日時:2013年11月9日(土)
場所:東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム3
午前 10:00-12:00
・木下知威(日本社会事業大学)「慈恵のために——楽善会のダイナミズム」
・宍倉洋介(京都大学)「平手造酒の虚像の変化について」
・新田孝行(早稲田大学)「上田敏『うづまき』における音楽記述の問題」
司会:横山太郎(跡見学園女子大学)
木下知威(日本社会事業大学)「慈恵のために——楽善会のダイナミズム」
古代から現代にいたるまで、貧困、災害、戦災、疫病などの困難に面した人や地域には、宗教や政治経済のまなざしに基づいた慈恵活動が行われることがある。この活動に関する研究は、たとえば事業を行う主体と施設の形成、代表者の思想、主体と地域の関係性といったものが取り上げられるだろう。この慈恵活動においてとりわけ重要なのは、ダイナミズム ― 運営主体のみならず、主体を支援したひとびとも含んだ活力の全体像である。
そこで、本発表では明治初期の「楽善会(らくぜんかい)」を対象にそのダイナミズムを見いだしたい。楽善会は明治8年5月に、スコットランドの医師ヘンリー・フォールズ宅において中村正直(敬宇)、津田仙、岸田吟香ら6名のキリスト教信仰者による会合を始まりとする。その活動は、明治13年1月に築地でジョサイア・コンドル設計による「訓盲院(くんもういん)」の開校につながり、盲人たちの自立を目指していくことになる。
ここでは、楽善会が明治9年から寄付金を募るために発行したパンフレット『楽善會慈惠方法』と1800件近くの寄付人リスト『楽善會友慈惠金廣告』を中心に分析する。楽善会がどのようなメッセージで寄付を呼びかけ、集金したのかということからはじめ、楽善会の動きに呼応したひとびとたちの寄付金額、身分、職業、経歴、出身地といったプロソポグラフィを明らかにし、人物像を描き出すことで楽善会のダイナミズムを見いだす。
宍倉洋介(京都大学)「平手造酒の虚像の変化について」
本発表では、江戸時代幕末の剣客である平手造酒の表象について分析する。平手造酒は宝井琴凌の発表した講談『天保水滸伝』で初めて登場した人物である。しかし、平手造酒は謎の人物ということもあって、後年の小説や映画など複数のメディアの脚色の影響で、その虚構化が進んだ人物である。
平手造酒の虚像は、最初に「病身だが義理立てのための駆けつけ」という義人の属性を与えられた。第二に「女の登場」があった。そこでは社会から爪弾きにされた者同士としての女を登場させることで落ちぶれた者の悲哀を増幅させる効果があった。世をすねてヤクザの用心棒にまで成り下がってしまった名剣士平手造酒であり、その過去故に、自棄となり、ニヒルで、虚無的になっている特徴が表現され、そしてその姿が愛された。最後に、「社会的弱者」としての平手造酒である。社会や組織が意識されることで、個人的な悲哀が集団社会における悲哀へと昇華することになった。そして、時代を経て、個人の報恩という姿はただの神話であると、リアルな描かれ方への希求が高まることで、平手造酒の虚像の変化は終わった。
オリジナルの平手造酒と現在の平手造酒の比較を通して、その要素を整理し、「一宿一飯の恩義」という概念や映画、映画批評、日本における映画史の潮流などを手がかりに、その変化の流れを明らかにしていく。
新田孝行(早稲田大学)「上田敏『うづまき』における音楽記述の問題」
上田敏の『うづまき』(1910)は敏本人を思わせる知識人春雄の思想上の変化を描いた思想小説である。人生を傍観し万物を知識としてのみ理解する「享楽主義(ぢれつたんちづむ)」を信奉していた春雄は最終的にこれを「消極の享楽主義」と自己批判し、「人生の渦巻に身を投じて、其激流に抜手を切つて泳ぐ」「積極の享楽主義」を決意する。「消極の享楽主義」から「積極の享楽主義」への変化は、ウォルター・ペイター流の唯美主義からフランスの作家モーリス・バレス(Maurice Barrès、1862~1923。反ユダヤ主義的ナショナリストであり、後のファシズムや文学者の政治参加への道を開いたとされる)の行動主義への移行として説明される。
その一つの契機となったのは或る音楽会での体験で、演奏の最中、隣に座った魅力的な夏子とふと目が合った春雄は彼女が同じ音楽を聴いていると想像し、興奮する。同様に洋楽の演奏会を題材とした漱石の『野分』(1907)や鷗外の『藤棚』(1912)が、音楽に触れず会場や聴衆たちの換喩的な描写に終始したのに対し、敏の小説は用語を使って演奏の細部まで隠喩的に再現する。「音楽そのもの」を提示する隠喩的音楽記述は、春雄が夏子との間に感じた一体感を読者たちにも拡大することを目的としている。その成否や小説の思想的結論との関係、そこに込められた政治的含意について、『うづまき』を読解しながら明らかにする。