日時:2013年11月9日(土)
場所:東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1
午前 10:00-12:00
・鮎川真由美(近畿大学)「身体と貨幣」
・対馬美千子(筑波大学)「過去と未来の間の裂け目で動く——アーレントにおける思考の時間的次元をめぐって」
・恩地元子(東京藝術大学)「雨はいつ降るのか」
司会:竹峰義和(東京大学)
鮎川真由美(近畿大学)「身体と貨幣」
自然物としての「身体」と人工物としての「貨幣」。この一見、絡み難い主題どうしが、現在の資本主義経済社会のなかでいかに絡みあい、とりわけ現代芸術のなかで錯綜した様相を呈しているか。このことを検討してゆくのが本発表の課題であり、その美学的(感性論的)次元と経済学的次元との交差を、1貨幣と芸術(Vgl.Jürgen Harten:Das fünfte Element-Geld oder Kunst.Köln,2000.)、2身体という「商品」の魂(Vgl.Walter Benjamin:Gesammelte .II-2.S.613ff.)、3神=貨幣(?)(例えばM.ヴェーバーは「資本主義の精神」として、キリスト教と資本主義とが同一性の関係へ巻き込まれてゆく点を示唆した)といった位相から読み解く。そもそも西洋の貨幣形態は、例えば、古代ギリシャでは戦勝国へ赴く奴隷という人の形、中世には実質的な物的価値を担う重い金貨の形態もとるが、しだいに、言わば一枚の紙から成る複製技術品である紙幣、そして現在のような電子マネーへと「脱物質化」し、そのモノ性を超越することで、貨幣経済は発展してきたとも言える。それは最終的には不可視のモノ、つまり0/1のデジタル電子記号の「流れ(currency)」と化す。21世紀の今、人間の技術(=芸術)による俗なる貨幣は、もはや人の手を超えて運動する「自然」、あるいは「神のテクニカルな代理」(Norbert Bolz)の地位を獲得したと言えるのか。古来、ともに、人間の欲望あるいは禁欲の対象としても存在してきた身体と貨幣の、近代資本主義社会における絡みあいの様相の一端を、貨幣表象をめぐる最近の展覧会(“Juden.Geld. Eine Vorstellung”Frankfurt am Main, 2013.u.a.)にも触れつつ、美学・芸術の領域において明らかにしてゆきたい。
対馬美千子(筑波大学)「過去と未来の間の裂け目で動く——アーレントにおける思考の時間的次元をめぐって」
アーレントについての既存の言説においては、彼女の思想が示す公共性の復権、政治の領域への実践的コミットメントの重要性が重んじられてきた。ここではそれを踏まえた上でこれまであまり中心的に論じられることのなかった政治の領域の外の無世界性に特徴づけられる次元、特に思考の次元のもつ意義を時間性の観点から考察する。アーレントは『過去と未来の間』序と『精神の生活』の中で思考が過去と未来の間の裂け目で生じることについて考察している。彼女にとって、過去と未来の間の裂け目で思考することは、今の継起から脱した「非時間の空間」という、言わば潜在的な次元に身を置き、そこで「動く」ことである。その次元は人間の「複数性」の破壊が生じる永遠性にではなく、「複数性」にもとづく人間世界の現在に根をもつ。時間の裂け目で「動く」こととは、過去を想起し、未来を予期することである。アーレント思想において、過去を想起することは、生起した出来事の意味を理解し、その現実と和解するという側面、そして遠い過去の隠れた根源的な現象を見いだすことにより過去を新たに発見するという側面をもつ。未来を予期することは、想起された過去の財産を未来に遺贈し受け継がせること、またその財産を気遣い、それが未来においても保たれることを期待することである。ここでの想起と予期は、日常生活の時間性において過去の人生を回想することや自分の将来の計画を立てることとは違う。想起と予期は、絶えまない変化、生成、世界の更新の動きに関わる次元で生じる。過去の財産を未来に遺贈することとは、世界のうちに新しい何かがもたらされたという「始まり」の記憶を未来へと受け継がせることである。このような思考は私たちが世界に根をおろすことを可能にし、私たちの生に深さの次元をもたらす。
恩地元子(東京藝術大学)「雨はいつ降るのか」
日本のホロコーストの記憶/記録として様々なジャンルの芸術作品に結実したとされる原爆と違い、空襲体験は日本に特化されることなく、様々な<語り>を生み出してきた。本研究では、国際的な視座から複合的に捉え直されるようになった近年の空襲研究を参照しつつ、しばしば「雨」に例えられる日本の空襲体験を、文学、ドキュメンタリー写真・映像、一般大衆による言語・絵画表現を分析することにより、そのスペクタクル性に注目する。 鮮烈な視聴覚体験の記憶がもたらす降りそそぐものへの恐れ/畏れが、50年代の映画を中心に、肉眼では捉えられない「雨」を見えるようにし、さらに「雨に打たれる」という印象を与えたのではないだろうか。
また、原爆資料館などに展示され、しばしば象徴として引用される「8時15分で止まった時計」は、その真偽は別として、ある時間の一点に収斂しようとするベクトルが、強烈に働いていたことを示すが、空襲の体験談に「あの日を忘れない」、「その時である」などと書かれるときの「あの日」、「その時」は、多くの地域にわたって数え切れぬほどに存在し、1点に定位されることはない。 警報(予報)のタイミングと無関係に、ときには同時に、あるいは警報以前に訪れる空襲(雨)に、人々は否応なく身を晒されることになる。空襲というスペクタクル空間は、いつ到来するのかわからないという不特定な時間性と無差別に到来することによる不規則なリズムに支配されていたように思われる。