日時:2011年11月12日(土)13:30―15:30
会場:東京大学駒場キャンパス18号館メディアラボ2
・恩地元子(東京藝術大学)「雨に〈打たれる〉こと──『七人の侍』試論」
・加藤裕明(北海道大学)「鈴木忠志『世界の果てからこんにちは』(SCOT Summer Season 2011)の表象する世界」
・劉文兵(東京大学)「1980年代の中国におけるダンス・ブームと文化翻訳」
司会:木下千花(静岡文化芸術大学)
恩地元子(東京藝術大学)「雨に〈打たれる〉こと──『七人の侍』試論」
自然描写に長じているとされる黒澤明の映画のなかでも、雨、それも豪雨のシーンは鮮烈な印象を与える。リアリズムと捉えられることが多いが、一方、リアリズムを越える表現力を獲得することも指摘されている。
雨は、日本映画に限らず、しばしば劇的な場面に用いられる。とりわけ黒澤映画では、急激な気候変動が、原爆を直接的に連想させることもある。ただし、より微視的に観察してみれば、たとえば『七人の侍』の戦闘シーンにおける雨は、日本画に見られるような線状の雨脚を強調したものではなく、肉体と接触し、皮膚を洗い、泥と混じって撥ね、さらに地表もクローズアップされることによって、様々な形状と質感をもつ<粒>として際立たせられている。そのようにして身体や大地と拮抗することが、雨に<打たれる>という印象を与える一因ではないだろうか。発表では、それが日本人の心性ゆえの自然との親和性からもたらされるものなのか、同時代の作品を参照しつつ包括的な分析を試み、さらに考察を深めたい。
尚、本発表は、こののち連続して発表予定の、戦後大衆文化における雨の表象についての研究の端緒であると同時に、既に発表した「泣く/哭く」をめぐる表象研究の変奏でもあり、「足音」論も含めて20世紀の大衆文化の深層を探ろうとするものである。そのため、黒澤映画を中心に、大衆歌謡や同時代の外国映画にも目配りして、今後の研究のパースペクティヴを明らかにする予定である。
加藤裕明(北海道大学)「鈴木忠志『世界の果てからこんにちは』(SCOT Summer Season 2011)の表象する世界」
1991年に富山県利賀村で初演された演出家鈴木忠志の『世界の果てからこんにちは』(以下『世界の果て』と略記。)は、鈴木自身明らかにしているように、これまでの鈴木の作品の中から「日本について考えさせる場面を抜き取り、花火を使ったショウとして構成し」た野外劇である。それは西洋の模倣としての日本の近代劇のあり方と、「日本人と呼ばれる人種あるいは人間集団の思考や情動の独自性」に対する批判的検討から生まれたものである。
この『世界の果て』は、初演以後も利賀芸術公園野外劇場において再演を繰り返し、今夏(2011年)も再演された。筆者は、1995年の初演バージョンと、今夏2011年版の二度この舞台を見ているが、初演時において顕著であった近代国家解体のイメージは、今夏の舞台においては、「3・11」被害の先行きが全く見えない中での上演であり、より具体的に現代国家日本の解体を表象するものとなった。それは舞台上では、自分を「マクベス」であると思い込む老人に、召使いの女(2011年は男の娘)が、「日本がお亡くなりになりました」と報告するシーンに示される。
本発表では、『世界の果て』を分析対象とし、鈴木がシェイクスピア『マクベス』をいかなる意図で翻案し、その結果、この作品がどのような意味で今日的な作品たりえているか、そしてこれまでの『マクベス』の異文化主義的上演に対して、何がどのような点で独創的であるのかといった点について検討を加えてみたい。
劉文兵(東京大学)「1980年代の中国におけるダンス・ブームと文化翻訳」
日本や西洋の先進諸国の文化に憧れ、それを懸命に模倣することを通じて「資本主義的な身体」へと同一化しようとする一九八〇年代の中国の若者たち。ジャ・ジャンクー(賈樟柯)など、七〇年前後に生まれ、八〇年代に青春時代を過ごした第六世代監督の作品には、こうした若者たちがしばしば登場する。『プラットホーム』(原題『站台』二〇〇一年)のダンス・シーンがその典型である。それはあきらかに、ジャ・ジャンクーが過ぎ去った時代に対して捧げたオマージュである。
一九八〇年代の中国の大衆文化を特徴づける重要な現象だったダンス・ブームであるが、にもかかわらず、西洋文化の単なる稚拙な模倣にすぎない「雑種的な文化」と社会一般から見なされてきたために、中国の公的言説や、国内外の中国文化研究においてはほとんど盲点となっており、学問的な検証がなされていないのが現状である。社会現象として過ぎ去ってしまったダンス・ブームに再びアクセスすることがきわめて困難な現況において、重要な手がかりとなるのが当時の中国映画である。映画メディアはダンス・ブームをリアルタイムで記録しただけでなく、そのブームに付随して数多くのミュージカル映画やダンス映画が出現したからだ。
本発表は、踊る身体に凝縮された集団と個人、現実とイメージ、国内と外国、オリジナルと模倣といった問題を、ホミ・バーバのポストコロニアル理論を参照しつつ、身体、集団ヒステリー、文化翻訳などの複数の観点から考察することを通じて、ポスト文革期のダンス・ブームという現象を特徴づける「異種混合性」が生まれた歴史性を浮きぼりにすることを試みる。さらに、現在の中国文化になおも残る、一九八〇年代のダンス・ブームの幅広い影響の痕跡を検証したい。