6月29日(土)16:00-18:00
第1学舎1号館 A502教室

・展覧会という作品――「Fluorescent Chrysanthemum」展のディスプレイ/馬定延(東京藝術大学)
・「サイケデリック・ショー」――アンダーグラウンドの映像ディスプレイ/ジュリアン・ロス(英国リーズ大学/明治学院大学)
・対話するビデオ――「ビデオコミュニケーション/Do It Yourself Kit」展と日本の映像表現/齋藤理恵(早稲田大学)
【コメンテーター】松井茂(東京藝術大学)
【司会】齋藤理恵(早稲田大学)


パネル概要

日本の高度経済成長期が熟成される1960年代後半頃、芸術家は新たな表現の可能性を多様な場で試みていた。その集大成として挙げられる1970年の日本万国博覧会の前後、環境を創造する装置としての「ディスプレイ」に関する注目が高まっていた。インテリアやデザインを中心とする産業界からの戦略的なアプローチと同時に、当時の新しいテクノロジーが内包するコミュニケーション・ツールとしての性質に着目し、インタラクティブな展開を希求する芸術家が領域を横断する活動を展開した。
本パネルでは、日本万国博覧会が従来の百貨店や見本市の性質を統合し、また超克するなかで産業としてのディスプレイが確立していく一方、そうした動きと同調や反発し合いしながらも萌芽した芸術表現やそれに伴う活動があったことに焦点をあてる。
特に、1968年から1969年にかけて、ロンドンのICAで行われた日本現代芸術展がディスプレイの新たな方向性を位置付けるものであったこと、また万博という表舞台とは別に、アンダーグラウンドな場にて試みられたエンターテインメントと融合するディスプレイを用いたパフォーマンス、そして、万博以降、1970年代の社会状況との連関から創造の場の概念を拡張していったビデオ・アートの活動といった事例を挙げながら、概念としてのディスプレイを検討しつつ、ディスプレイが単なる空間の演出から、環境そのものを捉える可能性を内包していたことを複合的に論じていきたい。(パネル構成:齋藤理恵)

展覧会という作品――「Fluorescent Chrysanthemum」展のディスプレイ/馬定延(東京藝術大学)

1968年12月7日から1969年1月26日まで、ロンドンのICA(Institute of Contemporary Arts)にて開かれた、「Fluorescent Chrysanthemum(蛍光菊)」展は、ヨーロッパ初の総合的な日本現代芸術展だった。本展は、1967年、第9回東京ビエンナーレと第4回長岡現代美術館賞展の審査委員として2回来日したヤシャ・ライハートの企画、針生一郎、中原佑介、東野芳明、秋山邦晴、原弘と杉浦康平による人選、そして東京画廊と南画廊の経費負担によって実現された。
同展は、ミニチュア、グラフィック、ポスター、彫刻、フィルム、音楽で構成され、絵画が不在であった点、アートとデザインの境界がほとんど目立たなかった点、それぞれの表現がいわゆるジャポニスム的な要素の代わりに国際的同時代性に満ちていた点などが話題となった。とりわけもっとも好評だったのは、個別の作品よりも、杉浦康平の担当した会場ディスプレイ・デザインだった。「Fluorescent Chrysanthemum」展は、ディスプレイの重要性と新しい方向を考えさせた、それ自体ひとつの作品である展覧会だったのである。 
本発表では、約半世紀前の極めてユニークな展覧会の例を取り上げ、1970年日本万国博覧会直前、新進作家たちの活発な海外進出の中、国際的に注目を浴びていた日本現代芸術におけるディスプレイへの意識の一断面を検証することを試みる。


「サイケデリック・ショー」――アンダーグラウンドの映像ディスプレイ/ジュリアン・ロス(英国リーズ大学/明治学院大学)

万国博覧会前後の日本での映像活動はスクリーンという舞台の中で描かれる物語より、映像の「ディスプレイ」そのものが主役となる傾向が指摘出来る。テレビの一般的な普及も含めて、映画館の外での映像体験が求められるようになっていた。こうした状況の中で1960年代後半に注目を浴びたのは「エキスパンデッド・シネマ」と名付けられた映像を使ったパフォーマンスが一方に、そしてもう一方に映像による環境の創造としての「ディスプレイ」が挙げられる。モントリオール万博やEATなどの海外の事例と同様、その多くは産業との繋がりが強かったため批判の対象ともなったが、今では代表的な扱いをされている。
本発表では以上のような活動とは思想的に共通する面もありつつ、産業とは独立して行われていた映像の「ディスプレイ」の一例として挙げられる「サイケデリック・ ショー」について検討する。幻覚芸術とも名付けられた「サイケデリック」とは映像作家の金坂健二がアメリカから持ち帰ってひろめた現象であり、アンダーグラウンドのディスコで激しい音楽とともに映写機を使ったパフォーマンスを示す。ディスコの個性的な空間、そしてエンターテインメントの場であるからこその観客の独特な受容性も含めて、「サイケデリック・ショー」に関わった人物が映像ディスプレイにどのような可能性を求めたかを追求する。


対話するビデオ――「ビデオコミュニケーション/Do It Yourself Kit」展と日本の映像表現/齋藤理恵(早稲田大学)

1970年の日本万国博覧会で確立した総合演出事業としてのディスプレイ業は、現在に至るまで美術館や博物館、見本市など様々な企画を支えるとともに、都市や街など多様な空間を変化させる役割を担っている。しかしながら、公共の場が新たに設計され、また再構築され続けることは、本来の空間が持っていた固有性を消去し、画一的な消費社会を形成する問題も抱えている。これは、現代美術や最新のテクノロジーを積極的にディスプレイとして取り入れながらも、芸術そのものすら加速度的に消費していく今日の社会状況を反映しているといえるだろう。
本発表では、こうしたディスプレイと産業との課題を踏まえた上で、日本の初期ビデオ・アートの活動のなかでどのような実験が行われていたかを検討する。とりわけ、1972年に銀座ソニービルにて開催された、ビデオという新しいメディアのショーケースの場でもあった「ビデオコミュニケーション/ DO IT YOURSELF kit」展にて、作家たちが企業と連携しつつも、ディスプレイという概念を問い直そうとした試みに着目する。その上で、ビデオがもつ社会的なコミュニケーション装置という性質を活かしたその後の作家たちによるアクションが、1970年代の日本の社会事象に呼応しながら公共空間におけるインタラクティブな活動を展開した様相を明らかにする。