日時:2011年7月3日(日)9:30-11:30
場所:京都大学総合人間学部棟

・身体計測への熱狂──フランスにおける実験心理学とグラフ/増田展大(神戸大学)
・考古学的モンタージュ──ネアンデルタール人の発見とその脅威/唄邦弘(神戸大学)
・ヒステリーと装飾──世紀末ウィーンにおける欲望の表象/古川真宏(京都大学)
【コメンテーター/司会】橋本一径(愛知工科大学)

パネル概要
 細部や微細な変化に対するセレンディピティーが、19世紀後半に精神医学から探偵小説に至るまで広く浸透していたことを指摘するカルロ・ギンズブルグの著名な議論は、いくつかの批判がなされてはいるものの、今日においても刺激的なものであり続けているのは確かである。しかしギンズブルグがそこで提唱した「推論的パラダイム」が、厳密な合理化を求める当時の人間科学においてどのような特性を示していたのかについては、ギンズブルグ自身も、論文の最後で、このパラダイムの「柔軟な厳密性」という逆説めいた性質を指摘しているにすぎない。
 それでは、19世紀末に表面化した徴候学的知の「柔軟な厳密性」とはどのように機能し、またそれを可能にしたものは一体何であったのだろうか。本パネルは、このような問題意識のもと、徴候学的知が領域横断的に適用され、想像力の増幅装置として機能するプロセスを捉え直すべく、世紀転換期の三つの事例を検証する。すなわち、フランスの生理学/実験心理学において機能した身体計測の技術、ネアンデルタール人の骨片を発見した先史考古学、装飾をヒステリーの症候と診断した世紀末ウィーンの文化・芸術批評である。そこには、テクノロジーと身体、人種と性、正常と病などに関する近代特有の言説と実践が関わってくる。このような視点から考察を行うことによって、近代の科学と文化のあいだの不透明な境界に新たな光を投げかけることを目指す。(パネル構成:唄邦弘)

身体計測への熱狂──フランスにおける実験心理学とグラフ/増田展大(神戸大学)
 1880年代以降、連続写真の開発に没頭したことで知られるエティエンヌ=ジュール・マレーは、そもそも「グラフ」という表象手段に魅入られた生理学者であった。熟練した観察者にも捉えられない微細な継起的変化を記録するグラフ技術は、19世紀を通じて生理学のみならず、医学や自然科学など、様々な学問領域において利用されてきた記録技術である。動物から人間まで、あらゆる有機体を律動的な曲線へと還元するマレーのグラフ法は、近代科学と記録技術の複雑な関係性の極致として考えることもできる。
 では、実証主義的な潮流にあってグラフに熱狂したのがマレーだけではなかったとするなら、人間科学の諸領野において、この自動的な記録装置は何を描き出し、どのように機能していたのだろうか。この点について、19世紀後半は欧米諸国において心理学や社会学といった新たな人文諸科学の制度化が始まる時期にもあたる。とりわけ、テオデュール・リボーに始まるとされるフランス実験心理学は、精神医学の潮流やドイツの生理学研究からの多大な影響を受けつつ、それまでに属していた哲学からの独立を試みていた。多様な学問領域が渾然一体となったこの実験心理学の独自性は、ヒステリーや夢遊病患者を被験者とする臨床的診断から「正常な」心理状態の規定を試みる「病理心理学」という方法論をとった点にある。本発表では、医学や生理学、心理学を横断するかたちで機能したグラフ技術という記録手段に着目し、そこで精神や心理がどのように表象されたのかについての考察を試みたい。

考古学的モンタージュ──ネアンデルタール人の発見とその脅威/唄邦弘(神戸大学)
1856年、デュッセルドルフ郊外である頭蓋が発見された。ネアンデルタール人と名づけられたこの遺骨は、現代の人間の頭蓋骨とは異なった形をしていながらも、新たな人間起源論として論争の的になった。そもそも先史考古学とは、誰も見たことのない過去を断片的に収集していくことでかつて存在した生物や世界を認識していくことを目的としており、真実は決して明確に証明し得ないものである。言い換えるなら、先史学では、科学的根拠のもと過去の痕跡を再構成していくことで、過去を解釈していくことが通常行われていたのである。そのため、先史考古学は過去の世界を認識するために、科学的分析のみならず、表象不可能な過去のイメージとして、多くの人間の想像力をかきたててきた。にもかかわらず、ネアンデルタール人の頭骨は人類の起源として発見されながらも、その非人間的な形体ゆえに、人間と猿の境界を揺るがす異質な存在として表象されてきた。本発表では、先史学それ自体の科学性・真実性を問うことよりも、世紀転換期ヨーロッパにおいて、新たな人間の歴史として生み出されたイメージが時に科学的証明の障害となりながらも、当時の人々がどのように過去をまなざし、現在の中で認識していたのかを明らかにする。

ヒステリーと装飾──世紀末ウィーンにおける欲望の表象/古川真宏(京都大学)
本発表は、世紀末ウィーンにおける性的欲望や快感のメタファーとしての装飾の理解が、同時代の精神医学のヒステリーの理論と内在的に連関していることを明らかにすることを目的としている。
 ユーゲントシュティールの芸術は、ヒステリーという美しく官能的な病のイメージを反復しながら、女性の身体そのものを装飾へと転換してしまう。当時の装飾に関する議論の中心には、そのような暗示的な装飾が連想させる「病的」で「性的」なものに対する両義的な判断が存在している。フロイトとブロイアーの『ヒステリー研究』がウィーンの文学サークルの中で広く読まれていたことはすでに知られているが、装飾をめぐる言説は、装飾という文化的徴候に基づいて社会を診断する際に、そうした医学的著作から多大な影響を受けていると考えられるのである。そこで本発表では、ヘルマン・バールやアドルフ・ロース、カール・クラウスといった主要な論客の言説の内に見られるヒステリー観を検討し、それがいかに装飾に関する思考に適用されているかを考察する。
 装飾がヒステリー的なものとして規定されていく一方で、一見正反対の反応であるように見える装飾に対する賛美と拒絶それ自体もまた、ヒステリックな徴候を帯びてくる。このように装飾=ヒステリーが重層的に意味づけられていく過程に焦点を当てることで、装飾をめぐる論争は、女性の身体を媒介としながらも、男性である観察者自らの欲望の病理学的トポスとして浮かび上がってくるだろう。