを試みた。
まず大学院の先輩にあたる木下氏は、「フィクションとしての植民地」というキーワードのもとに、御園生氏の声を聴き取ろうとした。本書に収録されたテクストの多くは、「フィクションとしての植民地」という強い問題意識によって貫かれている。御園生氏は、いわゆる「他者の表象」といった問題系とは距離を取りながら、どこか嘘っぽい、作りもののような植民地に徹底して拘り続けた。『儀式』における満州、『ひめゆりの塔』における沖縄、『森と湖のまつり』における北海道、そして『浮雲』における屋久島…。そうした「フィクションとしての植民地」こそ、「共同体に包まれた居心地のよい状態」に対する御園生氏の違和感と批判とがもっとも鮮明な仕方で露呈するトポスであったのではないかという指摘がなされた。
次いで御園生氏の長年の対話相手であり続けた吉本氏からは、書かれたテクストからだけでは知り得ない御園生氏の声の探究のドラマが語られた。吉本氏は、執筆時に個別に読んだときには「ぎくしゃく」として見えたそれぞれの論考が、一冊の書物として通して読むと、まるで「書き直された」かのように堅固な一貫性のもと立ち現れて来るのに吃驚し、御園生氏が「自分の声」をきちんと見つけていたあらためてと感じたという。『映画の声』には、学術的なテクストと批評的なテクストという二種類のテクストが収められている。吉本氏によれば、御園生氏は「学術論文を書くのはやめにして批評を書くべきか」と悩んだこともあり、学術論文と批評のあいだで揺れ動いていたという。しかし学術論文か批評かということ以上に御園生氏がつねに拘っていたのは、「英語で書くべきかどうか」、「日本語で書くのでよいのか」という問題であったという。それは「どこに自分の声を見つけるか」という問題であり、「どういうオーディエンスに向けてどのように書くのか」という声の問題であった。
そして博士論文の指導教官であった松浦氏は、博士論文の延長線上に未完となった大島渚論を位置づけ、御園生氏の仕事を概観してみせた。博士論文は「ナショナリズム、モダニズム、メロドラマ」の三つを強靱な思考力と徹底した資料調査によって同時に批判する見事な「力業」であった。しかし同時に、そこには対象を枠組みに当てはめようとするやや「教条的」なところもあったという。博士論文の後、御園生氏が新たな研究対象に定めた大島渚はまさに「ナショナリズム、モダニズム、メロドラマ」に取り組んだ「教条的」な監督であって、御園生氏と大島渚とは「波長があった」のではないか。こうして御園生氏と大島渚との並行性が指摘された。教条的な大島の映画を「柔らかに読み込んでゆく」御園生氏の試みが中断されたことを嘆きつつ、松浦氏はさらに彼女がなしえたはずの仕事についても想像をめぐらせた。御園生氏は優れた日本映画史を書き上げることができたのではないか、また実作者、女性映画監督として活躍することもありえたのではないか。そうした可能性が閉ざされたことは、松浦氏が何度も繰り返したように「残念」でならない。
さらにトークショーの後半では、前半での問題提起を受けつつ、御園生氏の仕事、キャリアをめぐってより自由なかたちで議論が続けられた。御園生氏のキャリアは短いながらも、じつに曲折に富んだ「ジグザグ」──松浦氏は、フーコーを論じたドゥルーズに倣って御園生氏のキャリアをそう形容した──の軌跡を描くものであった。「編者あとがき」にもある通り、もともとストローブ=ユイレの映画を研究していた御園生氏は2年半の間、フランス政府給費留学生としてパリに留学をする。しかしDEAの学位を取得して帰国した御園生氏は、研究対象を日本のメロドラマ映画へとシフトし、今度はフルブライト奨学生として1年間ニューヨーク大学へと留学することになる。フランスのレトリカルな映画研究が肌に合わず、アメリカのフィルム・スタディーズのなかに解放感を見出したのだろうか。しかし、そのアメリカでも居心地が悪かったのではないか。いや、そもそも御園生氏はどこにいても居心地が悪いのではないか。すでに木下氏が指摘していたように、御園生氏には「ホモソーシャルなものへ溶け込むことへの拒否の感情」(三浦氏)、「なあなあでうなずき合っている共同体への薄気味悪さ」(松浦氏)がある。そして「植民地」という主題は、そうした感情を反映させた切実なる問題であった。さらに松浦氏から、シネフィリーという論点が提起された。御園生氏のテクストは、シネフィル的な映像の快楽へと耽溺するのでなく、「違和感」のある細部に立ち止まり、それを「貪婪」なまでの「徹底した丁寧さ」でもって論じてゆく。そこにはシネフィリーとセオリーとの引き裂かれがあるのではないか。「飴玉をしゃぶる」(木下氏)ように対象を愛でる感受性の持ち主であった御園生氏は、論文を書くときはそれに基づかなかったのではないか。このシネフィリーの問題については、編者である竹峰義和氏から、御園生氏が映画を論じる根底にはやはり「作品にたいする直感的な愛」があり、不器用な仕方であれ自らの言葉を通じて作品の魅力を共有してもらいたいという思いがあったのではないかという補足もなされた。またトークのなかでは、御園生氏の魅力的な笑顔、厳しくも暖かい人柄についても語られたことを書き添えておきたい。
吉本氏は、御園生氏との「対話」は今なおずっと続いていると語っていた。交わした言葉、残されたテクストを通じて対話はこれからも続いてゆく。『映画の声』に収められなかったテクストもまだまだ多い。初期のストローブ=ユイレ論や黒沢清論、アメリカの映画検閲についての論考、あの熱烈な『モテキ』評、そして絶筆となったナンシー関についての英語論文…。それらの論考がまた一冊の書物となり、さらなる対話のよすがとなることを心から祈りつつ、この報告を締め括りたいと思う。
角井誠(早稲田大学)