2024年11月23日(土・祝)
13:00-15:00

  • マイケル・フリードの芸術理論における恐怖と演劇性/茶圓彩(京都大学)
  • クレメント・グリーンバーグ「アヴァンギャルドとキッチュ」再考──ヴァルター・ベンヤミンの政治の美学化の観点を軸に/大澤慶久(東京藝術大学)
  • フィクション鑑賞における共感とは何か──ナナイの代理経験理論の検討/岡田進之介(東京大学)

司会:加治屋健司(東京大学)


マイケル・フリードの芸術理論における恐怖と演劇性/茶圓彩(京都大学)

 本発表では、アメリカの美術批評家、美術史家並びに詩人であるマイケル・フリード(Michael Fried: 1939-)の論考「芸術と客体性」(1967)で提示された概念である「演劇性」の内実を明らかにするものである。
 「芸術と客体性」は、フリードが1960年代から1970年代にかけてモダニズム美術批評家として活躍した時期に執筆され、今日ではフリードの代名詞となる記念碑的論考である。また、「演劇性」とは、ミニマル・アート(フリードの言葉に言い換えればリテラリズム)に対して人を媒介にして作品が成り立つという独自の意味づけを施した術語である。
 ただ、この論考の発表後、ロバート・スミッソン(1967, 1968)や、パメラ・M・リー(2006)、クリスタ・ノエル・ロビンス(2018)を通じて、フリードの「演劇性」と名のつく状況や作品への態度はその作品がもたらす絶え間なく拡張されていく空間・時間・意味に対するフリードの恐怖の現れであると言及されてきた。しかしながら、これらの先行研究では、フリードがこの概念と関連づけるカヴェルの著作物との検討があまり精緻にはなされておらず、この概念がどのような思想のもとで形成されたのかが曖昧なままになっている。
 そこで、本発表では上記の先行研究を基軸とし、この恐怖が先行研究において問題となった背景を詳らかにすると同時に、カヴェルの著作物の分析を踏まえてこの恐怖の源泉は、作品を通じて経験される鑑賞者の孤独にあることを結論づける。

クレメント・グリーンバーグ「アヴァンギャルドとキッチュ」再考──ヴァルター・ベンヤミンの政治の美学化の観点を軸に/大澤慶久(東京藝術大学)

 本発表では、アメリカの美術批評家クレメント・グリーンバーグの1939年の高名な評論「アヴァンギャルドとキッチュ」に従来の解釈とは異なる視点から光を当て、それが20世紀中頃の「政治の美学化」と、グリーンバーグ自身の美学的基盤に基づく独自の論理として展開されたものであることを明らかにする。
 これまでの解釈では、この評論はアヴァンギャルドを高級文化、大衆文化を低級文化とする対立軸において、グリーンバーグがアヴァンギャルドの自律性を擁護しエリート主義的姿勢にあるという見方が主流であった。しかしこの評論はファシズムの台頭期にアヴァンギャルド芸術の危機的状況下で書かれたものであるという点は見過ごされがちである。それゆえ『パーティザン・レヴュー』の当時の誌面の方向性や、ヴァルター・ベンヤミンが1936年に発表した「複製技術時代の芸術作品」における「政治の美学化」の文脈の中でこの評論を再考する必要がある。そこで本発表ではグリーンバーグが同評論で提示している「反省」という美学的概念に着目し、ベンヤミンの「政治の美学化」の論理を見据えつつ、アヴァンギャルドが促す「反省」の機能と、「反省」を要さない即時的な快の享受を可能にするキッチュの性質を検証する。以上の考察を通じて本発表は、この評論を政治的・美学的文脈で捉え直し、さらには現代におけるソーシャルメディアとポピュリズムの観点からその現代的意義についても考察を加えたい。

フィクション鑑賞における共感とは何か──ナナイの代理経験理論の検討/岡田進之介(東京大学)

 小説や映画、演劇などのフィクション作品の鑑賞において私たちは登場人物に「共感」するとされ、またそれがフィクション鑑賞の重要な要素とされることもある。本発表は現代の美学的研究を参照し、そのような共感の本性について検討する。
 英米圏の現代美学でフィクション鑑賞における共感は、登場人物と鑑賞者が情動を共有する「同一化」として定式化されてきた。しかしノエル・キャロルなどは、登場人物が作中の対象を情動の対象とするのに対し、鑑賞者は人物を含めた状況全体を対象とするため、同一化は成立し得ないと主張する。近年では同一化を一種の想像的活動とすることでそれを擁護する論者もいるが、そこでの想像概念は問題含みである。
 本発表では同一化とは異なる仕方で共感を分析したベンス・ナナイの代理経験理論を、具体例に即して検討する。ナナイはAesthetics as Philosophy of Perception(2018)の中で、共感として名指される現象は、鑑賞者が主人公の利害に基づき特定の作品内容に注意を集中させることだとする。この理論は想像概念に頼らずに共感を説明できる点で優れる一方、①どの登場人物が共感の対象になるのか②注意の集中と情動の関係はどのようなものか、などの点で説明が不十分である。本発表はこの二つの点を明確にすることで共感の本性を明らかにし、作品批評のための新たな理論構築に貢献することを目指す。