2020年12月20日(日)
午後 13:00-14:30
Jホラーにおけるウイルスの主題と角川書店のメディアミックス
宮本法明(京都大学)
1990年代の日本におけるホラー小説とその映画化作品(いわゆるJホラー)は、AIDSやエボラ出血熱など感染症の脅威を背景として、ウイルスの主題を繰り返し描いた。例えば、鈴木光司『リング』(1991年)の山村貞子は日本最後の天然痘患者に強姦のうえ殺害された。その続編『らせん』(1995年)では、ヴィデオ・テープの中に共生する貞子のDNAと天然痘のウイルスが人々を死に至らせる仕組みが明らかになる。また瀬名秀明『パラサイト・イヴ』(1995年)では、ミトコンドリアがまるでHIVのように人間の細胞核にDNAを組み込んで種の征服を企てる。
これらの作品は、角川書店のメディアミックス戦略とも密接に結びついている。角川は1993年に角川ホラー文庫、1994年に日本ホラー小説大賞を創設する。そこで第一弾の文庫化ラインナップに選ばれたのが『リング』であり、1995年の第二回にして初の大賞を受賞したのが『パラサイト・イヴ』である。そして角川書店は自社製作で1997年に『パラサイト・イヴ』を、1998年に二本立てで『リング』と『らせん』を映画化している。
しかし、映画『リング』(中田秀夫監督)・『らせん』(飯田譲治監督)・『パラサイト・イヴ』(落合正幸監督)はいささか様相を異にしている。『リング』脚本の高橋洋は、小中千昭や黒沢清と共に一種の運動として創作に励んでいた。例えば「幽霊の顔を見せない」といった彼ら特有の表現方法は「小中理論」と呼ばれるが、『らせん』と『パラサイト・イヴ』はそのコードから外れている。また、原作におけるウイルスの主題がどれほど忠実に再現されるかも映画によって異なる。つまり、小説の観点からすると密接に結びついている三作は、映画の観点からすると乖離しているように見える。本発表では、この非対称性が生じた経緯について、角川書店の商業戦略と当時の感染症に関する言説を含めて検討し、その歴史化を試みたい。
この響きは犯罪の予感?~ 型の醸成としての「火曜サスペンス劇場」
恩地元子(立教大学)
テレビのサスペンスドラマ最初期より、異質な響きとして視聴者の注意を喚起してきたであろうディミニッシュ・コードは、その展開、分散形態とともに、それ自体は何も意味しない物理現象でありながら 、最近も、犯罪、及びその予兆のアイコンとして使われている。この響きは「火曜サスペンス劇場」(1981~2005)のアイキャッチにおいて、原色がぶつかり合うなかに出現する、炎が映り込む瞳や粉々に砕け散る時計などの、当時としてはかなり斬新な映像とともに特権的な扱いが成されていた。同時代のサスペンスドラマのアイキャッチと視覚、聴覚、両面から比較検討すれば、この映像の先鋭性を明らかにすることができよう。ネット掲載分も含めて見聞できるのは、放映されたであろうドラマ数千の、おそらく数パーセントにも満たないという状況で、このシリーズを手掛かりに人々の無意識に沁み込んだ音響・音楽体験を掘り起こすなど無謀な企みではある。しかし、いま見返しても、制作に携わった人々の気概が伝わってくるこの番組を、テレビ番組制作が悪い意味で取り沙汰される今日、ドラマへの導入であるアイキャッチを手掛かりに、テレビ文化だけではなく洋楽演奏史なども参照しながら位置づけることは意味があるのではないだろうか。このシリーズが、毎週、ゴールデンタイムのお茶の間の目と耳を惹きつけ、この響きをサスペンスのイメージと結びつけるとともに、この響きそのものを視聴者がアイデンティファイする能力を育んだであろうことを示唆したい。
【司会】岡室美奈子(早稲田大学)