日時:2006年11月19日(日) 13:30-16:10
会場:東京外国語大学 府中キャンパス@213教室

・門林岳史(日本学術振興会特別研究員) 四角形の冒険:拡張された場、グレマスからマクルーハンまで
・中路武士(東京大学大学院) イメージとメディア:ゴダール、視聴覚的様式と情報技術について
・南後由和(東京大学大学院) 1960年-70年代のマスメディアにおける建築家の表象:黒川紀章を中心とした建築家の有名性をめぐって
・浜野志保(首都大学東京非常勤) 幽霊を見せる:降霊会と近現代視覚メディア

【司会】榑沼範久(横浜国立大学)

門林岳史(日本学術振興会特別研究員)
四角形の冒険:拡張された場、グレマスからマクルーハンまで

本発表は、構造主義者が多用した数学的概念であるクライン群およびその図式的表現としての「意味の四角形」の命運を系譜的に辿る試みである。構造主義によるクライン群の適用はクロード・レヴィ=ストロースとジャン・ピアジェにその最初期のかたちを見ることができるが、それを独自の論理ツールとして展開させたのはA・J・グレマスの意味論の研究である(『意味について』(1970))。グレマスの「意味の四角形」は、その後フレドリック・ジェイムソン(『政治的無意識』(1981))、次いでロザリンド・クラウス(『視覚的無意識』(1993))によって生産的に読み替えられる。そこで見られる転位は、静的な構造の分析ツールから発見法的な思考のツールへの展開とひとまず要約することができよう。さて、こうした構造主義の文脈とは独立して、マーシャル・マクルーハンは死後出版された共著『メディアの法則』(1988)においてテトラッドと呼ばれる「意味の四角形」と酷似したダイアグラムを提案している。『メディアの法則』は『メディア論』(1964)における自身の探求を形式的な水準で再定式化する試みといえるが、そこで確認される転位がどのようなものであったかは構造主義の系譜から逆照射することによって明らかにできるはずである。以上の読解をもって20世紀後半に見られたダイアグラム的思考の可能性と限界を指摘することが、本発表の最終的な目的である。


中路武士(東京大学大学院)
イメージとメディア:ゴダール、視聴覚的様式と情報技術について

映画において、世界は、運動の技術的文字化によって遠近法的な視点に縮約されるとともに、スクリーンに反復的に投影されることで、イメージという多様体的な襞として身体に折り畳まれ、折り拡げられる。そして、映画の視聴覚的様式は、運動-イメージや時間-イメージという単独的な思考形式として、世界を多様に組み立てる。しかし、情報技術による映画技術の書き換えは、イメージと思考の離散化を呈示し、表象と現前の境界線そのものを問いに付す。ドゥルーズがいうように「映画の生と生存は情報的なるものとの内なる闘争にかかっている」ならば、この書き換えを分析し、イメージとメディアについて考察する必要がある。本発表が目指すのは、ドゥルーズらのイメージ理論とスティグレールらのメディア技術理論を批判的に接続することで、映画の視聴覚的様式がいかに構築され、またそこにいかに情報技術が介入するかを分析し考察することである。その具体的実例として、ゴダールの『愛の世紀』(Éloge de l’amour, 2001)を取り上げ、情報技術に媒介された感覚の論理を、イメージの切断や連結のみならず、記憶の生成および記憶の保存というアルシーヴ的観点を踏まえつつ分析する。問題となるのは、イメージの痕跡を通して、前個体化における視聴覚の生成の場が提示され、他方で記憶の論理そのものが映画的な視聴覚的様式の生成によって思考されるということであろう。


南後由和(東京大学大学院・日本学術振興会特別研究員)
1960年-70年代のマスメディアにおける建築家の表象:黒川紀章を中心とした建築家の有名性をめぐって

本発表では、1960年-70年代の建築専門誌、他ジャンル専門誌、一般誌およびテレビなどのマスメディアにおける黒川紀章を中心とした建築家の表象を、丹下健三のそれと比較しながら分析する。定期的に刊行され、特定の建築家特集を組む建築雑誌は、建築界の駆動装置であり、そこには有名建築家を生み出す構造や、組織体制をめぐる建築界の偏差と亀裂がある。そこで、具体的には、建築専門誌(『新建築』、『国際建築』、『近代建築』、『建築文化』、『JA』など)および一般誌の整理や、可能であれば編集者(川添登、田辺員人、宮内嘉久、平良敬一など)への聞き取り調査を交え、集合的に構築される建築家の有名性を、P.ブルデューの「場」、H.S.ベッカーの「芸術界」、J.W.ケアリーの「儀礼的コミュニケーション」の概念などの援用によって考察する。

また、建築家の有名性は、マスメディア内に充足するものではなく、クライアントの欲望や、都市における空間化のダイナミズムと連関している。そこで、 1960年の世界デザイン会議、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博などのメディア・イベントに注目し、建築家の主体性および社会的位置が、都市、マスメディア、クライアントとの関係によっていかに変容していったのかという点に言及する。


浜野志保(首都大学東京非常勤)
幽霊を見せる:降霊会と近現代視覚メディア

本発表では、ハイズヴィル事件(1848)を嚆矢とする近代スピリチュアリズムの隆盛期において、霊媒を中心として開かれていた降霊会が一種の見世物として展開していく過程を、具体的事例を中心に検証する。創始者のフォックス姉妹の例に代表されるように、スピリチュアリズム揺籃期における降霊会は、霊媒と出席者が一つのテーブルを囲んで行う極めて単純な形式のものだった。だが、50年代半ばになると、空中浮揚で名を馳せたD・D・ヒュームや、ロンドンでの “興行”を大成功させたダヴェンポート兄弟など、派手なパフォーマンスを行う霊媒が登場する。1866年以降は、グッピー夫人によって開発された物質化(materialization)の技法を採用する霊媒が急増し、スペクタクルとしての降霊会は絶頂期を迎える。だが、奇術ショーと区別のつかなくなったこれらの降霊会の大半は、心霊研究協会(SPR)などの研究団体から批判され、フーディーニをはじめとする奇術の専門家たちにより詐術を暴かれていく。幽霊の存在を証明するという当初の目的は果たせなかったものの、幽霊を“見せる”という降霊会の試みは、18世紀に流行したファンタスマゴリアや公開実験の後継であると同時に、X線写真、映画、テレビなど、19世紀末から20世紀初頭にかけて登場する、不可視なものや遠隔地にあるものを可視化する諸視覚メディアの先駆けでもある。