渡邊守章(演出家・東京大学名誉教授)
2005年11月19日(土) 18号館ホール 15:00-15:30 主催者代表の佐藤良明氏(東京大学)による開会の挨拶につづき、「表象文化論」の名付け親である「ゴッドファザー」と紹介された、渡邊守章氏による講演がおこなわれた。 渡邊氏は、表象文化論の「第一世代」である、蓮實重彦氏、故高橋康成氏、阿部良雄氏、高辻知義氏らとともに、東京大学における学科や大学院専攻の制度的な創設を手がけた、この学問の創世記をめぐるエピソードから語り始めた。そして、その過程でもしばしば問われた「表象文化論とは何か」という定義に関して、従来の芸術研究とは異なるその性格を、次の三つのポイントを挙げて説明した。 ひとつは、19世紀ヨーロッパの発明である「芸術」という概念に無批判に依拠した分析ではなく、『言葉と物』において「表象」の概念とともに提示された17世紀古典主義のエピステーメーと、19世紀以降の近代性のそれとの差異をめぐるミシェル・フーコーの考察のように、「表象」を仮説/仮設的な装置として活用すべく、「表象」文化論という名が選ばれたという点である。 第二の特徴としては、芸術を「作者」という特権的主体や「作品」という閉ざされた対象にのみ準拠して論じるのではなく、創造・伝達・受容の開かれた仕組みのなかで考えることが挙げられた。そうした志向性は、ヨーロッパ近代ばかりを扱うのではなく、時代的・地域的に対象領域を拡げることに通じている。 さらに、芸術に向けられた研究者自身の視線のダイナミックな変化を確認するための方法論として、1960年代以降の構造主義をはじめとする思想的動向(レヴィ=ストロース、フーコー、デリダなど)に、表象文化論的な問題形成のモデルを求めてきた点が指摘された。そこでは、対象と手法の厳密な自律性に過度に束縛されることなく、いわば「使えるものは何でも使う」貪欲さが肯定されると同時に、「自分で問題を立てる」という最も困難な独創性が重視されている。そこにこそ、芸術を扱う表象文化論的な「手つき」が生まれる。 渡邊氏は、このように表象文化論の特徴をまとめたうえで、その根底にある共通認識として、次の二点を強調した。 ひとつは言葉の重要性である。言語芸術に限らず、どんな芸術ジャンルであっても、その対象を分析して語るためには言語に拠るしかない以上、日本語以外に必ず最低ひとつの外国語を習得することは研究のために不可欠である。それによって対外的な発信が可能になるばかりではなく、異なる言語を通して、分析対象の別の側面も見えてくるようになるからだ。 もうひとつは、偉大なテクストを見つけて、それと取り組むことである。表象文化論を実践するうえで、各自がみずからのバックボーンを形成するためには、自分自身にとっての偉大なテクストを発見しなければならない。 こうした認識を背景に、続く世代への要望として渡邊氏は、みずからが研究者と演出家の両面で活動していることを踏まえ、芸術創造の現場と理論的分析との関係について、既存のモデルはないのだから、表象文化論の研究者一人ひとりが責任をもって解決を提示し、共有できる場を拡げるべきだ、と語った。また、日本語以外の外国語を習得することの重要性はもちろんだが、さらにそこからもう一度日本に立ち返り、日本の文化や芸術を積極的に対象にして、それらを異化して見るような研究が今後はよりいっそう必要になる、と指摘した。そして、2005年で没後50年を迎えたポール・クローデルの研究者である渡邊氏は、同じく50年に及ぶ研究経験を振り返り、自分が捕まえた問題を育むと同時に、腐らせないようにつねに活性化することが重要である、と説いた。 表象文化論の基礎となるべきものを以上のように明確に定義したうえで、渡邊氏は、表象文化論学会が、開かれた、ゆるい集団となって、研究者と芸術創造の現場、あるいは流通に関わる人びととが交流する機会を提供し、会員が相互に刺激を与え合うような場として機能すること、さらにその成果を発表する媒体が生み出されることへの期待を語り、この講演を締めくくった。 [ホームへ戻る]
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