日時:7月8日(日)14:00-16:00

・映画と静止画のイメージ──D・W・グリフィス作品における映像表現の実践/難波阿丹(東京大学)
・眼でみる日本地理──岩波写真と岩波映画の接点/松山秀明(東京大学)
・「ロバート・フランクにおける写真と映画──『ジ・アメリカンズ』と『プル・マイ・デイジー』の「子ども」たち」/上西雄太(東京大学)
【コメンテーター】御園生涼子(早稲田大学)
【司会】滝浪佑紀(東京大学)

パネル概要
20世紀初頭において映画は、連続して投影される画像が動きの錯覚を引き起こす表象として注目されていた。T.ガニング等の1970年代から80年代にかけての初期映画史の書き直しは、必ずしも物語映画へと収斂されない、映画の注意喚起的な側面への注視を促すものであったが、そのようなアトラクションとしての映画の諸要素の中でも、映画の進行をときに妨げ、硬直化させる静止画/写真の挿入が、映画が物語る行為に果たしていた役割については、再検討する必要がある。
静止画/写真が断続的に投影されることで、運動のイメージを与えるという映画の本質的な特性は、C.メッツが「二重分節」と提起した映画におけるイメージと記号の問題系へと接続している。本パネルの目標とは、映画と写真イメージの往還する、複雑な表象のプロセスについて描き出すことである。この試みによって、ふたつの異なるメディアにおける物語/言語活動に新しく焦点を当てることを目指したい。
本パネルでは、映画と写真を論ずる理論的枠組みを、古典的ハリウッド映画文法が作られた1910年代アメリカ初期映画、特にD. W. グリフィス監督作品にさかのぼって検討した後、1950年代の日本とアメリカで行われた「岩波写真と岩波映画」および「ロバート•フランクとジャック•ケルアック」における、写真と映画のメディア横断的実践が、個々の作品制作に重要な契機であったことを論じる。(パネル構成:難波阿丹)

映画と静止画のイメージ──D・W・グリフィス作品における映像表現の実践/難波阿丹(東京大学)
本発表では、アメリカ初期映画、特にD. W. グリフィスの映画作品を題材に、映画的言説(filmic discourse)と静止画/写真の関連について、理論的な整理を試みる。
1910年代は、古典的ハリウッド映画の文法が洗練された時期であり、D. W. グリフィスの作品群は物語映画(narrative film)の嚆矢として論じられてきた。T.ガニングは、G.ジュネットおよびC.メッツの理論を基盤に、文学言説分析に用いられる物語言説(narrative discourse)の概念を、物語映画の生成過程の解釈に適用している。D. W. グリフィス監督作『国民の創生』は、このような物語映画の到達点とみなされているが、いっぽうで、その物語(語り)の進行に一見ぎこちない印象を与える、フォトグラム単位での映像表現が散見される。これらの映像表現は、登場人物の身体的表徴を明らかに示し、メロドラマ的効果に貢献するとともに、微細な情報があたえる生理的あるいは神経的刺激によって、観客の情動喚起に資していたのではないかと考えられる。
本発表では、断続的な静止画/写真の投射が、動きのイメージを与えるという映画の原理的な問題をふまえ、D. W. グリフィスの作品を手がかりとしながら、フォトグラム単位での映像表現が1910年代における古典的ハリウッド映画文法の生成に果たしていた役割を新たに提示していきたい。

眼でみる日本地理──岩波写真と岩波映画の接点/松山秀明(東京大学)
「岩波写真文庫」は、1950年から58年まで岩波映画製作所が中心となって編集を行い、岩波書店が刊行した文庫版のシリーズである。B6判64頁という体裁で、価格は1冊100円、「木綿」「昆虫」「アメリカ」「東京-大都会の顔-」「赤ちゃん」など多彩なテーマについて豊富な写真を使って解説し、刊行総数も286冊に達した。
この岩波写真文庫は、岩波映画製作所の財政的基盤となることを目的として企画されたこともあり、映画制作との関わりも深い。なかでも、日本地理を取り上げたものはその「接点」が見いだしやすく、岩波写真文庫が特集を組んだ『新風土記』(1954-58)は、後に岩波映画製作所によって『日本発見』(1961-62)として映像化されるに至った経緯がある。吉原順平(元岩波写真文庫・編集)によれば、『日本発見』のシノプシスは、各都道府県を紹介した『新風土記』の写真と取材資料をもとにして構成されたという。このことは、1950年代・60年代の日本の都道府県が、同じ企画のもと写真と映画という異なるメディアで記述されていたという意味でとても興味深い。
本発表では、こうした高度成長期の日本地理の記述において、写真の配列が映画の配列へどのように変換されたのか、そのプロセスに着目する。現存する『新風土記』と『日本発見』の全アーカイブを使って、それぞれで描かれる「場所」や「解説・ナレーション」、「配置の仕方」を詳細に検証し、写真と映画という二つの表象の特性を考察することにしたい。


「ロバート・フランクにおける写真と映画──『ジ・アメリカンズ』と『プル・マイ・デイジー』の「子ども」たち」/上西雄太(東京大学)
1950年代後半、写真集『ジ・アメリカンズ』(1958/1959)を発表したロバート・フランクは、映画『プル・マイ・デイジー』(1959)の制作を行う。この写真から映画への移行が、フランクにとってどのような重要性を持っていたのかは十分に研究されているとは言いがたい。この問題を考えるためには、『ジ・アメリカンズ』の「序文」、『プル・マイ・デイジー』の「ナレーション」といった、この移行期の作品において重要な役割を果たした同時代の作家ジャック・ケルアックの存在とフランクとの関係を無視することはできない。
本発表では、まずケルアックの「序文」から『ジ・アメリカンズ』を読みといていくことで、「子ども」の表象が、その写真集の重要なテーマとなっていることに着目する。その上で、『プル・マイ・デイジー』においては、「子ども」に声が与えられ、唯一ケルアックの「ナレーション」以外に発話を許されているといった特徴を見出す。このケルアックの関係から浮かび上がる「子ども」の問題系は、写真から映画の転換において、フランクの諸作品に跡づけることができる重要なテーマであると考えられる。
以上の方法から、フランクとケルアックの間に登場する「子ども」の問題が、写真集『ジ・アメリカンズ』から映画『プル・マイ・デイジー』への移行というフランクの実践において、重要な掛金になっていることを考察したい。