日時:2013年11月9日(土)
場所:東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム2
午前 10:00-12:00

・河上春香(大阪市立大学)「観察の技法としてのシュルレアリスム」
・本田晃子(北海道大学)「地下鉄的想像力——ソヴィエト・ロシア映画における地下鉄空間イメージの変遷」
・今村純子(東京大学)「映像という詩のかたち——シモーヌ・ヴェイユとジョナス・メカス」
司会:平倉圭(横浜国立大学)

河上春香(大阪市立大学)「観察の技法としてのシュルレアリスム」

美術もしくは視覚文化論の文脈におけるシュルレアリスムは、共約不可能なものの併置と組み合わせ、あるいは意識的な統御を離れた自動的なモティーフの生成といった、表現の理論の美術史的・美学的な位置付けを中心に語られることが多い。しかしシュルレアリスムには、美学的な問題意識だけではなく、日常的実践を含む現実の状況を新たな視座から捉え直そうとする志向もある。それは特にオブジェの発見と構築、またそれに関わる映像の実践において「アクチュアリティへの創造的な介入」というドキュメンタリーの志向に接近する。シュルレアリスムとドキュメンタリーの関わりは決して浅くはない。ルイス・ブニュエルやミシェル・ジンバッカらがドキュメンタリー映画を製作している他、サルヴァドール・ダリが「ドキュメンタリー――パリ、1929年」と題する一連のエッセイのなかで、ドキュメンタリー映画とシュルレアリスムの親和性を語っている。グリアソンの「ドキュメンタリーの第一原理」以来、ドキュメンタリー映画に関する議論は、現実的状況をありのままに捉えることと、解釈・再構成することの狭間をめぐって展開してきた。映像の無意識的な受容と意識的な構成が互いを支え合う中で作動する観察の機制を、ドキュメンタリーが問題化したといえる。そしてシュルレアリスムの、オブジェや偶然の出会いをめぐる議論もまた、この観察の機制をいかにして構築するかという問題に関わっている。ここでは特にダリやアンドレ・ブルトンのテクストを参照しながら、シュルレアリスムと観察の機制の問題を検討する。


本田晃子(北海道大学)「地下鉄的想像力——ソヴィエト・ロシア映画における地下鉄空間イメージの変遷」

本発表の目的は、モスクワ地下鉄空間が、ソヴィエトおよびポスト・ソヴィエト映画内において果たしてきた象徴的機能を分析することにある。
1935年に最初の区間が開通したモスクワ地下鉄駅は、社会主義リアリズムと呼ばれる建築様式に則って設計され、その豪奢な内装から「地下の宮殿」と呼ばれた。これらの地下鉄駅には、社会主義の勝利というイデオロギー的内容を、その内装を通して“物語る”ことが求められた。
 しかしながら、現実の建築空間よりもある意味でより能弁な語り手となったのが、映画という物語のなかの地下鉄空間だった。スターリン期の映画作品内では、しばしば周辺から中央(首都)へと向かう求心的な運動が描かれたが、地下鉄空間は他のモニュメンタルな建築物とともに、イメージの領域における首都モスクワの建設に利用された(38年『新モスクワ』、53年『アリョーシャ・プチツィン、意思を鍛える』。また戦時中のモスクワ空襲の経験は、地下鉄空間の表象に、シェルターとして、さらには地上の都市に対するオルタナティヴとしての空間という新たな意味をもたらした(57年『鶴は飛んでいく』、85年『モスクワ攻防戦』)。
このように高度にイデオロギー化された地下鉄空間にとって決定的な転機となったのが、他ならぬソ連邦の崩壊だった。連邦崩壊を機に、地下鉄空間は一転、悪夢や不条理の空間として描かれはじめる。たとえば『ナースチャ』(93年)では、「宮殿」という呼称そのものが胚胎していた矛盾がアイロニカルに描かれ、『パイロットたちの科学捜査班』(96年)では、それまで明るく壮麗な地下鉄駅に対してスクリーンから締め出されてきたトンネルの闇が、前景化されることになったのである。


今村純子(東京大学)「映像という詩のかたち——シモーヌ・ヴェイユとジョナス・メカス」

シモーヌ・ヴェイユ (Simone Weil, 1909-43) は、その劇的な人生や宗教性について語られることの多い作家である。だが彼女は、生々しい、己れを否定してくる「現象」から導き出された深い洞察を「映像」として立体的に浮き彫りにする資質を有している。それは広義には、詩人の資質を有する作家であると言える。だが彼女の詩や戯曲はさほど完成度の高いものではない。それにもかかわらず、日常的に書き留められたノートからの抜粋『重力と恩寵』は優れた詩作品に匹敵する言葉の強さを有している。この矛盾と逆説に、母国語を奪われた詩人ジョナス・メカス(Jonas Mekas, 1922-) が、「沈黙の言葉」にほかならない外国語の発語と映像との共振のうちに編み出した「映像という詩のかたち」が光を与えてくれるであろう。
本発表では、ジョナス・メカス監督『リトアニアへの旅の追憶』(Reminiscences of a Journey to Lithuania、1972年)が提示する実在の亀裂と閃光のうちに、その夭折ゆえに未完成、未成熟の感を否めないヴェイユの詩性およびヴェイユが述べる「詩をもつこと」の様々な局面が、どのようにして生きられ感じられるのかを探究してみたい。直接的な影響関係にはない両者の往還は、たとえば、フクシマを、ミナマタを、あるいはヒロシマを真に思考するとは、「歴史的・社会的自己」を深く掘り下げることにほかならないことを浮き彫りにするであろう。端的には認識しえず、一見したところ矛盾しているように思われる、この水平方向と垂直方向の思考の交差点が、『リトアニアへの旅の追憶』とヴェイユの言葉との共振のうちに、はっきりとした実在を映し出すことをあきらかにしたい。