2024年11月23日(土・祝)
16:00-17:30
- イ・ブルの作品におけるシャーマニズムの表象/Cho Hyesu(東京藝術大学)
- フェミニストアートにおける家父長制的規範としての「人間」のパロディ──「動物」の表象と「顔」の欠落/浜崎史菜(国際基督教大学)【都合により、辞退されました】
- からだは「反イメージ」になる──ロバート・ラウシェンバーグ+スーザン・ウェイルの「ブループリント」について/柴山陽生(横浜国立大学)
司会:沢山遼(武蔵野美術大学)
イ・ブルの作品におけるシャーマニズムの表象/Cho Hyesu(東京藝術大学)
韓国のアーティストであるイ・ブルの研究は、これまで主に国際的なキャリアを積み重ねた2000年代以降の作品を中心に、西欧における哲学、批評の視点から「身体性」を通じて前景化していく「科学」、「ディストピア」といったキーワード、グロテスク、アブジェクト、崇高といった美学理論を通じて考察されてきた。しかし、彼女の初期作品について考えるには、むしろ非科学的・非合理的と見なされる巫俗信仰の特徴、国際化以前の伝統性に目を向ける必要がある。
本発表では、20代にシャーマニズムに関心を持っていたという彼女のインタビューをはじめ、韓国のシャーマンの祖先として考えられている「バリ姫の神話」、韓国シャーマニズムの特徴である「修行」、「苦痛」、「接触」、「憑依」といった視点を軸に、《堕胎》(1989)と《晩冬山、裸で走る》(1990)といった作品を再考し、これらの作品において身体がどのように機能しているのかを明らかにしていく。本研究は、身体の限界の視覚化と集団遂行性を大きな特徴とする韓国シャーマニズムと、身体を超越する人類の願望を想像する科学的ユートピア/ディストピア的な展望を比較しながら考察することで、前期と後期の作品の連続性を明らかにし、時代を通して変化し断絶していると見なされてきたイ・ブルの作品世界の構造を捉え直したい。
からだは「反イメージ」になる──ロバート・ラウシェンバーグ+スーザン・ウェイルの「ブループリント」について/柴山陽生(横浜国立大学)
ロバート・ラウシェンバーグの──スーザン・ウェイルとの共作──「ブループリント」シリーズ(1949-1951)は、ロザリンド・クラウスらによって、 「フラットベッド絵画平面」(レオ・スタインバーグ)と関係していることから、その後の彼の、「コンバイン」(1954-1964)、「シルクスクリーン絵画」(1962-1964)といった作品シリーズの先駆けだと見なされてきた。しかし彼女は同時に、なぜその後のラウシェンバーグがブループリントの技法へと戻らなかったのかという問いを示唆している。本発表はその問いに対し、それらの作品シリーズとは異なり、ブループリントでは人間の等身大の「からだ」が組み込まれ、それが他のものと「結合」されており、そのために生じることがその妨げになったのだと主張する。
クラウスはそれらの作品シリーズを、精神的(mental)空間にイメージを取り込んだものとして論じているが、その空間内にからだは現れない。一方でブループリントにおいてラウシェンバーグらは、からだを──直立姿勢かのように──被写体とし、それに重力に抗う「力」を与えるために、他のもの──例えば、《スー(Sue)》におけるスカート──と(間隙なく)結合することで、その結果からだを「損傷」・「歪形」し、それを「反イメージ」──ハンス・ベルティンクはイメージを死者の不在を満たすためのものだと考え、対して死体のイメージをそう呼ぶ──としてしまっているのだ。