映像文化の社会学
映画の話をすれば学生が目を輝かせて聞いてくれる時代があった。リュミエール映画を見た観客たちは、カメラの前で食事している家族の姿よりも、その背景で風に揺れている葉っぱに注目したんだよと話すと、学生は自分のことのように喜んで関心を示してくれた。ところがいまや同じ話をしてもあまり喜んでいるようには見えない。何だか大学で映画の歴史について偉そうな講義を聞いているといった風情なのだ。もちろん彼らは馬鹿だというだけなのかもしれない。スマホをいじって自分に閉じこもっているだけなのかもしれない。だが教員をやっている限り、簡単に諦めるわけにもいかないだろう。
それで私は映像文化についての教科書を編んだ。スタジオで作られた娯楽作品や美術館の芸術写真を映像文化の中心と考えるのではなく、日常生活のなかで、スマホで撮ってLINEやインスタグラムで共有されるパーソナルな写真を映像文化の中心と考えて、そこから写真や映画の歴史について見直すこと。いやそれだけじゃない。医療現場のX線写真だって街中に溢れる監視カメラ映像だって、現代の映像文化の中心にあるはずだ。そうした視点の転回によって、私たちの日常生活のありようを見直すこと。とてもその意図を完全に実現したともいえないが、教員が映画の素晴らしさを力説する授業ではなく、教員と学生が一緒に、なんでこんなに私たちは写真を撮りたがるのだろうと議論するような場が生まれればいい。そんな願いをこめて本書を編んだ。
(長谷正人)