日時:2006年11月19日(日) 13:30-16:10
会場:東京外国語大学 府中キャンパス212教室
・井戸美里(東京大学大学院) 境界としての洲浜
・小澤京子(東京大学大学院) 不可視の過去を可視化すること:ピラネージによる古代形象の「考古学」的復元手法について
・小松原由理(東京外国語大学大学院) 「ずれ」が生成する〈場〉、〈フォトモンタージュ〉:ラウール・ハウスマンとハンナ・ヘーヒにおける「頭」の表象をめぐって
・橋本一径(東京大学大学院) アイデンティティのモンタージュ:「モンタージュ写真」小史
【司会】香川檀(武蔵大学)
井戸美里(東京大学大学院)
境界としての洲浜
本発表では、〈浜〉と〈松〉という中心的モティーフの組み合わせによって成り立つ洲浜の形象を、調度、かざり物や絵画作品を通して考察する。具体的には、大嘗会(だいじょうえ)のつくり物である標山から、和歌・連歌や歌舞伎に際して置かれる洲浜台、調度・茶器などに見える洲浜の意匠、「浜松図」や「日月山水図」などの屏風類、絵巻物等の画中画として描かれる洲浜などを分析する。また、和歌や文学作品なども併せて考察することで、これらの洲浜の形象が、一時的な非日常としての「聖なる領域」を出現させるための舞台装置のような役割を担っており、芸能を成立させるために不可欠な存在であったことを指摘したい。
さらに、描かれた洲浜のモティーフは、境界を仕切る屏風とともに、臨終や法会の場、さらには芸能空間において、境界線を創出させるメディアとして機能していたと思われる。さまざまな儀礼や芸能が行われる座敷空間では、金屏風などに描かれた〈浜〉や〈花木〉のモティーフは、非日常の場を一時的にしつらえるためのスクリーンとなっていたと考えられる。このことは西本願寺の演能が行われる大広間の花木図、能舞台の背景の松図に見ることもできよう。能舞台の〈松〉については、慶長期まで遡ることができることを資料上から指摘し、〈松〉と〈白洲〉を敷き詰めた空間には洲浜の記憶が「聖性」とともに喚起されていた可能性について論じたい。
小澤京子(東京大学大学院)
不可視の過去を可視化すること:ピラネージによる古代形象の「考古学」的復元手法について
世紀後半のローマで活躍した銅版画家ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ(1720-78)は、古代ローマの景観を想像的に再構築した『ローマの古代遺跡』などの「紙上建築」で知られている。
彼は人気銅版画家であり、そして自己規定の上では常に「建築家」だったが、それと同時に「考古学者」でもあった。画業前期には虚構性の強い作品を多く残しているが、次第にローマの古代遺跡や古遺物断片、古代地図の復元図へと移行してゆく。彼が活躍したのは、ローマ遺跡の学術的な発掘が開始され、ルネサンス以来の「古遺物愛好」の伝統という土壌のうちに、科学的な学問体系としての「考古学」の萌芽が見られた時代である。このような思潮の中でピラネージは、古代的形象の発掘と展示を、紙上でいわば代理的に行った。
古代の姿そのものは不可視であり、それは現在に残された断片を通して想像的に「復元」されることではじめて可視化される。古代ローマという過去の(集合的)記憶を呼び戻し、それを視覚的な形象として二次元上に配置し定着させるときのピラネージ特有のやり方を、同時代の考古学的な図版と比較しつつ明らかにすることが、本発表の目的である。ピラネージ作品の一特徴でもあるメタ・イメージ性(一つの作品におけるイメージの入れ子構造)と、同時代における「過去」「古代」の認識のあり方(ならびに、そこからのピラネージの偏差)が、本発表の主要な論点となる。
小松原由理(東京外国語大学大学院)
「ずれ」が生成する〈場〉、〈フォトモンタージュ〉:ラウール・ハウスマンとハンナ・ヘーヒにおける「頭」の表象をめぐって
ラウール・ハウスマンが1919年頃に作成した木製の「マシーン頭」は、マシーンと化した現代人を挑発的に表象する、まさにダダイズムのシンボルとして今日扱われている。だがこの「頭」をモチーフとし、ハウスマンと恋人ハンナ・ヘーヒが、その後さまざまな「頭」のイメージをそれぞれに創作し展開させていったことは、あまり知られていない。しかも、彼らが「頭」のイメージに反映させたのは互いのセルフイメージの誇張であり、そうしたイメージとイメージの応酬は、時差を孕みながら、まさに「頭」をめぐる2人の<対話>を成立させていたのである。本発表では、「頭」をめぐり生み出された2人の作品を実際に参照しながら、イメージの「戯れ」の<場>、そして「ずれ」を生成させるという彼らの「やり取り」を可能とした<場>である<フォトモンタージュ>技法の効力について、改めて考察を深めたい。
橋本一径(東京大学大学院・日本学術振興会特別研究員)
アイデンティティのモンタージュ:「モンタージュ写真」小史
犯罪捜査の現場で活躍する、いわゆる「モンタージュ写真」は、1950年代にフランス・リヨンの警察官ピエール・シャボが開発した「ロボット・ポートレート」を起源に持つとされる技術である。犯罪捜査技術の歴史においては、モンタージュ写真は、アルフォンス・ベルティヨンが考案した「口述ポートレート」を引き継ぐ技術として語られるのが一般的である。本発表はモンタージュ写真のこのような行刑学史上の位置を確認した上で、視覚文化史的な観点からこの技術を捉えなおすことを目指す。例えばこの技術は、複数のイメージの断片からひとつのイメージを構成しているという点で、フランシス・ゴルトンが1880年代に発案した「合成肖像」、あるいは1920年代のアヴァンギャルド芸術運動における「フォトモンタージュ」に結実するような、19世紀のアマチュア写真家の諸実践とも比較することが可能だろう。これらの実践は、「カメラなき写真」と呼ばれたアヴァンギャルドのそれが典型的なように、現実には存在しない対象を映像化する試みであった。モンタージュ写真が生み出す人物像は、これらの実践に照らし合わせて見た場合、どのような特性を持つものだと言えるのだろうか。こうした問いを通して、人間のアイデンティティとイメージの関係を理解するための新たな視座を準備することが、本発表の最終的な目標となる。