日時:2007年7月1日(日) 15:30 - 17:30
会場:東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1

・ふたつの御前会議―敗者/勝者のためのせめぎあう記憶/北原恵(甲南大学)
・エスノセントリズムの“善意”―表象としての沖縄/宜野座菜央見(明治大学)
・戦中期日本における「母性」イメージの系譜学/千葉慶(千葉大学)

【コメンテイター】坂元ひろ子(一橋大学)
【司会】香川檀(武蔵大学)

本パネルは、ジェンダーと民族の視点から、表象としての大日本帝国、国体、身体、女性運動を扱う。分析対象は、①アジア・太平洋戦争期に製作された沖縄に関するドキュメンタリー映画(宜野座)と、②戦争終結を決めた1945年8月9日の「御前会議」を描いた油彩画(北原)、③近代日本を通して成立してきた超越的「母性」に関する表象/言説(千葉)であり、時代は、アジア太平洋戦争期とその前後を含む。

誰が国民であり、誰が国民でないのか。これは総力戦下において絶えず変容し矛盾をはらみながらも厳しく求められた定義である。宜野座は、沖縄に関するドキュメンタリー映画がそれぞれ異なったレトリックによって拡大する帝国日本の論理に奉仕したことを検証し、博愛的善意に内在する日本の自民族中心主義が、今日まで続く「日本を相対化して捉え直すための装置として沖縄を用いる思考様式」を形成してきたことを検証している。

北原は、ポツダム宣言受諾を決めた1945年の「御前会議」を描いた2枚の油彩画を取り上げ、それらが勝者(米国)と敗者(日本)の権力者のために描かれた歴史を明らかにし、それらの所有形態と私的/公的な記憶への変容、忘却/国家的記録化へのせめぎあいを検証する。千葉は、戦中期に作成された民族を超越する究極の「母性」表象がいかなる思想的過程で成立したのかを、悲母観音をめぐる解釈史を軸として、系譜学的に論じる。(パネル構成:北原恵)

ふたつの御前会議―敗者/勝者のためのせめぎあう記憶/北原恵(甲南大学)

本発表は、1945年8月9日の「御前会議」を描いた二枚の油彩画を取り上げ、その表象と記憶の政治学について分析する。一枚は、1960年代に鈴木貫太郎記念館のために白川一郎によって描かれた《最高戦争指導会議》であり、一枚は、GHQが編纂した戦記『マッカーサーレポート』(Reports of General MacArthur)に、アジア・太平洋戦争の挿絵として掲載されている《御前会議》である。鈴木の絵は、昭和天皇の「聖断」を乞うた鈴木の英姿を焦点化しており、主人公は鈴木貫太郎であるのに対して、寺内の主人公は、天皇であると同時に、天皇と日本の閣僚たちによって身体化された国体そのものである。この二枚の「御前会議」は、同じ登場人物と同じ歴史的瞬間を扱いながらも、前者は勝者の権力者のために描かれ、後者は敗者の権力者のために描かれるという決定的な違いがあった。

1966年に出版され占領史研究の中では基本文献である『マッカーサーレポート』は、寺内の《御前会議》以外にも、日本人によって描かれた戦争画が大量に掲載されているが、日本の戦争画研究でこれまで言及されることはなかった。本発表では『マッカーサーレポート』の表象空間を分析して寺内の絵画を歴史的に位置づける。その後寺内の絵画がプライベートな絵画として不可視化・忘却される一方、白川の御前会議が日本国家の公的記録として表象されていく過程と痕跡をたどる。


エスノセントリズムの“善意”―表象としての沖縄/宜野座菜央見(明治大学)

この発表は、ドキュメンタリーが“文化映画”と称された時代に製作された2つの作品を取り上げ、沖縄への“善意”に基いて製作されたはずの2作品が、それぞれ異なったレトリックによって、拡大する帝国日本の論理に奉仕したことを検証し、国民‐観客を啓蒙するスタンスに内在した、日本の自民族中心主義を抽出する。

日本映画において、製作の主流はあくまで劇映画であり、ドキュメンタリー製作は劇映画と別個にマイナー領域を構成して活動していた。このマイナー領域が俄かに重要性を見出され注目されたのは、中国との総力戦到来によってである。戦争を遂行する国家から、国民啓発の役割を期待され、文化映画の劇場上映が確保されたからである。

2つの文化映画のうち、『沖縄』(1936年)は、日中戦争の開始前に製作されたのどかな観光映画であり、“島の女”のエキゾティシズムをモチーフとする。一方、『海の民』(1941年)は総力戦の緊張感を伝え、「海の民」に古代日本の姿を見出すロマン主義的なモチーフで構成される。対照的な2作品に共通するエスノセントリズムは、規範的なジェンダー・イメージを効果的に用いながら、観客に日本のヘゲモニーを刷り込み、沖縄を紹介しながら、沖縄である必然のない言説に寄与したのである。


戦中期日本における「母性」イメージの系譜学/千葉慶(千葉大学)

本発表は、戦中期に作成された民族を超越する究極の「母性」像を出発点として、その表象の成立過程を系譜学的に論じる。日名子実三が1940年に制作したレリーフ「紀元二千六百年」は、中央に「母」としてのアマテラス、周囲に「子」としての日本・満州・中国の擬人像を配している。つまり、母子関係を基軸にして、「八紘一宇」の世界像を理想郷であるかのように表象しているのである。

このレリーフの表現は、近代日本における「母」イメージの系譜において、一つの頂点と位置づけることが出来る。その理由の第一は、「母」が国家を超える神聖な存在として描かれていることにある。近代政治では、生み育てる存在としての「母」に注目し、国策的に利用してきた。しかし、あくまで国策における「母」は、国家内部の存在でしかなく、国家を超えるイメージは破格のものである。

理由の第二は、「母子一体」の表象が、夫の不在によって、女性を生まれながらの「母性」として自然化することにある。そして、「母子一体」のイメージは、かつてヘソの緒で繋がっていた母と子の関係性を幻想上で復活させ、決して解体されることの無い強固な共同性を作り出す。では、このような究極のイメージはいかなる思想的プロセスで成立するに至ったのか。本発表では、近代日本でもっともポピュラーな「母性」イメージの一つである、「悲母観音」の解釈の時代的変遷を軸に追ってみたい。